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大峯奥駈道を歩く その1 北奥駈

2018.10.11 Thursday

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    「大峯奧駈」ルート(赤線)

 

北奥駈道=吉野六田駅〜大天井ヶ岳〜山上ヶ岳〜八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜太古の辻

 

このほど老体を励まし、騙しながら、吉野から熊野までの大峰山脈の古道約90辧閉樟)を独りで歩いてきた。

 

途中台風24号に遭い山中で停滞を余儀なくされたため、近鉄吉野六田駅から熊野本宮大社まで10日間という長旅になってしまった。

 

「修験道は日本版アルピニズムだ」と言ったのは、若くして前穂高岳の北尾根に逝った大正期の不世出の登山家大島亮吉であった。

 

剣岳で奈良時代後期の錫杖が発見されるなど、修験者は古い時代から粗食で野宿をしながら険しい未踏の山野、急峻な岩場を跋渉しており、大島が言ったようにその行為は近代登山の先鋭的なクライマーとよく似ている。

 

ご存知のように、修験道の開祖は役行者(えんのぎょうじゃ)。

 

大峰山は役行者が拓いたといわれ、峻険な山域全体を行場とし、今でも修験の根本道場になっている。

 

平安中期に大峰山(山上ヶ岳)への入峰が盛んになり、平安末期から鎌倉にかけ、修行のため熊野から吉野へ至る「大峯奥駈」が確立したというから、この道の歴史は古い。

 

隠居は昔から修験道に興味を持っており、今回念願であった彼らの修行の場を「にわか修験者」として歩かせてもらったが、20繕瓩げ戮鯒愽蕕ぁ岩場が多い難路を毎日長時間歩くという、予想通りの難行苦行であった。

 

山岳信仰の神髄は「自然への回帰と魂の再生」と言われるが、飛騨山脈とは一味違う深い自然の中を何日も独りで歩いていると、下界でのいろんな囚われから自由になり、空っぽになり、それは歩く瞑想でもあった。

 

登山人生終盤のこの充実した山行は、冥途へのいい土産になった。

 

1日目:9月23日(日)高山=京都=近鉄吉野六駅〜蔵王堂〜上千本(民宿泊)

 

正式な奥駈道は、美吉野橋を渡ったところにある「柳の宿」という75番靡(なびき)から始まるので、近鉄吉野線六田駅から歩き始めなければならない。なお、靡とは行場や礼拝ポイント。

 

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橋のない頃は、吉野川に柳の渡しがあった。

 

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 柳の渡し跡

 

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 75番靡

 

75番靡に参拝したあとは車道を歩き、吉野神宮を経て、修験道のご本尊蔵王権現がおられる金峰山寺(蔵王堂)に参拝し、道中の無事を祈願。

 

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この日は駅から宿泊地の上千本口の民宿まで約2時間半歩いただけだったが、テントと一週間分の食料を詰め込んだザックが老骨の肩に食い込み、先が思いやられた。

 

2日目:9月24日(月)吉野〜大天井ヶ岳〜山上ヶ岳〜子笹ノ宿(テント泊)

 

この日は吉野から山上ヶ岳までの標高差1200mを登る長丁場だ。

 

はじめ民家などが点在する車道をどんどん登るが、途中で単独の若い男性が追い抜いていった。

 

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 吉野蔵王堂を俯瞰

 

若い人のスピードは老人とは違うので、あせらずに進む。

 

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 吉野水分神社

 

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 役行者に挨拶

 

吉野分水神社を過ぎ、奥千本の「修行門」と書いた大きい鳥居をくぐって急な坂を上ると、金峯神社。

 

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横の休憩所に登山届受付の箱があるので提出。ここから登山道になり、少し歩くと西行庵との分岐に出る。

 

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山上ヶ岳(1719m)へと続く尾根を、アップダウンを繰り返しながら標高を稼いでゆく。

 

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二軒小屋からは大天井ヶ岳の巻き道をとる。水がない山だがこのコースには水場があり、のどを潤す。

 

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やがて女人結界の門がある五番関へ。

 

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ここからブナ林のなかの道をたどると、見覚えがある洞辻茶屋へ。

 

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この茶屋へは以前洞川から登ってきているのではじめてではない。その時は山上の宿坊に泊まって山上ヶ岳から別ルートで洞川へ戻っている。

 

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 以前来たとときの西の覗

 

山上ヶ岳手前で日が暮れてしまい、ヘッドランプを点灯しての歩行となる。

 

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山上の宿坊群は昨日で山を閉じたので真っ暗。

 

暗闇の国宝大峰山寺(おおみねさんじ)の前で般若心経を唱える。

 

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 以前きたときの大峰山寺

 

