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乗鞍岳で滑り納め

2019.06.17 Monday

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先回書いたように、今シーズンは4月、5月のチベット行きで春スキーができなかった。

 

このため老骨は先週の立山のあと欲が出て、梅雨の晴れ間をねらって乗鞍岳へ行き、「納め」とした。

 

同行はテレマーカーのKさん。

 

この日は快晴。

 

蚕玉沢は岩が露出していたのでやめて、蚕玉岳と朝日岳の間の沢を上部から滑り、また途中から登り返して滑り、今シーズンを終えた。

 

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 笠ヶ岳と抜戸岳(バスの車窓から)

 

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 権現池と雪岳

 

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 霊峰白山を遥拝

 

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 滑降ルートとクレバス(青色)

 

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 じいさんの加齢な滑り

 

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 下から登る人も

 

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 再度途中まで登って滑る

 

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今シーズンはこれでまだ17回。昨シーズンは23回で、62日に立山山崎カールを滑って納めている。

 

この年になると来シーズンのことはわからないが、とにかく今シーズンは怪我もなく楽しむことができたので、大いなるものと山に感謝をして下山した。

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立山浄土山

2019.06.11 Tuesday

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浄土山からの剣岳

 

今シーズンの山スキーは、4月にチベット行きがあったため3月末の流葉山で中断していた。

 

旅の終りがけに引いた風邪のセキが帰国後も取れずに再開できずにいたが、「仕舞われる前にもういちど滑りたい」と愛用の板と靴にせがまれ、梅雨に入る直前の晴天の日(6月6日)をねらって立山へ行ってきた。

 

老骨に付き合ってくれたのは、2週間前にも立山へきているスキー仲間のSさん。

 

高山を5時に出たが平日とあって空いており、始発に乗って順調に室堂へ。

 

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いつも滑る雄山からの山崎カールなどはもう岩やクレバスが出ていたため、浄土山(2831m)へ行くことに。

 

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一の越の手前から右折して浄土山方向へとむかい、途中からスキーを脱いで夏道へ入る。

 

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 滑降したルート

 

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チベットでの高度順化のおかげであろう、病み上がりにしては調子よく登ることができた。

 

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 もう花が

 

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頂上からは富山平野や剣岳、そして南に目を転じると飛騨の槍ヶ岳や笠ヶ岳などが遠望できた。

 

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 家人から乞食みたいと言われた隠居の雄姿?

 

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 槍ヶ岳

 

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 わが笠ヶ岳も

 

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誰もいない頂上で心を開放し、この上ない幸せな気分にひたれるのだから、ここはまさに「お浄土」。

 

しかしまだ「お浄土の人」になるわけにはいかないので、頂上からの斜面を大きく左へトラバースし、北側のかなりの急斜面を滑降した。

 

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 雷鳥

 

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 Sさんの滑降(動画から)

 

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あとはそのまま室堂まで滑降となる。

 

この爽快さは何なのだろうか。

 

司馬遼太郎は遊牧民のことを、「騎乗で常にとどまることがなく動いている彼らは、一瞬の光の中にいる」と言ったが、大げさながらこれはわれわれ山スキーヤーにもあてはまるのではないかと思う。

 

われわれ農耕民族は一定の地面で身をかがめ日常の繰り返しで生涯を送るが、たまにこうして速く動くことを好むのは、大陸にいた頃の先祖の血だろうか。

 

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などととりとめのないことを考えながら室堂へ滑り込む。

 

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これで「板納め」となればいいが・・・。

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今頃の飛騨山脈と穂高の森

2019.06.05 Wednesday

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チベットの話はまだ続きますが、少し休ませていただいて、新緑の低山の上に残雪がまぶしいわが飛騨山脈をご覧ください。

 

5月末から昨日までの様子です。

 

6月2日、久しぶりに飛騨山脈山麓の自然豊かな「穂高の森」も歩いてきましたが、終わったと思ったニリンソウがまだ咲いていました。

 

 

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 笠ヶ岳の「代掻き馬」もまだ健在

 

