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倉坂峠(北国街道・脇道)

2019.11.19 Tuesday

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 倉坂峠

 

たまには飛騨以外の峠を歩きたくなって、11月のはじめ湖北に遊んだついでに、福井県境の古い峠を越えてみた。

 

北国街道の脇街道、間道ともいうべき道で、以前いちど歩いたことがある。

 

ご存じ北国街道というのは、近江の鳥居本宿で中山道と別れ、日本海沿いを北上し、直江津から善光寺を経て軽井沢の追分で中山道に合流する。

 

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近江の木之本宿の次に柳ヶ瀬宿があり、ここで北国街道と分かれて直接敦賀へ出る峠道だ。

 

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 北国街道

 

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 木之本宿

 

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県境が標高392mの倉坂峠(別名:刀根越え・久々坂峠)になっている。

 

この街道は古代大陸からの渡来人が越え、中世には賤ヶ岳の合戦(天正11)における柴田勝家の軍事的拠点「玄蕃尾城」が峠の上に造られ、近代になっては明治天皇が北陸巡幸の際越えられた歴史の道だ。

 

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鉄道が開通するまで、畿内と敦賀を結ぶ主要街道であった。

 

柳ヶ瀬宿跡は木之本宿と違ってもう古い家屋はなく宿場の雰囲気は残っていないが、集落のなかほどに本陣だった鈴木家だけが残っており、「明治天皇柳ケ瀬行在所」の碑が立っている。

 

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 柳ヶ瀬宿の道祖神

 

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「柳ケ瀬関所跡」の碑が立っている場所には、幕末まで常時6人の番人が昼夜2人ずつ交代で勤務していたという。

 

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柳ヶ瀬の北のはずれに北国街道と刀根越えの分岐を示す石標があり、「右えちぜん かがのと道 左つるが 三国ふなのりば」と書いてある。

 

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ここから左の道に入るとすぐ山道になり、つづらおりの広い道が続く。

 

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峠に出ると、右側に城跡への入り口がある。

 

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以前来た時には城址まで行ったが、眼下に柳ヶ瀬の集落と北国街道が俯瞰できる、勝家の本陣として最適の場所だと思った。

 

少し刀根側へ下ると、大権現と書いた上に台座に石仏(いや、権現とあるので本地垂迹思想の神像か)が鎮座。

 

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 刀根側

 

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 柳ヶ瀬側の谷を少し歩くと滝があり、不動明王が祀ってあった

 

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古い峠に立って、そこを通った往時の人々のことを想像するのも峠歩きの楽しみの一つだ。

 

前述のように、ここは古代に大陸から敦賀に着いた多くの人々が通った道。

 

百済、新羅などから海を越えてきた彼らは、この先の異国での生活不安を抱えながらこの道を下ったのだろう。

 

そして淡海(琵琶湖)に出てその大きさに驚き、ある者は丸小舟(「まるこぶね」は当時なかったかも)で、ある者は徒歩で都へと行き、なかには湖畔に住みついた者もいたことだろう。

 

彼らは、きっと日本の山の緑の濃さに驚いたに違いないと思いながら山を下った。

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戸隠山

2019.11.11 Monday

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誰にも仕事や天候等で計画がつぶれ、登り残している山や岩場ルートがあるのではなかろうか。

 

隠居にも海外も含めいくつか残っていて、いまだ気になっている。

 

若いうちは再挑戦の可能性が残されているが、この年になるとそのほとんどをあきらめざるを得ないのに、それでも未練がましく思い続けているのは、妄執というほかない。

 

岩場ルートはもう無理だが、足が動くうちに容易に登れる山だけには登っておこうと考え、スキークラブの集いの帰路戸隠山(1904m)に登ってきた。

 

この山はその昔修験者の山だったので、修験道にかぶれている隠居としては登っておかねばならない山でもあった。

 

早朝の参道は静寂そのもので、お参りの一組の男女に出会っただけだった。

 

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奥社に参拝してから、登山道入口で持参の届を提出。

 

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1人の男性が届を書いていたので追い抜く。

 