ここの平地から小笹ノ宿へ下ったが、到着時間は20時に近かった。

 

修行場の宿には3人泊まれるという小さな小屋があったが、今朝追い抜いていった若い人がもう休んでいたので、迷惑をかけないよう小屋の前でテントを張る。

 

構内には離れたところにもう一張テントがあった。歩行14時間。

 

3日目:9月25日(火)小笹ノ宿〜大普賢岳〜行者還岳〜行者還避難小屋

 

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そのテントの主は若い男性で、順峰(じゅんぷ・熊野から)でここまで来たとのこと。途中倒木で大変だったとも。

 

小屋の若い男性は、隠居と同じ逆峰で熊野までと言って、早々と出発していった。

 

近年は修験者でも逆峰コースを歩く人が多いという。

 

今回全行程10間で出会った奥駈者は、この若い2人の登山者と、6日目に会った山伏2人だけだった。

 

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南側の女人結界になっている阿弥陀森分岐あたりから雨になり、雨具をつける。

 

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小大普賢岳を過ぎ大普賢岳の手前で、標識を見誤るという大失態をおかした。

 

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和佐又という集落へ下る道を大普賢岳の巻き道と勘違いし、絶壁のハシゴ、クサリ場をどんどん下ってしまったのだ。

 

途中で気が付き戻ったが、ここで3時間のロスとなり、登り返しでかなり体力を消耗。

 

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このためこの日は時間的に弥山へ届かないので、やむなく行者還避難小屋泊とした。

 

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 近年世界遺産になって地元の村が建てたが水がない

 

歩行11時間。

 

4日目:9月26日(水)行者還避難小屋〜弥山小屋

 

朝から雨が降っており、この日は弥山小屋までとした。

 

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雨が激しくなり、テントは無理なので営業小屋に泊めてもらう。宿泊者は隠居一人。

 

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雨は午後からさらに激しくなり、夜中も降っていた。

 

5日目:9月27日(木)弥山小屋〜八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜深仙ノ宿(テント泊)

 

午後は止むとの予報で雨の中を出発。

 

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大峯山脈の最高峰八経ヶ岳を踏む。ここは昔行者還トンネル西口から日帰りしたことがある。

 

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仏性ヶ岳を過ぎたところの断崖が、金剛界と胎蔵界の分かれ目と言われる。

 

釈迦ヶ岳まではやせた岩尾根など、悪場が続く。

 

岩場の登下降は、昔クライマーだったこともある隠居には技術的に何ともなかったが、荷が重いので体力的にかなりこたえた。

 

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 蔵王権現靡

 

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 釈迦ヶ岳 ある人がいくつかに分けて担ぎ上げたそうだ

 

途中迂回して水を汲み、到着した深仙ノ宿には小さい小屋と灌頂堂というお堂があり、一人の僧がお堂のかたづけをしておられた。

 

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奈良の寺のご住職で、時々十津川村から登ってきてボランティアでお堂の守りをしているとのこと。

 

ここ深仙は、先の小笹と同様に修験者にとって重要な修行の場所らしい。

 

僧は小屋でたき火をされたが煙がひどいので、テント泊とする。

 

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この夜は月がきれいだった。

 

今日で歩きだしてから5日経ったが、まだ全行程の半分だ。

 

歩行11時間。

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乗鞍での不思議な話 その3 死者からの頼み

2018.10.04 Thursday

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 信州乗鞍高原からの剣ヶ峰

 

今から20年ほど前に起きた遭難事故にまつわる話だ。

 

この若い人の遭難は今でも思い出すとつらいが、隠居は捜索時に不思議なことを体験したので書き留めておきたい。

 

平成11310日の23時頃、山岳会の事務局から「会員のS君が単独で乗鞍へ山スキーに行ってまだ帰らないので翌日の出動準備を」という連絡が入った。

 

翌朝になっても本人から連絡がないので出動を決め、登山口である信州の乗鞍高原へむかう。

 

平日なので朝から動ける一次隊は隠居と若い人4名。

 

怪我などでビバークしていることを想定し、隠居がリーダーになってスキー場上部の森林帯を名前を呼びながら登り、森林限界からは剣ヶ峰基部と右側の二手にわかれて探しながら登る。

 

この日の天候はあいにく雪と濃いガス。

 

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肩の小屋手前で合流し、肩の小屋、東大宇宙線観測所周辺をくまなく探したが発見できず。

 

再度夏道ルートと蚕玉沢へのトラバースの二手に別れ、頂上方面への捜索にむかう。やがて尾根の途中にスキーが刺さっているのを発見。

 

スキーは目印かも知れないので、この時点でまだ怪我などでのビバークの可能性を捨てきれず。

 