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 こんな場所から笠ヶ岳が見えるのを発見

 

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 黒部五郎岳

 

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 6月1日には山岳会恒例の夏山安全祈願祭「山刀祭」が行われ、愛用のピッケル、アイゼンなどをお祓いしてもらった

 

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 昨日はもう夏の雲も

 

穂高の森はいつきても癒され、チベットの疲れもすっかり取れました。

 

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 南岳もよく見えた

 

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まさに「ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」(啄木)

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チベット 5 カンリ・ガルポ山群偵察登山

2019.05.29 Wednesday

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 カンリ・ガルポ山群 ラロンバー氷河

 

『ヒマラヤの東・山岳地図帳』などを出版し、今や世界的な東チベットの地理学者中村保氏が、「知られざる南東チベットの山群」と呼んだカンリ・ガルポ山群(全長280繊砲愼るのも今回の目的のひとつだ。

 

登山隊は我々6名のほか、監視役の旅行社社長、補助1名、運転手、その会社の山岳カメラマンが同行することになり、総勢10名になった。

 

我々のテントや登攀具など装備のすべて、食料のほとんどは日本から持ち込んだ。

 

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ラウーの集落を過ぎて少し走った所がラロンバー氷河への入口となるが、天気がすぐれず山の全容は見えなかった。

 

氷河までは低灌木が生える広大な平原になっていて、所々にヤクが放牧してある。

 

そのなかに未舗装の放牧用の道らしき痕跡がついている。

 

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ネパール側の場合、地形が凹凸なのでベースキャンプまで雇用したポーターが荷を担ぐが、平坦な地形のチベットではある部分まで四輪駆動車で入り、その後はヤクが荷を運んできた。

 

ところが最近ヤクはたくさんいるものの「ヤク使い」がいなくなり、登山隊の荷の輸送が難しくなった。

 

近年交易でヤクを使うことがほとんどなくなったからだ。馬も少なくなっている。

 

普通車を乗り入れたらさっそく水たまりに潜ってしまい、皆で押して脱出。

 

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通りかかったチベット人の若い男女が泥だらけになって助けてくれた。

 

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この時期には金になる「冬虫夏草」が採れるということで、今や若い人は馬でなくオフロードのバイクで高原を走り回っているのだ。

 

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途方に暮れていたら、ガイドがトラクターを雇ってきた。

 

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そういえばここへ来る途中、道路工事現場で何台ものトラクターがブロックを運んでいた。

 

チベットでは耕作用でなく運搬用に使われている。

 

なんと1台の中国製トラクターに荷と10名全員が乗り、奥地へと進む。運転手は時々停まってエンジンに水をかけていた。

 

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悪路が続き、振り落とされないように必死でつかまっていなければならなかった。

 

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氷河末端の放牧地4500mに着き、テントを張る。

 

いつもはこの高度で高山病の症状が出る人がいるのだが、今回は順応がうまくいって全員調子がよかった。

 

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登山リーダーを任されていた隠居は、早速目的の尾根に登るルートを見つけ、その下部まで偵察隊3名を出す。

 

この尾根のピーク(約5500m)に登り、奥に居並ぶ未踏峰へのルートを探すのが今回の目的だ。

 

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6000mの未踏峰へルートが見つかっても今回は登山許可を得ていないので登ることはできないし、日にちもない。次回のための偵察だ。

 

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 氷河の奧にある未踏峰

 

4700mあたりまで偵察の結果、急峻ながら雪渓が上部まで続いており、ロープを使って登れることがわかった。

 

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6名中5名が明日の登山に加わることになり、登攀具を配分する。

 

60歳をこえているとはいえ、5名中4名が今も冬山をやっている現役のクライマーで、隠居だけが元クライマー。

 

急な雪壁も難なく登れるはずだったが、夕方から雪が降り出した。

 

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 チベット人のスタッフ

 

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 乾燥したヤクのフンはよく燃える

 

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一晩中降っていた雪は朝になってもいっこうに止まず、尾根上は相当の積雪になっていると思われた。

 

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 ヤクは動かない このあと数日は絶食

 