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神域だけあってすばらしい森林が広がる。雨は降らないがあいにくガスがまいてきた。

 

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上部へ行くに従ってクサリがつけられた急峻な岩場が多くなり、これこそ修験の修行道場だとうれしくなる。

 

できるだけクサリに頼らず、クライミングを楽しむ。

 

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 地蔵様に真言を

 

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やがて「八方睨」という岩のピークに出、ここから難所と聞いていた「蟻の塔渡り」や「剣の刃渡り」という狭い岩稜になるが、不肖昔クライマーは難なく通過。

 

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戸隠山や九頭龍山などいくつかの峰を越えると、避難小屋がある一不動へ下る。

 

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ここへは昔高妻山に登ったとき通ったはずなのに、まったく記憶がなかった。

 

牧場からここまできて昼食をとってまた戻るという、男女3人組に出会う。

 

下るに従って紅葉がきれいになり、昔習った謡の『紅葉狩』の場所がこの戸隠山であることを思い出した。

 

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世阿弥作の初級の出し物で、「時雨を急ぐ紅葉狩・・・」ではじまる話の筋は、「鬼どもが上臈と侍女に化け、この山中で紅葉を愛でながら酒盛りをしていた。そこを通りかかった平家の武将平惟茂が酒宴に誘い込まれ、つい飲み過ぎて寝てしまった。眼を覚ますと鬼どもが襲いかかってきたのでこれを討ち取った」という鬼退治の活劇だ。

 

下山途中に紅葉狩りの酒宴にふさわしい場所がいくつかあった。

 

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やがて牧場に出て、自動車道を奥社入口の駐車場まで歩いて戻る。

 

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 このあたりはバードウォッチングにいいようだ

 

残念ながら山は終始霧に覆われ、姿をあらわさなかった。

 

帰路は旧鬼無里村経由で白馬へ下ったが、途中に松厳寺という曹洞宗の寺があり、縁起には戸隠で平惟茂に討たれた鬼女「紅葉」の霊を祀ってあるとあった。

 

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 鬼無里の松厳寺

 

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鬼女は都から流された高貴な女性で、出身は会津だという。

 

どうもこの話が能の『紅葉狩』になったようだ。

  

以下余談

あいかわらず修験道にかぶれている隠居だが、先日遠藤甲太氏の著書『登山史の森へ』(平凡社)を読み返していたら、おもしろい記述があった。

 

遠藤氏は、ラインホルト・メスナーが登山体験を1「業績体験(記録の蒐集・点数主義)」、2「ロマンティック体験(五感を通して喚起される気分)」、3「幻視体験(=極限状況下に顕現する超常意識、認識)」の3つに分類し、そのうちの「幻視体験」を最重視しているが、この幻視体験の死を賭した純粋遊戯の眩暈が、修験道に近い気がすると書いているのだ。

 

隠居と同い年ながら素晴らしい登攀歴を残していて尊敬するメスナーが、晩年東洋思想に関心を持っていることは知っていたので、これは頷ける。

 

そして遠藤氏は「命がけの冒険にあくまで固執するクライマーがほとんどいなくなった」、「死ぬほど真剣に遊んでいるホモ・ルーデンスはどこへ行ったのだろうか」とも。

 

隠居は、奈良時代剣岳の頂に立った無名の修験者のことがいつも頭から離れない。

 

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令和元年の紅葉2―笹ヶ峰・夢見平

2019.11.03 Sunday

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 遊歩道入口

 

紅葉前線が里の近くまで降りて来て、もうニュース性はなくなりましたが、1020日の妙高山山麓の紅葉をご覧ください。

 

妙高山の南西山麓に広がる笹ヶ峰牧場へは、昔火打山などへ山スキーに来た時に何回か入ったことがあるが、確か雪が無い時は初めてだった。

 

ダムの堰堤を渡ると、神道山山麓標高約1250mに一週4時間ほどの遊歩道(森林セラピーロード)がつけられていて、皆で盛りの紅葉を楽しみながら歩いた。

 

