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『飛騨紬』を歩く 15

2016.04.28 Thursday
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 4月26日の乗鞍岳

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 上野町には祭りの幟がたっていた

 乗鞍のかなた春星かぎりなし  普羅
 
隠居は、この乗鞍岳のシルエットの上に広がる星空を詠んだ雄大な句が好きだが、これを写真に撮ろうと思うとなかなか難しい。
 
この拙いブログの「山岳俳人前田普羅」というカテゴリーで、飛騨の山村と人をこよなく愛した普羅のことを何回か書いてきたが、このほどそれをまとめ、郷土史研究会「飛騨学の会」の紀要=『斐太紀』(平成28年春季号・市内の書店で販売中)で発表した。
 
タイトルは「飛騨を愛した山岳俳人前田普羅」―『飛騨紬』のことなど

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この「飛騨学の会」は、歴史を専門に研究しておられる方の集まりだが、素人の隠居は臆面もなく、飛騨山脈の近世、近代の登山史を書いてこの紀要に何回か載せてもらっている。
 
これは登山史などを専門に研究する人がいないからで、いわば「隙間産業」みたいなものだ。
 
今回も登山史を予定していたが、間に合わずにこの文芸論みたいなものでお茶を濁した。
 
この号が発刊され、地方紙で紹介されたあと、折しも日本山岳会の会報『山』に、西山秀夫会員が皇太子殿下が国連本部での講演で普羅の句を紹介されたという記事を書いておられ、殿下が普羅をお好きだということをはじめて知った。
 
ニューヨークの国連本部で開催された「国連水と災害に関する特別会合」で基調講演をされ、水と人との歴史的な関わりなどをいろいろ話され、最後に「私の好きな前田普羅による俳句を読んで,この講演を締めくくりたいと思います」とおっしゃって、英語でこの句を読み上げられたという。
 
 立山の かぶさる町や 水を打つ
 
宮内庁のホームページを見ると、講演で映された立山の写真と英語訳、そして講演の締めくくりが以下のように紹介されていた。

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「立山が覆い被さるようにそびえる富山の町で,人々が夏の暑さをやわらげるために通りに水を打ち,涼をとっている情景が目に浮かびます。山から流れ出る水は飲み水として,あるいは農業のために私たちに多くの恵みをもたらします。しかし,水は時に不足したり多すぎたりし,人々に大きなダメージを与えます。この句にあるように,人々がどこでも水とともに平和にゆったりと過ごせる世界を実現できるよう,私も今後とも取り組んでいきたいと思います。」

なお、隠居も前述の『斐太紀』でこの句を紹介している。

 
話は変わるが、最近詩人の正津 勉氏が『山水の飄客 前田普羅』という本を出されたことが中日新聞の書評欄に載っていた。
 
隠居の普羅論は飛騨との関係だけに限定したものだが、この書はもちろん全般をとらえてある。
 
正津氏は、普羅の性格が頑固で狷介なので、今まで普羅の句作や人生の検証がほとんどされていなかったと言っておられる。
 
普羅の「頑固で狷介な性格」は、隠居にそっくりあてはまり、隠居にはさらに「偏屈、人嫌い」が加わるので始末が悪い。
 
このところ雪山に行けなくて禁断症状が出ていたが、おかげさまでこの連休には雪と遊べそうだ。
 
したがってこのブログもしばらく休ませていただきます。

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4月20日 富山市西部 四方からの立山、剣

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『飛騨紬』を歩く 14

2014.05.28 Wednesday
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この日曜日、若い山仲間のYさんが交通事故で突然逝去。今日告別式があった。


嗚呼、まさに諸行無常。


人生は仮の宿、われわれもいずれ去らねばならないとはいえ、若い人が先に逝ってしまうのはなんともつらい。


今までに逝ってしまった同級生の顔を思い浮かべていつも思うのは、「いい人ははやく逝く」ということ。


隠居のような我が強い、業の深いものは、まだまだ修行をせねばならないようだ。

 

さて生涯孤高の精神性をもって山を慕い続け、飛騨をこよなく愛した山岳俳人前田普羅の初夏の句。


このような虚空にYさんは去ってしまった。

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紺青の乗鞍の上に囀れり 普羅


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ふぢ白し尾越の声の遠ざかる 普羅 


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むせかへる花栗の香を蝶くゞる 普羅


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『飛騨紬』を歩く 13

2014.02.22 Saturday
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杣がくぐり熊が通れる頽雪どめ 普羅

四方の山頽雪のあとを天辺より 
             普羅

 