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どうも早いモンスーン入りとなった模様なので、協議の結果やむなく下山を決する。

 

これ以上の積雪になるとトラクターの運行ができなくなり、何日も山に閉じ込められてしまうからだ。

 

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 西チベット人にとって雪が珍しい

 

携帯電話でトラクターの持ち主に無理を言って来てもらい、ふりしきる雪の中をスリップしながら必死に走り、なんとか脱出できた。

 

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かくして今年のチベット登山はあっけなく終わってしまった。

 

子供じみた言い方ながら、隠居の今までのチベット未踏峰登山は、4年間で33勝(いずれもポストモンスーンで、そのうち1回は前年に偵察している)だったが、残念ながら今回は標高が低いのに登ることができなかった。

 

今まで運がよすぎたわけで、これが登山というものだ。

 

帰ったすぐには風邪をこじらせたこともあり、もうこれでチベット登山は卒業しようなどと思っていたが、今日になったら「冥途の土産に来年はあのピークに立ち、カンリ・ガルポ山群を見渡したい」などと考えはじめている。

 

この困った老人、だんだん高所で体が動かなくなるというのに、夢だけはまだ未踏の山野を駆け巡っている。

 

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チベット 4 ラサ〜ニェンティ〜ラウー(登山口)

2019.05.22 Wednesday

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 セジラ峠からのナムチェバルワ峰(7780m)

  2018.11.1 現地旅行社のハン社長撮影

 

道草を食っていてなかなか登山地カンリ・ガルポ山群へ辿り着けないが、以前とちがって、今回は登山だけでなく道草も目的なのでお付き合いを。

 

道草とは、四川省の成都から横断山脈を越え、ラサを結ぶ歴史の道=茶馬古道、川蔵公路をたどること。

 

現在ここは外国人が入りにくいエリアで、一部は立ち入りが許可されていない。

 

ラサからニェンティまでの420舛蓮以前なかった高速道路がついていて驚いた。無料なのに走っている車はほとんどいなかった。

 

ニェンティ市の公安(警察署)で外国人入域許可書を取得。

 

他の中国地域と違い、チベット自治区ではこうした許認可を含めすべての旅程を現地旅行会社を通じて手配しなければならない。

 

そして現地でのすべての行動は、旅行会社のガイド同行が義務付けられている。

 

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写真撮影にも厳重な制限があり、軍、共産党および地方政府の施設、警察署や警察官などを撮影した場合自治区から退去させられ、ブラックリストに載るので2度と自治区に入れない。

 

ニェンティからダモウを経て登山口ラウーまでの川蔵公路370舛癲⊃年前は悪路で時々崩壊して通行止めが頻繁と聞いていたが、34年前に全面改良されたとのことで、きれいな舗装道路になっていた。

 

そして五体投地でラサへむかう人も見かけなかった。

 

このところの中国政府のチベットに対する急速な現代化政策=「改善」で大きく変わってしまっていたのだ。

 

沿道の民家も政府の補助金で建て替えた家が多く、昔ながらのチベットの山村風景を期待していた我々は少々がっかりした。

 

それでも往時の宿場のなごりが見られ、明るいチベット人たちとの交流は楽しかったし、未踏峰が立ち並ぶ山岳風景はさすがすばらしかった。

 

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ガイドの話では、現在中国政府は資金が潤沢で、成都からラサまで横断山脈にトンネルを掘り、いくつもの大河に橋を架けて、高速道路でつなぐ予定だという。

 

9年ぶりの隠居ならまだしも、2年前にきたことがある隊員が驚くほど急速な変貌ぶりを見ると、この計画の実現も早いと思われる。

 

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 セジラ峠手前の峠で薬草を売っていた。サルオガセも。

 

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途中4700mのセジ・ラ(ラ=峠)を越す。

 

ここからはナムチャバルワ峰(7780m)が望めるはずだが、往き帰りとも雲の中だった。

 

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峠を下ったところにあるダモウというところは、以前ラサの西で登ったニェンチェンタンラ山脈がここまで延びてきていて、6000級の氷河を持った峻峰が市街地を取り囲んでおり、しかも皆未踏峰である。