このエリアはその昔大規模な伐採のため森林鉄道が敷設され、多くの人が住んでいて学校まであったそうだ。今もその軌道や製材所の跡が残っていた。

 

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 身罷っていたモグラくんを埋葬する

 

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丈ヶ山(たけのやま)

2019.10.29 Tuesday

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 さらに白くなった槍、穂高岳(上野平・1028日)

 

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 乗鞍岳(上野平・1028日)

 

10月中旬、新潟県上越市南部にある小さな山=丈ヶ山(標高572m)に登ってきた。

 

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同行は山スキークラブのメンバーで、案内は地元在住の会員Gさん。

 

近年Gさんのグループが、登山道がなかったこの山を拓いてPRし、今も整備を続けておられる。

 

地元では、学校の校歌に詠い込まれるほど親しまれている山だとのこと。

 

駐車場のそばの延命清水で水を汲んでから少し歩くと薬師堂があり、拝観。

 

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中には三体の如来様がおられ、真ん中が薬師如来、右が釈迦如来、左脇が阿弥陀如来の配置で、お釈迦様が真ん中でないのが面白い。

 

この丈ヶ山を中心にした地域は、平安時代から『山寺三千坊』と言われ、山岳信仰の寺院が多くあったそうだ。

 

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よく整備された登山道を登ると1時間弱で平坦な頂上へ。

 

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隠居の住まいとほぼ同じ標高の頂上からは、頚城平野と日本海が望めた。

 

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 日本海

 

よく晴れると、黒姫山、高妻山、妙高山、火打山、遠くに佐渡島まで見えるそうだ。

 

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 晴れた日の展望(丈ヶ山ファンクラブのホームページから)

 左から黒姫山 高妻山 乙妻山 妙高山 火打山

 

日頃山の中に住んで山ばかり見ているので、山から平野と海が見えるとうれしくなる。

 

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寺へお経を聞きにくるなど、信心深かった二匹の猿が不慮の事故で死んだ供養碑。

 

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帰路地すべり資料館を見てから、昔地滑りを鎮めるため人柱になった僧の骨がある供養寺を参拝。

 

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雪深いこのあたりは、越後へ配流された親鸞の妻恵信尼の出身地で、彼女は晩年この板倉地区で過ごしたそうだ。

 

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この夜は妙高山麓にある燕温泉のホテルに泊まって懇親を行い、翌日は皆で笹ヶ峰へ紅葉狩りにでかけた。

 

このクラブは若い方もおられるが、隠居より年上の、今なお山スキーに並みでない情熱を持っておられる方も結構おられ、励みにさせてもらっている。

 

皆さん長く登山を続けておられ、隠居と同じで若い時罹った「山恋い病」が膏肓に入ってしまった重病人ばかり。

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令和元年の紅葉1−天生湿原

2019.10.25 Friday

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 木平湿原

 

高山祭りが終わったあとの天気がいい平日、思い立って天生湿原へいってきた。

 

今年の紅葉前線は例年より1週間から10日ほど遅れていると聞いていたが、やはり天生峠の駐車場あたりはほとんど色づいていなかった。

 

心配になりつつ湿原に入るとまあまあで、気をよくして久しぶりに木平湿原まで足を延ばした。

 

この年になると来年のことがわからないので、時間をかけてゆっくり堪能してきた。

 

令和元年の紅葉をご覧あれ。少々多いのでご容赦。

 

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平日とあって人は少なく、木平湿原コースでは誰にも会うことがなかった。

 

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 籾糠山

 

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天生峠は、ご存知のとおり泉鏡花の小説「高野聖」の舞台。

 

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 2018年10月18日の天生峠

 

鏡花は、この小説で近代作家としてただ一人神秘的な怪奇趣味を描くことに成功したと言われているが、実際にはここを訪れてはいない。

 

「信州との境」と書いているので、地理的には古安房(あぼう)峠ということになる。

 

両方の峠とも半年雪に埋もれている山深い峠で、発音もよく似ているので間違えたのであろう。

 