捜索範囲が狭まったのでいったん蚕玉上部に集結し、濃い霧の中を頂上小屋付近の捜索のあとベテランの2名にスタカットでの蚕玉沢の下降を指示し、隠居はアイゼンなしの者もいたので夏ルートを肩の小屋へ引き返す。

 

その後蚕玉沢でも発見できなかったとの無線連絡があり、午後5時をまわり天候も悪いので、本日の捜索打ち切りを決断。

 

宿泊の了承を得ていた東大宇宙線観測所への移動を開始した。

 

ところがその時突然雪がやみ、今までの濃いガスが切れて、西から一筋の日が剣ヶ峰山麓にさした。

 

隠居はその光の中を肩の小屋からスキーで斜滑降を開始したら、そのまま沢の末端で眠っているS君の所へ着いた。まさにそこへ吸い寄せられるようにであった。

 

下から登ってきた2次隊で先行していたリーダーSE氏も同時に到着。彼も下から迷うことなく真っすぐここに着いたと言っており、まことに不思議なことであった。

 

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 晴れた日の蚕玉沢 沢の白い部分の最下部に眠っていた

 

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怪我の様子から、蚕玉沢上部で突風に遭い滑落、途中の岩に激突して頭を打ち、沢の下部まで落ちたと思われた。

 

遺体をシートに包み、その日のうちに下したが、あとは再びガスに包まれ、翌日は大量の降雪になった。

 

今でもあの日はS君が「今日のうちに連れて帰ってくれ」と頼んだと思っている。

 

最近昔読んだチベット密教の仏典『バルド・トドゥル』(チベット死者の書)を読み返しているが、その書からも、あの日のできごとは間違いなくS君からの依頼だったことを確信した。

   

享年37で、まだ小さいお子さんがおられた。

 

山での遭難死はまことにむごい。

 

隠居は今でも山スキーでここを通る時現場に向かって黙祷をしているが、往時ともに捜索に出てくれた4名のうち、1名は病死、あとの3名は会を去っており、山岳会でこの事故のことを知る人は少なくなっている。

 

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まさに「去る者は日々に疎し」だ。

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乗鞍での不思議な話 その2 中洞権現にあった仏像の怪

2018.09.22 Saturday

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 9月19日の乗鞍

 

乗鞍の剣ヶ峰から大日岳の腹をまいて南西側に下り、皿石原という小さな鞍部を経て少し登ると、千町尾根に出る。

 

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ゆるやかな尾根を少し下り、広い地形になったところが中洞権現。御嶽なども望め、開放的な場所だ。

 

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天明元年に山麓中洞集落の名主中林作右衛門が、頂上へ仏像を上げようと単身登ったものの、力尽きて途中に安置した。

 

後にその場所が麓の人々に崇められ、「中洞権現」の名で呼ばれるようになったという話を前に書いた。

 

実は作右衛門が上げたその仏像はただの仏像でなかったという話を、民俗学者代情(よせ)通蔵が書いているので、以下要約して紹介したい。

 

そもそも作右衛門と仏像の縁は、作右衛門が祖父の遺骨を京都の本願寺へ納めに行った帰り、60歳くらいの修験者に出会ったことから始まる。

 

この修験者は、持っている仏像をなんとか乗鞍へ安置したいと言うので、作右衛門が案内を買って出た。

 

飛騨へむかう2人が美濃関に泊まっていた時その宿が火事になり、仏像をとりに戻った修験者は大やけどを負い、臨終の間際作右衛門に仏像の安置を託して息を引き取った。

 

この仏像は阿弥陀三尊の青銅仏で、後日作右衛門が修験者との約束をはたすべく仏像を背負って頂上へむかったが、疲労と悪天のためやむなく尾根の途中の岩穴に安置して帰ったのである。

 

時代は明治期になり、このあたりでコマクサやバイケイソウなどの薬草採りをしていた野麦集落の男が、この仏像を自宅へ持ち帰り仏壇に安置した。そうしたら別の商売が大繁盛し、たちまち財を成した。

 

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 大日岳の南面や高天ヶ原(正面奥)では、昔コマクサ採りが盛んだった

 

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これを聞いた下流の中洞集落の人々が返還を要求しにきたが、持ち主は3年の猶予を要求し、それが過ぎても返さなかった。

 

ある日突然この男の家が火事になり、全焼してしまった。男は不在だったが、仏像だけは近所の人が持ち出してくれ助かった。

 

火事になった日は、昔作右衛門が仏像を安置した同じ日であったという。

 

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 野麦集落

 

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男は仏像のたたりだと怖れ、さっそく中洞権現の元の場所へ戻しにいった。

 