 

東チベットは、乾燥した大地が広がる西チベットと違って森林が多く、木材を使った家も見られる。

 

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 2005年に行ったニェンティそばの木造民家

  飛騨の農家とよく似ていた

 

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そこにはいろんな鳥が生息していて、同行の鳥博士Uさんは撮影に大忙しだった。

 

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 ダモウ市内からの山々

 

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 センギ・カンリ 6000m級の未踏峰

 

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 ドルジェタ 6200mの未踏峰

 

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 桑の実

 

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 サクランボ

 

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この日は、ラウー湖の畔にあるホテル泊。

 

このあたりは上高地のような風景がどこまでも続き、道路がよくなるとともに一大観光地になるだろう。

 

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 土産売りの子供に日本から持参のオモチャをプレゼント

 

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今までの旅は許可を得なければ入れないエリアで、それなりに自分の知的好奇心を満たしてくれたが、所詮はホテル泊まりの観光旅行だった。

 

変わり者の隠居は、そろそろこの安全性が確保されているぜいたくな?旅に飽きてきて、安全ネットがない不確実性が伴う旅(=未踏峰登山)が恋しくなってきた。なんとも困った年寄りだ。

 

明日はいよいよカンリ・ガルポ山群での登山活動を開始。

 

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チベット 3 ラサの今

2019.05.15 Wednesday

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もしむこうで斃れたら鳥葬にしてもらいたいと願っていましたが、この我欲にまみれた老骨はハゲワシも食わないと知って帰ってまいりました。

 

さて横断山脈へ逆戻りするため9年ぶりに立ち寄ったラサは、大きく様変わりしていた。

 

2006年、青海省ゴルムドからラサへの鉄道が敷設されて大幅な観光客増が見込まれると、漢人の商人が大挙してラサに乗り込み、町の西側は大きく変わり、キチュ川中州には高級住宅が林立していて、その変貌ぶりには驚くばかりであった。

 

チベットがはじめての隊員もいたので、ポタラ宮、ノルブリンカ(歴代ダライ・ラマの離宮)、ジョカン(大昭寺)を見学。

 

世界遺産ポタラ宮は、鉄道がついてから建物保護のため入場者数を制限し、事前予約制になっていたが、この日は意外と空いていた。最近西洋人が少ないとか。

 

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1000を超える部屋があるといわれるが、見学コースが決まられていてその一部しか見られない。内部は写真撮影禁止。

 

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それでも歴代のダライ・ラマのミイラを宝石で飾られた大きい像のなかに納めてある霊塔は、見ごたえがある。

 

建物上部の紅色の部分は、この霊塔など宗教に関わる「聖」の部分。

 

下部の白い部分は、ダライ・ラマの住居であり、政治を執り行った場所。いわば「俗」の部分。

 

壁に塗ってある白い漆喰には、ヤクの牛乳が練り込んであるという。

 

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 回すとお経を読んだことになるマニ車

 

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ノルブリンカは、ダライ・ラマ7世が建てた夏の離宮。

 

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14世がインドへ亡命する直前まで使っていたレコードプレーヤーやラジオ、西洋式のシャワールームまである。

 

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旧市街地にある7世紀吐番時代創建のジョカン(これも世界遺産)は、今も五体投地をする人が絶えなかった。

 

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ジョカンを時計回りに一周する巡礼通りパルコルは、以前あった多くの屋台店が撤去させられきれいな通りになっていて物足りなかったが、それでもまだいちばんチベットの雰囲気を残していて、ここでも五体投地で回っている人がいた。

 

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時間の関係で、セラ・ゴンパ(河口慧海や多田等観が学んだ寺)や郊外にある広大なデプン・ゴンパを見ることはできなかったが、案内してくれた現地旅行社の社長自らがチベット仏教の熱心な信者で、日本の仏教にも造詣が深く、多くのことを学ぶことができた。

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チベットから 2

2019.05.05 Sunday

このチベットだより、その後ご無沙汰していますが、現地の通信環境が悪く、うまく送れないまま移動しています。

 