ただし両方とも小説にでてくるような大きい山ヒルが頭上から落ちてくることはないが、古安房峠のほうが山深い。

 

昔読んだ、山中の一軒屋に白痴の夫と住む妖しげな白桃の花のような美女と旅の僧の話は今でも憶えているが、鏡花調といわれる独特の艶麗な文体が芥川龍之介や川端康成に影響を与え、三島由紀夫が鏡花の絶対的な崇拝者であったことはその後知った。

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大峰山の聖地深仙で修験のまねごとを

2019.10.18 Friday

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 聖地深仙

 

「修験道は日本版アルピニズムだ」と言ったのは、若くして前穂高岳の北尾根に逝った大正期の不世出の登山家大島亮吉であった。

 

剣岳で奈良時代後期の錫杖が発見されるなど、修験者は古い時代から粗食で野宿をしながら険しい未踏の山野、急峻な岩場を跋渉しており、大島が言ったように、その行為は近代登山の先鋭的なクライマーとよく似ている。

 

隠居も遅まきながら修験道に魅せられ、今年も神秘の山大峯山へ行ってきた。

 

去年は老体を励まして吉野から熊野までの奥駈道約90劼鯑箸蠅琶發い燭、途中台風に遭って停滞したため、910日を要した。

 

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20繕瓩げ戮鯒愽蕕ぁ岩場が多い難路を毎日12時間近く歩くため、はじめのうちは難行苦行であったが、そのうちあまり疲れずに歩けたのは、この霊山からエネルギーを貰ったからだと思っている。

 

飛騨山脈とは一味違う、まったく人にあわない深い自然の中を何日も歩いていると、下界でのいろんな囚われから自由になり、空っぽになり、それは歩く瞑想であった。

 

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 去年10日間の奧駈で、6日目に唯一出会った熊野からの2名の山伏さん

 彼らから台風情報を得て事なきを得た(写真掲載承諾済み)

 前鬼へ下ると言っておられた 

 

帰ったあと、あわただしく通過した「深仙(しんせん)」という場所が、大峰山のなかで最も神聖な場所であることを知った。

 

その後もこの深仙のことが気になり、去年と同じ時期(10月はじめ)に、縦走でなく東の前鬼という登山口からテントを担いで登り、修験のまね事をしてきた。

 

高山から愛車を駆って吉野まで行き、吉野川沿いの国道169号線(東熊野街道)を大峰山脈に沿って南下し、川上村を過ぎて峠を越えると下北山村に入る。

 

登山口の前鬼は国道から林道を10舛曚鋲ったところにあるが、約8礎賄世縫押璽箸あるので、この前に駐車をして歩かねばならない。

 

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 不動七重滝(日本滝100選)

 

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前鬼というところには、驚くことに飛鳥時代大峰山を拓いた役行者(えんのぎょうじゃ)の弟子のご子孫が今も住んで、入峰の修験者を支えておられる。(このご子孫の話は後述)

 

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早朝若い修験者の方が、本堂の前で法螺貝を吹いてお勤めをしておられた。

 

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石垣だけが残っている坊の住居跡を過ぎ、霊気につつまれた鬱蒼とした原生林の中を登る。

 

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 靡(なびき=礼拝所・行場)

 

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 二つ岩 両童子 ここも靡(なびき=礼拝所・行場)

 

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やがて木がまばらな笹原になり、去年通過した主稜線の「太古の辻」に出る。

 

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ここが奧駈の中間地点で、ここからさらに山深い南奥駈道が始まるが、近年の修験者団体の奧駈けは、吉野からきてここで前鬼へ下り、バスで熊野へゆくそうだ。

 

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 靡(なびき=礼拝所・行場)

 

去年歩いた深仙への稜線を逆に辿る。

 

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去年は明け方だったので省略した大日岳(1568m)に登ることにする。

 

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頂上へは普通の登山道のほか、行者が修行する専用の岩場があったのでこのコースに入ってクライミングをする。

 

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 かなり年代が古い

 

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頂上には宇宙そのものを神格化したという大日如来坐像がおられ、真言を唱える。

 