その後ここを通った神戸の登山者が、雨宿りした岩穴にあった仏像をザックに入れて丸黒尾根から大尾根へ下ったものの、良心の呵責にさいなまれ、大尾根ヒュッテの管理人に元の場所に戻してくれるよう預けて帰った。

 

戦後山岳スキー場も廃って大尾根ヒュッテに泊まる人はまれになり、普段下の集落に住む管理人は、仏像をヒュッテの神棚に置いたまま忘れてしまっていた。

 

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 大尾根ヒュッテ

 

ある日突然ヒュッテは全焼してしまい、焼け跡のどこを探してもこの仏像は見つからなかった。

 

村人は、「仏様は自力で乗鞍へ帰らさったんやな」と、ささやきあったという。

 

なお代情は、野麦の家と大尾根ヒュッテの両方の火事とも「三筋の焔」が舞い上がったと書いている。

 

こうして現在中洞権現には作右衛門が上げた阿弥陀三尊はおられず(見当たらず)、その後青屋から道を拓いた上牧太郎之助の石仏2体のみが鎮座しておられる。

 

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 中洞権現にある上牧太郎之助の石仏

 

隠居はここを通るたび、どこかの岩陰に帰っておられないか探しているが、いまだ見つからない。

 

諸兄もここを通られたらぜひ探してみていただきたい。

 

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 広い中洞権現 こんなところに?

 

なお阿弥陀三尊とは、阿弥如来を真ん中に、左に観音菩薩、右に勢至菩薩がおられる。

 

以下余談です

老生が予定している9月の山行、長雨のため延期、延期を余儀なくされていましたが、このままだと登山寿命が尽きてしまうので、思い切って明日から出かけることにしました。といっても、1週間少々ですが。このためブログ更新できませんのでご容赦、頓首再拝。

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乗鞍での不思議な話 その1 異界千町ヶ原のこと

2018.09.15 Saturday

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 不思議なところ 千町ヶ原

 

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秋雨前線が依然停滞していて、なかなか山へ行けない。

 

あいかわらず乗鞍岳にこだわって。

 

昔から山の怪談、奇談というものは多いし、諸兄のなかにも山で不思議な体験をされた方がおられると思う。

 

山岳信仰の対象であった乗鞍岳にも昔から不思議な話が伝えられているし、現代の登山者である隠居もこの山で不思議な体験しているので、その話をいくつか。

 

まず乗鞍の奥座敷である千町ヶ原。

 

前回ここは昔から「精霊田」と呼ばれていて亡者が集まるところであり、入ると帰ってこられなくなることや、昭和になってからでも少年がここの池の畔で亡くなった母親に会ったという話をした。

 

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明治生まれの民俗学者で飛騨山岳会員でもあった故代情通蔵は、この精霊田のことを次のように書いている。

 

「明治初期に山麓から頂上へ道を拓いた修験者上牧太郎之助が、単身で事前の偵察に入った時、途中で日が暮れてこのあたりで野宿したが、夜半に大勢の人が通る気配を感じた。」

 

「そして未明に池のそばで水を飲んでいる白衣の人を見たので近づくと霧の中へ消えてしまい、岸辺には亡者が額につける三角の白い布が落ちていた」。

 

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やはりここは尋常なところではない。

 

実は不肖隠居も40年前にここで不思議な体験をした。

 

はじめてスキーで乗鞍岳の南面へ入ったのは、昭和52年3月だった。同行者は山岳会の仲間2人。

 

スキーで子の原林道を歩いて子の原尾根に取りき、この日は標高2000mあたりの雪上でテント泊

 

翌日は奥千町に荷をデポし、千町尾根を空身で頂上へむかう。途中でスキーをデポし、アイゼンに履き替えて剣ヶ峰に登頂した。

 

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あと広い尾根の滑降を楽しみながら奥千町から千町ヶ原へむかうが、この頃からガスが出はじめ、地図を読みながらの慎重な下降となる。

 

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広大な千町ヶ原へ下りたらホワイトアウト状態になったので行動をやめ、雪原で2日目の幕営となった。

 

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 テントを張った千町ヶ原

 

この夜は夕食後皆早々とシュラフにもぐり眠りについたが、夜半テントの周りを何者かがしきりに歩き回る音で目が覚めた。しばらくその音を聞いていたが、疲れもあってまた眠りに落ちてしまった。

 

翌朝夢かと思い同行者に聞くと、彼らも確かに足音を聞いたという。

 

さっそくテントの外に出てみると、降雪がなかったのに雪面にまったく足跡がなかった。まったく不思議なできごとであった。

 

翌日は快晴。千町ヶ原から南西へ少し下り、1885mのピークから西へ進路を変えてどんどん滑降する。九蔵本谷と小俣谷に挟まれた広い地形で、明治初期に上牧太郎之助が拓いた信仰の道がある尾根だ。