昨日着いたラサからもうまくゆかず、再度送ってみますが、はたしてうまくゆきますかどうか。

 

われわれがたどっている成都からラサへの歴史の茶馬古道は、四川省のバタンから直接チベットへ入ることができない。

 

現在横断山脈の一部区域が、外国人立ち入り禁止になっているからだ。

 

このためやむなく四川省のリタンからいったん南下し、金沙江を渡って雲南省へ入った。

 

そしてシャングリラから国内線でラサへ飛び、こんどは逆にラサから横断山脈西端の目的地カンリガルボ氷河へ向かうことに。

 

外国人立ち入り禁止区域は、四川省から少しの区間なのに、大廻りせねばならない。

 

チベットは、ラサ以外の外国人立ち入りは、軍、政府、地元警察の許可が必要なので致し方ない。

 

シャングリラへの途中、梅里雪山が見える飛来寺へ寄ったが、あいにく山の全容はみえなかった。

 

 

      揚子江の源流 金沙江の流れ

 

 

      

       ベルマカンリ

 

 

      梅里雪山

 

 

 

あと梅里雪山の山麓を流れる大河メコン川源流の  俯瞰できるところまで下ってみた。

 

        メコン川の流れ

      

 

 

  上の写真 

メコン川の対岸に、上部に氷河がある谷が望めたが、1991年1月、梅里雪山に挑んだ日中合同登山隊17名が雪崩に埋まって死亡した谷と、下流の集落だった。遺体は何年もかかって下流にはこばれ、順次発見された。 その現場に向かって黙祷をした。この山はカワカブと呼ばれ、チベット仏教の四大聖山のひとつで皆に崇められている。このため地元では、山を汚したからだと言われているようだ。p>

 

シャングリラには、雲南省のポタラ宮といわれる大きいソンツェンリンゴンパがある。

 

 

 

シャングリラからラサへ飛ぶ。 9年ぶりのラサは大きい建物が建ち並び、変貌していたが、お寺では多くの若い人が五体投地をしているなど、チベット人の信仰心だけは変わっていないようだった。p>

 

 

       世界遺産 ポタラ宮

 

 

明日は東のニェンティ市まで行き、地元警察から目的地カンリガルボ氷河地区への立ち入り許可をとらねばならない。外国人立入許可書などというものは、明治初期政府がガウランドに発行していたものを思い出す。p>

 

そしてさらに横断山脈へと東進する。

 

あこがれの山カンリガルポ山群は遠い。

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

 

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チベットから 1

2019.05.01 Wednesday



成都からラサへのティーロードの旅は、令和の今日、まだ四川省のチベット集落に滞在中。


途中チベット人が仏像に見たて、崇めている聖山を見学。


6000m級ながら素晴らしい山ですが、当然許可が下りず未踏峰。


四川省の西部は標高が高く、いくつも越えた峠は皆4500mくらいで、宿泊場所は3000mから3600m。


このため登山のための高度順化ができています。


明日は横断山脈を流れる大河のうち金沙江(長江源流)へ接近。    郷城にて





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チベットへ

2019.04.25 Thursday

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この年になっても未知へのあこがれは止まず、明日からまたチベットへ行くことになりました。

 

乾いた大地がどこまでも広がっているだけの虚空の国、標高が高くて雲に手が届きそうな天空の国になぜか魅かれるのです。

 

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5回目になる今回は、今までのように一つの山を目的とするのでなく、四川省の成都から真西へラサまで歴史の古道「川蔵公路」を車で約

2600前幣絨榮阿掘途中の氷河で小登山をする計画です。

 

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移動の途中では、ミニヤ・コンカ(7,556m)や梅里雪山(ミンリンカンリ・6,740m)ナムチャバルワ(7,782m)などの名峰が見られます。

 

踏査の山は横断山脈の西端、6000m級の未踏峰が多くあるカンリ・ガルポ山群。

 