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山であう雨や風、森林や谷、滝などはすべて大日如来の語られる真理と言われ、これ解するためには虚心になり、自然と一体にならなければならないという。

 

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 深仙を見下ろす(左の鞍部) ピークは釈迦ヶ岳

 

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大きい銅製クサリを頼りながら傾斜の強い岩場を登下降したが、下山後地元の登山者から、「大日岳の銅のクサリは腐食が進んでいて危ないと言われている」と聞いて肝を冷やした。これから行かれる諸賢はご注意あれ。

 

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やがて聖地深仙へ到着。

 

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去年は夕方着いてツエルトを張り、翌朝暗いうちに出発したので周りがよく見えなかったが、草地が多い全く静かな落ち着くところだった。お堂のそばにテントを張る。

 

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修験道では山の連なりを曼荼羅と見立てる。

 

大峯山では吉野側を金剛界、熊野側を胎蔵界とし、特に胎蔵界が重視され、胎蔵界の中心部「中台(宇宙の中心)」がこの深仙とされた。

 

ここは「深禅」「神仙」とも呼ばれ、役小角が瞑想行を行った場所で、仙人が住んでいたという。

 

そしてこの神聖な場所で、水を頭上に注いで仏と一体化する「灌頂儀礼」と、天と地を人がつなぐ「柱源神法」という儀礼が行われていた。

 

今でもその灌頂堂が残っていて、天台宗の三井寺が管理をされている。

 

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 前方の囲いは護摩を焚くところ

 

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隠居はにわか修験者になって、役小角像が祀ってあるお堂に入らせてもらい、朝夕読経と座禅(観想)など、修行のまねごとをして過ごした。

 

涸れていることが多い聖水「香精水(こうしょうすい)」も四天石の下から出ていた。この水で「灌頂儀礼」を行ったという。

 

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 水場への径

 

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 聖水=香精水

 

明け方の観想のときは、途中から朝日が堂内に差し込んできて仏像が輝き、まことに荘厳であった。

 

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 大日岳と朝日

 

途中釈迦ヶ岳(1799m)を往復する。この山へは十津川から短時間で登れるため、人に出会った。

 

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 釈迦ヶ岳頂上 この像は、分解して一人で担ぎ上げたという

 

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 熊野へ続く奧駈の山々

 

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一度くらいの修行で我執を滅却することなどできないが、それでも満たされた気分で往路を下り、前鬼の行者堂で下山のお礼を述べてから五鬼助家(小仲坊)を訪問。

 

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1300年余続く五鬼助家(小仲坊)についての下北山村教育委員会の説明は以下のとおりだ。

 

「白鳳3年(676年)役小角が大峯山を開山した時、その弟子になった義寛、義賢という夫婦が、修験道の行場守護の命を受け、この地(前鬼)に住みついた。この夫婦に5人の子(五鬼)がいて、それぞれ五鬼熊(行者坊)、五鬼上(中之坊)、五鬼助(小仲坊)、五鬼継(森本坊)と称し、館を構えてこの聖地を護ってきた。

明治5年の「修験宗廃止令」以降次々と山を下り、昭和40年には五鬼継家も下山され、今は五鬼助家(小仲坊)だけが残って千三百余年の法灯を護っておられる。」

 

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 吉野側登山口にあった役小角の像

 

六十一代目のご当主(60歳代か)にお会いして、修験道についていろいろお話をうかがうことができたのも今回の収穫であった。

 

若い時期は、自然と対峙する西洋伝来のアルピニズムを信奉し、岩と雪の世界で冒険的な登山を行うのが面白くて仕方がなかったが、晩年になると、沢登りなど自然と一体になれる登山方式がよくなった。これは日本人のDNAであろう。

 

さらに近年、「山川草木を悉く神と見て大地の霊力と一体化する」「自然への回帰と魂の再生」などを神髄とする修験道に魅かれるようになった。

 

年とともに人と折り合うことが億劫になってきた隠居だが、修験者には一人で深山を歩む「孤高」のイメージがあるのもいい。

 