 

途中輪カンジキを履いて登って来る2人の熊猟師に出会う。冬眠中の熊穴を見つけての猟をしており、木の根元にある穴の周囲の雪が黄色くなっているので、それとわかるという話を聞いた。

 

下山してから、広い湿原があるこのあたりは昔から「精霊田(しょうれいだ)」と呼ばれ、死者の霊が集まる所だということをはじめて知った。

 

最近不思議なめにあったのは、平成26年(2014)4月、山スキーでFさんと子の原尾根から登って奥千町の避難小屋に泊まり、翌日大日岳から滑った時だ。

 

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 小屋は埋まっていて窓から入る

 

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初日は小屋に荷を置いてから千町ヶ原を往復し、その夜は酒を飲んで早々に寝た。

 

隠居は熟睡していたが、Fさんが夜中にいろんな動物や人の声を聞いたとのこと。

 

なかには狼に似た声もあったそうだ。

 

昨今どの山も俗化してしまったが、この山域だけはいまだに神秘的なところだ。

 

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乗鞍剣ヶ峰〜千町ヶ原〜丸黒山〜日影平(乗鞍の奥座敷を歩く)

2018.09.08 Saturday

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 乗鞍の奥座敷 千町ヶ原

 

台風一過の好天を期待したが、あと秋雨前線が停滞し、予定していた宿泊山行は延期に。

 

登山寿命が残りわずかになった今、ライフワークのようにして「母なる山乗鞍」にこだわり、調べ、書いている。

 

先般は郷土史研究会の紀要に「乗鞍岳の歴史―信仰登拝から近代登山まで」という駄文を投稿した。

 

それにも書いた、戦前にあった剣ヶ峰から山麓集落までの長大な山岳スキー場=「飛騨乗鞍スキー場」の跡を久しぶりにたどって見たくなり、8月末の平日に歩いてきた。

 

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 昭和9年の乗鞍スキー登山

 

剣ヶ峰から飛騨側の南西面へ派生している千町尾根、丸黒尾根、大尾根が往時のコースで、途中に山岳会管理の山小屋が4軒あって全国からのスキーヤーで賑わっていたが、戦後近場のスキー場にリフトが出現すると急速に廃っていった。

 

さらに畳平へのバス道路が開通すると、無雪期にも入る人はだんだん減ってゆき、現在では中間部にある千町ヶ原周辺は、乗鞍の奥座敷、深南西部といってもいい静かなエリアになっている。

 

千町ヶ原へは旧高根村の子の原尾根から入るのがいちばん近いが、近年地主都合で登山口への車道乗り入れができなくなっているし、その他の登山道も手入れがされず、どこも廃道に近い。

 

このため足弱隠居は、軟弱ながら剣ヶ峰から下山することにした。

 

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このコース、下山といえども年寄りの足では丸一日かかりそうなので、できるだけ早朝に畳平を出発せねばと思っていたところ、今の時期朴ノ木平から「ご来光見学バス」が出ていることを知った。

 

このバス、当然のことながら天気がいい日だけ運行されており、前日の昼に天気予報を見て運行が決められる。

 

朴ノ木平を345分に出発したが、隠居の予想に反し満席であった。

 

大黒岳北裾の桔梗ヶ原がご来光のビユーポイントとかで、バスはここでいったん停まり、ほとんどの人が暗闇のなかへ下車していった。

 

ところがこの日は予報が外れ、外は濃いガスと強風だった。

 

特別料金を払ってのご来光見学バスのパンフには、「ご来光が見られなくても払い戻しはいたしません」とあり、面白い。クレームをつけられたことがあったのだろう。

 

畳平から剣ヶ峰へ向かうのは隠居のほか2名。

 

ヘッドランプを点けて出発したものの、吹き倒されるほどの強風のため、肩の小屋で1時間ほど待機。

 

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少し風がおさまったのでガスの中を出発。頂上の神社に参拝してから3年ぶりに千町尾根に入る。

 

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 大日岳の裾はコマクサの群生地

 

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この古い登山道沿いには石仏が鎮座しておられ、手を合わせながら下る。

 

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これは明治期に麓旧朝日村の修験者上牧太郎之助が道を拓き、頂上まで八十八箇所に2体ずつ計176体安置した石仏だ。

 

2体のうち1体はどこも独鈷を手にした弘法大師さまで、まだ厳しい環境で修行を続けておられる。もう1体は、地蔵菩薩、千手観音菩薩、不動明王などいろいろ。

 

太郎之助が登山道を拓きはじめたのが明治28年で、石仏の設置を終えたのが昭和8年。じつに39年を要した大事業であった。

 