多くの氷河を擁する東西280舛了殻で、チベットの山に詳しい中村保氏が著書『ヒマラヤの東』でこの山域のことを、「知られざる南東チベットの山群」と書いています。

 

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今回はラロンバー氷河に入ってテント泊をし、偵察がてら小ピークに立てたらと思っています。

 

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 氷河奥にある未踏の峻峰

 

この計画は、松本市のMさんが3年かけてめんどうな許認可の取得などを行った、全く手作りの山旅。

 

拙者はMさんと2010年に未踏峰ダ・カンリに登った時のご縁でお誘いいただけたのです。

 

隊員は長野県3名、東京1名、三重県1名と岐阜の隠居。

 

隊の名前は「シルクロード踏査と偵察登山隊」(シルクロードはティーロードのほうがよかったかも)

 

今回我々が入る、四川省成都から康定(ダシェド)と理搪(レタン)を通り、横断山脈を越えてチベットのラサへ至る古道は、明治32年東本願寺の僧能海寛(のうみ・ゆたか)と寺本常太郎が経典を求めて入ったものの、巴塘(パタン)で入域を拒まれたルート。

 

能海寛は再度別ルートで挑戦しますが、途中で山賊に惨殺されています。

 

明治から大正かけては求法のために、戦前には密命を帯びて10人の日本人が閉ざされたチベットへ入ろうとし、あるいは入って貴重な体験をしました。

 

チベットへ入った日本人のことを『西蔵漂泊』(山と渓谷社)に詳しく書いた江本嘉伸氏は、行動の時期で第一グループを能海寛、寺本婉雅、河口慧海、成田安輝、第二グループを矢島保治郎、青木文教、多田等観、再入蔵の河口慧海、第三グループを太平洋戦争の直前に国家のため情報収集でモンゴル人になりすまし、チベットに入った野本甚蔵、西川一三、木村肥佐生としています。

 

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 五体投地をしながら何日もかけてラサへ

 

西川と木村は敗戦も知らずにしばらく留まっていて、帰国後その体験を西川は『秘境西域八年の潜行』、木村は『チベット潜行十年』として書いており、皆さんもご存知だと思います。特に西川の僧院での最下級僧としての生活体験は貴重なものとされています。

 

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 世界遺産 ポタラ宮

 

僧籍にある人は仏典を持ち帰るのを目的としましたが、それを果たしたのは河口慧海、多田等観、寺本婉雅でした。

 

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チベットへ向かった日本人を、学僧、旅人、探検家などと呼ぶことが多いが、司馬遼太郎は「知識人の夢」

と言っています。

 

江本氏は『西蔵漂泊』の終章に「日本人であることを隠し、閉ざされていたチベットに入って行った旅人たちの記録を追いながら、旅というものが、いかに知的刺激にあふれたものであるかを改めて思った」

 

「困難ではあったが、十人は幸せな旅をした。現代では彼らが実践したような知の体験はまれである。」

と書いています。

 

冒頭に書いたように今回は登山だけではないので、体は弱っているものの知的好奇心だけは旺盛な隠居は、「知の体験」をしてきたいと思います。

 

いずれも冥途への土産になることは間違いなさそうです。

 

ご存知のように、かの民族は現在たいへん困難な状況に置かれており、通過者ながら心が痛むことが多いと思われますが、その現実も直視してきたいと思っております。

 

当然現地で政治向きのことは「見猿、言わ猿、聞か猿」が入域の条件になっています。

 

現地から景色に限定しての写真の送付を試みますが、僻地のこと故うまくゆかない気がします。

 

無事帰りましたら詳細をご報告いたしますので、しばらくお待ちください。

 

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 2005年の登山 アプローチは馬で

 

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 荷はヤクで

 

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 2005年に登った山

 

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 2007年に登った山(中央奧)

 

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 2010年に登った山(左)

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山岳資料館が開館

2019.04.15 Monday

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4月になっても天候が不順でなかなか山スキーに出かけられないが、この先スキー以外の山行計画も入っていて、スキーはしばらく中断だ。

 

さてあまり知られていないが、高山市の郊外に「山岳資料館」なるものがあり、不肖隠居が展示を担当している。

 