しかし正式な組織へ入門して一から学ぶには年をとり過ぎたので、「ひとり老修験者」として山に入り、修行というより徘徊を続けるほかなさそうだ。

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涸沢岳西尾根・鉱石沢へ追悼登山

2019.08.23 Friday

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 涸沢岳西尾根と蒲田富士(4月・西穂高北西尾根から)

 

お盆明けの今週にテント泊山行を計画していたが、連日の雨で断念。今年はこのまま秋になってしまいそうだ。

 

こういう記事を載せることについては迷うところもないではないが、隠居なりの追悼と、この遭難の実態を知ってもらうことによって再発を防げればと思い、あえて。

 

山岳会の後輩Mさん(58歳)が、涸沢岳西尾根であっけなく逝ってしまったのは今年の324日のことだった。

 

奥穂高岳へ登頂すべく、仲間3名と前日蒲田富士手前の標高2500mでテント泊。

 

翌朝6時に出発して蒲田富士直下をトラバース中、ラストのMさんが声もなく鉱石沢へ滑落。

 

雪面は、クラストした上に10センチの新雪があった。

 

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後続パーティの知らせで、あとのメンバーがすぐ沢の途中まで下ったが見つからず、県警のヘリを要請。

 

ヘリは1125分に鉱石沢下部2050m地点でMさんを発見しピックアップしてくれたが、標高差600m、約40度の斜面を1000m近く滑落していたため、残念ながら遺体の収容になってしまった。

 

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収容してくれた県警の隊長Sさんは隠居がよく知っている人で、「ここは地形的に雪崩のデブリがあり、以前にもこの地点で収容したことがあるので、直感でここへ飛んだ。」と言っておられた。

 

事故原因と再発防止策については、先般会の事故検証委員会から詳細な報告書が出された。

 

この具体的な内容は省くが、敷衍して言えば、この滑落事故はなんでもない場所で起きており、これは常に我々にも起こり得るということと、その場合の滑落停止など基本的な対応技術をしっかり身に着けておかなければならないということだ。

 

遅くから山岳会へ入ったMさんとはだいぶ年が違うが、沢登りや山スキーに何回も行っている。

 

沢登りでは、特に乗鞍阿多野川・真谷でのうまいクライミングが印象に残っているし、今年になってからは1月に斑尾山へ行っているが、テレマークが上手だった。

 

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阿多野川・真谷 2011.7.24 

Mさんがモデルの上の写真は山岳連盟のカレンダーに採用された

 

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 2011.2.6 乗鞍岳

 

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 白鳥山 2013.3 途中Mさんの締具が故障し、徒歩で頂上へ

 

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 今年1月の斑尾山 深雪でテレマーク

 

もともとクロスカントリースキーの選手で陸上競技もやっていて、体力は抜群。最近は同年輩の会員とレベルの高い山行をやっていたようだ。

 

お盆過ぎに、ご遺族(ご長男と親戚の男性)と山岳会員11名で白出沢に入り、滑落した鉱石沢の下部まで慰霊に行ってきた。

 

白出沢は若い頃、北穂高の滝谷、前穂高の東面の岩場を登るため涸沢で定着合宿をした時、重荷を背負ってよく往復した。

 

近年は数年前に西穂から奥穂へ日帰り縦走した時下った以来だったが、その時すでにこの沢コースを利用する人は減っており、この日も23パーティを見たのみであった。

 

鉱石沢下部の河原に遺影とMさんが好きだった酒を置き、会歌を斉唱したあと自称山岳修験者見習いの隠居が、般若心経などの読経を行って慰霊を行った。

 

以下は当日の様子。穂高山麓に咲いていた夏の花を手向けて、若い岳友Mさんの冥福を祈りたい。

 

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 穂高平の避難小屋で小屋主のMさんに挨拶

 

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 蒲田富士

 

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 昔は小屋があって売店もあった

 

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 白出沢

 

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 天狗沢

 

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 鉱石沢

 

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 穂高平からは4人が近道を下山

 