その後この登拝路は廃れていたが、近年旧朝日村が道を復元し、埋もれていた石仏の探索も行っている。

 

往時この重い石仏を担ぎ上げた信仰の力というものを考えながら、霧の中を下る。

 

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いったん皿石原へ下って少し登り、尾根を歩くと広い地形の中洞権現に出る。

 

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 中洞権現

 

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 晴れた日の中洞権現

 

ここ中洞権現は、天明元年に麓中洞集落の中林作右衛門が仏像を頂上へ上げようと単身ここまで登ったが力尽き、その仏像を安置したところ。

 

その後麓の人から「中洞権現」の名で呼ばれるようになった。前出の修験者上牧太郎之助も、この仏像を見て青屋からの登山道開設を思い立ったと言われている。

 

その後大正年間に中洞権現の仏像は盗難に遭った。その仏像は行く先々でいろんな災いをもたらすのだが、その話は後日にして先を急ぐことに。

 

ここからの尾根道は近年ハイマツや笹が覆い、歩きにくい。

 

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 修行中の空海さま

 

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湿原が広がる奥千町ヶ原(田ノ原)には県が建てた立派な避難小屋があり、山スキーで利用させてもらっている。

 

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千町ヶ原はここから尾根を下り、小さな湿原から2301mのピークを登ってまた下ったところにある。

 

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 2301mのピーク

 

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秘境千町ヶ原は「精霊田」とも呼ばれ、昔から地元ではここに亡者が集まるといわれてきた。そしてここへ入った人は帰ってこられないとも。

 

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昭和初期ここに山スキー用の山小屋が建てられたとき、大工手伝いの少年が、夜池の畔にたたずむ亡母の姿を見たという話も残っている。

 

なおその山小屋は戦後登山者の失火で焼失し、今はない。

 

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この日は終日隠居一人だったので、こんな話を思い出すと少々淋しかった。実は隠居も昔ここで不思議なめに遭っているのだが、その話は後日に。

 

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湿原の途中に青屋道と丸黒尾根の分岐点があり、青屋へ下る石仏の道と別れ、ここで右折する。

 

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 分岐点

 

ここから丸黒山までは、数年前にスキーで下ったことがあるが、雪が無い時はほんとうに久しぶりだった。

 

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通る人がまれな道はほとんど笹に覆われていたが、深い原生林を独りで笹を漕いで歩くのは結構楽しかった。

 

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 中間点の表示

 

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 前方丸黒山

 

長い尾根を歩き、ようやく丸黒山の手前の鞍部=桜ヶ根に出る。

 

ここには山岳スキー場時代に避難小屋があったというが、今は一面の笹原。

 

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数年前長倉本谷の右俣を遡った時にはここに出た。昔岩井谷にあった平金鉱山への物資補給路も長倉本谷からこの鞍部を通っていたという。

 

丸黒山への急な登りがすむと、あとは日影平の国立青少年の家まで国道のようないい道だ。

 

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 丸黒山山頂

 

青少年の家が宿泊者の登山のため絶えず手入れをしているからだ。

 

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 長倉本谷への下降路 数年前に下ったが、笹に埋もれていた

 

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 枯松平の休憩所 昔ここに山小屋があった

 

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バスの便がない青少年の家から自宅までは、前日デポしておいた愛用のマウンテンバイクで一気に下る予定だったが、ちょうど勤務が終わった顔見知りの職員さんに車同乗を強く勧められ、雨模様でもあったので甘えさせてもらった。

 

なんと彼は、駄吉林道経由で朴ノ木駐車場まで送ってくれ、この日のうちに自家用車を回収することができ、助かった。

 

今までにこの山のあちこちを山スキーで歩き、いくつもの谷を遡ってきたが、そのたびに大きさ深さに驚いている。

 

こうして身近にある偉大な山に関わり続けることができるのは、ささやかな山人生終盤の僥倖といえるだろう。

 

畳平440  剣ヶ峰700  中洞権現816 奥千町1020  千町ヶ原1100  丸黒山1417

日影平1710

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乗鞍岳(障がいを持つ若い人と一緒に)

2018.09.02 Sunday

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1週間前の826日(日)、乗鞍へ行ってきた。

 

隠居が所属している、障がい者の野外活動を支援する会(=NPO法人野あそび倶楽部)の事業で、知的な障がいがある若い方11名を、ボランティア23名がサポートして大黒岳、富士見岳などに登ってきた。

 

今回はボランティア体験ということで、神岡の中学生3名も父兄と一緒に参加してくれた。

 

あと肩の小屋前で昼食をとり、帰途についた。

 

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 神岡の中学生諸君を紹介

 

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 この日は自転車レースが行われていた

 

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 コマクサも枯れかけ

 

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 大黒岳頂上

 