冬期間休館していたが春になって開館したので、紹介したい。

 

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 構内にはいつの間にか地蔵様などが集まってきておられる

 

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 いつも新しい「よだれかけ」をしてござるが

 どなたが替えられるのかわかなない

 

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大町市の山岳博物館にはとうてい及ばない小さい規模だが、展示物は登山、スキー用具をはじめ、飛騨山脈飛騨側の動植物、気象、岩石、登山史関係など多岐にわたる。

 

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この建物は明治36年、当時の大野郡灘村(現高山市桐生町)に建てられた元高山測候所。

 

昭和45年の測候所建て替え時に市街地の南西、松倉山の山麓にある「飛騨民俗村」の一角、飛騨山脈が望める場所へ移された。

 

当初犬山の明治村へ移築の話があったこの建物は、民俗村で唯一の洋風建築で、平成12年、特色ある近代建築として文化庁の「登録有形文化財」に登録された。

 

昭和4611月1日、飛騨山岳会や市民の協力でこの「山岳資料館」が開館。その後飛騨山岳会が展示品の管理を受け持っている。

 

特筆すべき展示品を紹介すると、まず古いスキー。

 

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明治44年(1911)1月、オーストリアのフオン・レルヒ陸軍少佐が高田師団へ一本杖スキーを紹介し、その後すぐ北海道へ伝わったことはご存知の通りであるが、この時北大に在学していた高山の造り酒屋の二木長右衛門(のちに飛騨山岳会長)が習得し、大正2年(1913)にスキー術を持ち帰って旧制斐太中学へ伝えた。(北大へは、レルヒ少佐来日の2年前にスイス人のドイツ語教師ハンス・コーラが伝えたともいわれる。)

 

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 昭和9年の乗鞍岳スキー登山

 

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このように飛騨へは早い時期にスキーが伝わり、道具ははじめ新潟の高田製のものを買っていたが、その後地元にも板メーカーが誕生した。

 

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主にこの時期のスキーが展示してあるが、スキーが高価だったため、木を削った手製のものもある。子供用もあるが、おそらく親が子のために丹精して作ったものであろう。

 

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次に珍しいのが飛騨産のピッケル。

 

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大正期に飛騨の岳人が鍛冶屋に外国製を見せて作らせたものらしいが、そのうちの一本は「飛騨」の銘があり、姿が美しく、ウッドピッケルを研究している方からの問い合わせもある。

 

小さいほうは一時は量産され、市内で売られていたことがわかった。

 

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あとは登山史コーナーには宗教登山の関係も若干展示があるが、貴重なものは江戸期に播隆よりも40年も前に笠ヶ岳に登頂した地元宗猷寺南裔(なんねい)禅師の書。

 

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南裔は江戸まで行って三井親和(しんな)に書と篆刻を学んだ、当時の飛騨の書の大家でもある。

 

このほか飛騨の登山史も学べる。

 

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海外登山のコーナーには、飛騨山岳会のささやかな海外登山の足跡が写真で展示してある。

 

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最近は外国人(西洋人)の入館が多い。

 

隠居の年代くらいの人にとっては、青春期に使用したなつかしい登攀道具もあるので、山の帰りなどにぜひお立ち寄りください。

 

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 珍しいロックハーケン

 

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 昭和9年の乗鞍登山 ザイルやピッケル、アイゼンは輸入品

 

資料館の下には井上靖や瀧井孝作などの文学碑がならぶ「文学の小径」があり、飛騨山脈を眺めながら散歩するのもいいでしょう。

 

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 郷土の歌人で飛騨山岳会会員でもあった福田夕咲の歌碑(左)と

  飛騨山岳会創立100周年(2010年)の記念石碑

 

入場料無料 無人 下に民俗村の無料駐車場あり。

 

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 4月16日の乗鞍岳

 

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 4月18日の笠ヶ岳 槍穂高岳

 

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  下呂市萩原町四美のしだれ桜

 

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 臥竜桜も満開に 4月23日

 

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 高山市内も満開

 

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