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山での我々は誰しも常に遭難と紙一重と言え、長いあいだ山と関わっている隠居も今まで多くのヒヤリ・ハットを経験している。

 

恥ずかしながら昔の正月合宿で、この蒲田富士の東から滝谷方向へ出ている北西尾根を登っていてスリップし、滑落停止技術で助かったことがあるし、冬の岩登りでは墜落もしている。

 

あまり技術や知識を身に着けていないのに今日まで遭難もせずに生きながらえてきたのは、運がよかっただけであろう。

 

それほど厳しい登山をやってこなかったということもある。

 

このMさんや既に鬼籍に入った同級生などを見ていると、「いい人は早く逝ってしまう」ということにも最近気がついた。

 

隠居はまだ馬齢を重ねそうだ。

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白山美濃禅定道

2019.08.16 Friday

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「山の日」には、日本古来の信仰の山に登ってきたといったら聞こえはいいが、なんのことはない、白山を縦走する東京の山仲間を車で石徹白登山口まで送りがてら、日帰り登山をしただけ。

 

登山口の駐車場には10台くらいの車があったが、途中で会った登山者は45人で、あとは釣り客だと思われた。

 

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3年ぶりに対面した1800歳という長寿の大杉に、崇敬の念をもって挨拶をする。こちらはまだ70年と少々だ。

 

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彼ら2人は美濃禅定道から白山に登って、北尾根を野谷荘司山まで縦走する計画だが、この日は神鳩ノ宮避難小屋泊なので、早々に別れて隠居だけ上部へ向かった。

 

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昔「登り千人、下り千人」というほどにぎわったという古道を、往時をしのびながら味わって登る。

 

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ご存知美濃禅定道(石徹白道)の経路は、次の様なものであった。

 

〇美濃洲原神社(=「里の宮」「白山前宮」「一の門」「前宮」)―〇白山宮長滝寺(=「馬場」)―桧峠―〇石徹白白山中居神社―美女下―神鳩ノ祠―母御石―銚子ヶ峰―三ノ峰―追分―別山―南竜ヶ馬場―室堂―◎白山

 

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 長滝馬場

 

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 白山中居神社

 

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 中居神社境内にある古道入口

 

長滝寺から神鳩までは、毘沙門岳、大日ヶ岳、芦倉岳の山稜を通る修験者専用の行者道もあった。

 

それとここを歩いていていつも思うのは、天正13年(15858月(新暦9月はじめ)、秀吉の命で金森長近の軍勢が飛騨進攻のため石徹白から禅定道を登り、銚子ヶ峰を越えてから尾上郷川へ下ったことだ。

 

ただでさえ暑いさなか軍装でよく登ったと思うが、ルートはこの禅定道でなく、石徹白集落から北東の芦倉山と天狗山の中間にある保川に上り、尾上郷川の支流小シウド谷へ下ったという説もある。

 

銚子ヶ峰周辺から東の尾上郷川側はかなり急峻な地形なので、保川経由だったかもしれない。

 

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 避難小屋

 

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 神鳩ノ宮

 

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 歴史の道を味わって辿る

 

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 スキーの山野伏ヶ岳

 

森林帯は涼しかったが、木がない主稜線へ出たら一挙に暑くなった。

 

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今までここへは紅葉の時期か、積雪期にスキーできているので、この暑い時期ははじめてだった。

 

昔の登拝の人たちは健脚とはいえ、水をどうしていたのだろうか。

 

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 丸山、芦倉山

 

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 母御石 

 

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銚子ヶ峰の頂上に今はやりのトレイルランの若い男性がいたので行く先を尋ねると、「わかれやま」へ行くというので「べつざん」だと教えてやった。

 

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 三ノ峰 別山

 

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 願教寺山から薙刀山へと続く尾根

 

三ノ峰まで行く予定だったが、年寄りはひどい暑さに参ってしまい、銚子ヶ峰から引き返すことにした。

 

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 スキーでよく歩く野伏ヶ岳と薙刀山

 

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 別山が顔を出した

 

小屋へ寄って彼らと少し駄弁り、ブナ林で森林浴をしながら下る。

 