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 肩の小屋のトタンがめくれていた

 

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バスで下山途中、Kくんの様子が急におかしくなったので夫婦松で停車し、同行のO医師が診断した結果持病の発作と判明。ここまで救急車にきてもらって、日赤病院へ搬送した。

 

たいしたことにならなかったのは、O医師と2名の看護師のおかげであった。

 

 今回は顔なじみのKくん、Hくんなども参加しており、久しぶりに参加した隠居のことを覚えてくれていた。

 

隠居が4年前にこの会の運営から引退するとき、色紙に見事な絵と字を書いて贈ってくれたY君も。

 

この色紙は、宝物として大切に居間に飾ってある。

 

 

いつも思うのは、彼らはほんとうに純真無垢だということ。

 

以前、別のY君が足の弱い子を背負い、濡れたベンチでは自分の帽子を背負った子の尻に敷いてあげているのを見て心を打たれたことがあった。

 

彼らには、人間が生まれながらに持っていながら世を経るうちに曇ってしまうといわれる「仏性」(純粋な人間性)が、そのまま残っているといえる。

 

今回もすばらしい笑顔の若い人から逆に元気をもらって帰った。いつもながら、このもらった元気は数日間持続する。

 

この会は、「支援される側、支援する側の垣根を取り払って共に自然を楽しむ」というモットーを掲げて設立されてからはや14年になる。

 

今ではそれが浸透し、双方和気あいあいと自然を楽しむことができるようになった。

 

この隠居が支援される側になる日も近い。

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樽前山

2018.08.27 Monday

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だいぶ鮮度が落ちましたが、「北の山」最後の1山ですのでおつきあいを。

 

いっこうに天気がはっきりしない日高山脈に別れを告げ、苫小牧でアイヌ関係の資料館に寄ってから一路小樽へ向かうことにした。

 

支笏湖畔を走っていて面白い山があることに気づき、行きがけの駄賃に寄って見ることに。

 

支笏湖の南側にある活火山の樽前山(たるまえやま・1041m)。

 

大きなカルデラの中央に溶岩ドームが盛り上がっている不思議な山で、高山植物も咲いているので人気のハイキングコースになっている。

 

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 駐車場がある登山口

 

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 途中で会った登山犬 マイザックを背負っていた

 飼い主曰く「山が好きな子で、多くの山に登っています」

 

山一面に咲いていたのがタルマエソウ(ゴマノハグサ科イワブクロの別名)。

 

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この溶岩ドームは「樽前山溶岩円頂丘」とも呼ばれ、天然記念物になっている。

 

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カルデラを一周したが、残念ながら霧に包まれ、溶岩ドームが見えたのは一瞬だった。

 

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これで今年の北の山行脚は終わった。

 

まだ7月だというのに支笏湖には秋のような風が吹き渡り、この年寄りは柄にもなく感傷的になってしまった。

 

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乗鞍水系・黍生谷

2018.08.22 Wednesday

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 昨年越えた、標高1400mにある滝

 

今年の「年寄りの冷や水山行」3回目は、乗鞍岳南面の黍生(きびう)谷へ。

 

「母なる山」乗鞍岳からは飛騨側だけで12本の谷が落ちていて、恵みの水は日本海と太平洋へ注いでいる。

 

身近にあるこの山のことをもっと知りたいと、今までに五色ヶ原のガイドツアーで規制がある北西面の3つの谷を除いて、10本(2股を含め)の谷を遡った。

 

どの谷にも手つかずの自然が残っていてすばらしい滝がいくもあり、登山本来の未知へのあこがれを満足させてくれ、乗鞍岳の大きさ深さを再認識することができた。

 

乗鞍の谷に精通しておられる地元旧朝日村在住の山スキー仲間Fさんのおかげである。

 

最後に残ったのがこの黍生谷で、昨年8月にFさん、Sさんとで下部から入って見たが、途中で時間切れに。

 

今年再挑戦ということで819日、Fさん、Nさんと入った。

 

昨年同様車1台を下山予定の阿多野集落林道末端に置きに行き、黍生集落から林道を1時間半ほど歩く。

 

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 下山予定地だった阿多野集落 東谷が崩落していた

   高峰は乗鞍・屏風岳と大日岳 

 

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 過疎というより今や限界集落

 

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 背後に御嶽山

 

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入渓地点は昨年上がってきた場所からなので、林道から斜面を下る。

 

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 昨年の目印

 

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今回も残念ながら途中で時間切れとなり、平凡な(大きい滝がない)谷を歩いただけで、美しいナメ滝が連続するという上部へ到達できずに引き返した。

 

この足弱老人が、俊足の若い2人の足を引っ張ったこともある。

 

次回はなんとか稜線(中洞権現)まで到達したいものだ。

 

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 林道へ上がる

 

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 もうススキの穂が

 

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このところ急に涼しくなり、はや谷の水も冷たかったので、今年の「年寄りの冷や水山行」はこれで終わりかも知れない。

 

沢登りのシーズンはほんとうに短い。

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日高山脈・アポイ岳

2018.08.16 Thursday

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飛騨山脈に沸き立つ夏の雲(14日・上野平)

これを見ていると、穂高の滝谷や前穂東壁などで岩登りに明け暮れた遠き日の夏山合宿を思い出す

 

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いささか鮮度が落ちましたが、再び7月の北の山のご報告を。

 

昨年は好天が続き多くの北の山に登れたが、今年は相変わらず天気が悪く、地元の人は本州の梅雨のようだと言っている。

 

足弱じいさんはだんだん弱気になり、日高からというより北の山からの撤退を考えていたところ、カムイ岳で一緒になったご夫婦から、南日高に短時間で登れ、花で有名な山があることを聞いた。

 

アポイ岳という海岸に近い所にある山で、アポイとはアイヌ語で「火を炊いた山」という意味らしい。

 

さっそくカムイ岳へ登った翌日に行って見た。

 

この山の特徴は、標高810mの山ながら350mからハイマツ帯になり、多くの高山植物(約80種)が見られることだ。

 

これは海岸の厳しい気象条件にさらされていることと、植物の生育を阻害する特殊な土壌(かんらん岩)が平地の植物の侵入を拒み、疑似的な高山帯をつくっているからだと言われている。

 

アポイキンバイ、アポイマンテマ、アポイクワガタなど、亜種、変種を含む固有種は20種もあるという。

 

花が多く、往復56時間なのでハイカーに人気の山らしい。

 

といっても日高山脈の山、登山口にはクマが出たので注意とあった。

 

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針葉樹林帯のなかのよく整備されたゆるやかな登山道をたどる。

 

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所々に休憩場所が設けてあり、昨日登ったカムイ岳とは大違いで、これこそ老人向きの山だ。

 

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5合目の小屋まで地元の小学生が登りに来ていてにぎやかだった。

 

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5合目の小屋を過ぎてしばらく登ると、腕章を付けて植物を調べている中年の男性がおられいろいろ話を聞くことができたが、高山植物は近年盗掘や気候変動でだいぶ減っているとのことだった。

 

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 アポイクワガタが一面咲いていた

 

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 アポイキンバイも一面に

 

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 アポイハハコ

 

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 アポイマンテマ

 

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 エゾハクサンボウフウ

 

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 アポイツメクサ

 

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 エゾコウゾリナ

 

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 サマニオトギリ

 

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 ハイマツ帯の上にダケカンバ帯があるのもこの山の特徴

 

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この日も山は終日ガスに覆われていたが、下山途中に一瞬だけ頂上付近と眼下の海岸線が姿を見せてくれた。

 

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 登山口にあり、アポイ岳の動植物、地質などが学べる

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乗鞍水系九蔵川・小俣谷

2018.08.10 Friday

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あまり暑いので、飛騨の谷の涼風をお届けします。(北の山の報告は中断)

 

隠居の今シーズンの「年寄りの冷や水山行」は北海道のカムイ岳が幕開けだったが、2回目は85日に乗鞍水系九蔵川へ。

 

このところ毎年岐阜の山岳会の方々をお連れして飛騨の谷を歩いているが、今年は大垣の山岳会の知友Nさんはじめ4名も参加され、10名となった。

 

乗鞍の谷に精通しておられる地元のFさんにも同行いただいて、総勢12名で大人の水遊びを楽しんできた。

 

九蔵川沿いの森林管理署林道ゲート600mくらい手前に駐車し、林道を2匱緤發と小俣谷の分岐に出る。

 

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 小俣谷沿いの林道を少し歩いて入渓

 

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 この大滝は右を高まき

 

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 この大滝までとし、谷を少し下ってから左岸の林道へあがる

 

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今回の年齢構成は40歳代から506070歳代、そして82歳のS大先輩も参加された。

 

Sさんは、岐阜市の老舗山岳会〇〇登高会のメンバーでもあり、お若い時には穂高の屏風岩や前穂4峰の冬季初登攀をしておられる名クライマー。

 

今なお体力抜群で、先日体力チェックに上高地から奥穂高を日帰り往復されたとのこと。

 

隠居が励みにさせてもらっている方だ。

 

今回も途中のクライミングなどは難なくこなしておられた。

 

今年は長期間雨が降らず水量は少なかったが、それでも霊峰乗鞍からの清冽な水は絶えることなく、我々を楽しませてくれた。

 

夏はなんといっても沢登りに限る。

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