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往路は白山中居神社の鳥居前で拝礼しただけだったので、帰路本殿まで行ってお参りをしてから帰途に就いた。

 

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石徹白の歴史を今に残すものといえば、参拝した白山中居神社と中在所に安置してある国指定重要文化財の虚空蔵菩薩だろう。

 

明治の神仏分離令以来ここに安置されている虚空蔵菩薩像は、天暦元年(1184)奥州の藤原秀衡が寄進したもので、当時平泉からここまで1年かけて上村十二人衆が付き添って運び、今もその子孫の方が守っておられるというのだから驚く。

 

事前に予約しないと拝観できないが、3年前に古代史を学んでいる仲間と見せていただいた。

 

市役所に聞いて電話を入れた先がこの上村さんだった。

 

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拝観は以前からの念願だったし、ちょうどその年に発刊された『藤原秀衡』(入間田宣夫著・ミネルヴァ書房)を読んでいたので、威厳に満ちた端正なお顔、お姿に接することができ、感激もひとしおだった。

 

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虚空蔵菩薩は智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらし、菩薩の真言を百万回唱える修法「虚空蔵求聞持法」を修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。空海もこれを修した。

 

源義経が都から奥州へ逃れるときに通ったとも伝えられている石徹白という集落は、今なお神さびた、独特の雰囲気があるところだ。

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浅間・黒斑山(くろふやま)

2018.10.26 Friday

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高い山にはもう冠雪があって、山スキーシーズンも間近になった。

 

このほど山スキー同好会の全国集会が信州の高峰高原であり参加。

 

ホテルに泊まって懇親を行った翌日(21日)、皆で浅間山の外輪山=黒斑山(2404m)へ登ってきた。

 

ちょうど前日に降雪があって浅間山が白くなっており、絶景であった。(最近噴火レベルが下げられ、前掛山まで登れるようになった。)

 

なおこの山スキークラブは隠居より年上の方も多く、なかには未だ無雪期にテント泊で長期縦走をやっておられる方もみえて、励みにさせてもらっている。

 

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 富士山も(右)

 

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 岩尾根頂上にカモシカ

 

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 黒班山

 

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 家族連れが多い

 

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浅間山は太古から近年まで絶えず噴火を繰り返しているが、多くの死者が出て「鬼押出」ができた天明3年(17834月からの大噴火では、飛騨地方まで灰が降って農作物が不作になり、翌年大飢饉になった。

 

この年の夏に高山宗猷寺の南裔禅師が笠ヶ岳に登頂しているが、浅間山噴火の鎮静を祈願する目的もあった気がする。

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籾糠山へ紅葉狩り

2018.10.23 Tuesday

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「時雨を急ぐ紅葉狩り、深き山路を尋ねん」と謡いだす能の『紅葉狩』の場所は、信濃国戸隠山。

 

戸隠の山奥で美女に化けた鬼たちが酒盛りをしているところを、鹿狩りにきた平惟茂が通りかかるという設定だ。

 

隠居がよく紅葉狩りに訪れる場所は、泉鏡花の幻想小説『高野聖』に出てくる天生峠周辺。

 

そういえば『高野聖』も、この峠に住む妖怪が妖艶な美女に化け、旅の僧を誘惑する話だ。

 

これは紅葉の時期ではなかったかもしれないが、紅葉というのはなにか人の気持ちを妖しく、高ぶらせるものがあるような気がする。

 

なお小説の峠は、信濃、飛騨境になっているので、鏡花が安房峠と間違えたようだ。

 

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 天生峠・1289m

 

18日にカラ谷から籾糠山(1744)に登り、帰路はブナ探勝路を下降したが、今年はブナの黄葉がことのほかきれいだった。

 

残念ながら妖しい美女はおらず、やかましい婆さんばかりに遭った。

 

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この山域、近年500円の入山料を取るようになったが、そのぶん道をしっかり整備してあり歩き易い。

 

紅葉前線は、その時点で1500mから1400mあたりを下降中だったので、里へ下りてくる日も近い。

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