先週末は南岸低気圧の通過で大雪が降り、山スキーどころではなかった。

 

ご存知のとおり、普段あまり降らない長野県南部や山梨県などが豪雪に見舞われ、ちょうど八ヶ岳南山麓北杜市の別荘に行っていた友人のEさん夫妻は、連日雪かきに悪戦苦闘したとのこと。

 

なんと飛騨の3倍、2メートル近くも降ったそうだ。

この地方は道路の除雪体制が整っておらず、無理もない。

 

こんなさなか、白川村の野谷荘司山へ入って雪崩で遭難死した人がいた。その人には悪いが、おそらく雪の怖さを知らない地方の人であろう。

 

さて、久しぶりに普羅の世界へ。

 

飛騨の山村風景が好きだった普羅は、富山から越中西街道を歩いて飛越国境に近い打保村(現在飛騨市宮川町打保)あたりまで足をのばしていたようだ。

 

頽雪とは雪崩のこと。豪雪地帯のこのあたりでは今頃になると雪崩が頻繁に起き、道を塞いでいたであろう。

 

しかし頽雪は、春の訪れを告げるものでもあった。

 


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 打保の集落

 


頽雪かけて日暮るゝ早し打保村
 普羅

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 JR高山線


 

高山線打保駅構内には、豪雪地内なのでスノーシェルターがある。高山線ではここだけだそうだ。
 
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『飛騨紬』を歩く 12

2013.12.02 Monday
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乗鞍岳の「おみわたり」 11月30日(土) 上野平から 

昔から国分寺の大イチョウが散ると高山の町に雪が降ると言われてきたし、それが根雪になるまでには高山盆地をとりまく低山に七回ほどの降雪があることから、人々はそれを「七めぐり」と呼んでいた。


自然とともに生きていた昔の人の観察眼に敬服。


昨日は来る山スキーシーズンに備え、御嶽山麓のチャオスキー場へ練習に行ってきた。


もちろん今シーズン初滑り。

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チャオスキー場からの日和田富士(継子岳)

隠居はこの年になって滑り方がまったく下手なことに気づいたので、今年からゲレンデで習いはじめた。


山スキーを怪我なしで息長く続けるためには、上手く滑ることが肝要だと思ったからだ。


師匠はスキーキチで、基礎スキー理論家のO医師。


まったくきれいでしかも強い滑りをされる。


長年我流で滑ってきて身についてしまった隠居のへんな癖を、気長に矯正していただけるのでありがたい。


12
月に入ったが、今週はまだ寒波がこないようだ。


この時期飛騨を訪れ、雪がくる直前の様子を詠んだ普羅の句を下手な写真とともにどうぞ。

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飛騨の山襟をかさねて雪を待つ 
普羅

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板屋根の泥になるまで楢落葉 
普羅

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霜どけや漾ふばかり位山 
普羅


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神の領大霜とけて濡れにけり 
普羅

普羅は水無神社や宮峠へ訪れている。 

 

以下北遊子の駄句

小屋閉じてしずかなる山しぐれくる 


雪待ちて飛騨の山波静まれり 


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『飛騨紬』を歩く 11

2013.11.12 Tuesday
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紅葉前線が周囲の山から市街地へ降りてきたと思ったら、今朝は雪が少し舞っており、飛騨はもう冬です。


なんでも今年は雪が多いとか。


これからの飛騨人の間の挨拶は、きまって「今年は雪がすくなけりゃいいなー」「雪はいらんなー」


でも勝手なもので、山とスキー場だけには降って欲しいと願っています。


山岳俳人普羅が今頃の時期に詠んだ句を、隠居の下手な写真とともに紹介しましょう。

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からまつの散りて影なし冬日影 
普羅

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から松のおとす葉もなく霜を置く
普羅

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吐き出して落葉を惜しむ滝の渦 普羅

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以下、北遊子の駄句


唐松の落ち葉の道のやわらかき


石徹白の村はやばやと冬構

 


 

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『飛騨紬』を歩く 10

2013.10.29 Tuesday
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いただきの一枚さわぐ紅葉かな 普羅

 

生涯孤高の精神性をもって山を慕い続け、飛騨をこよなく愛した山岳俳人前田普羅。


彼が終世隠居と同じ「山恋い病」を抱えていたことを知ってから、より親しみを抱くようになった。


句集『飛騨紬』には、昭和初期の飛騨の山村の自然や人を詠んだ216句が収録してある。


普羅が見たであろう光景や心象風景などを、独断と偏見を承知で下手な写真で紹介しているのがこのシリーズ。


普羅は、山旅登山の元祖田部重治の影響も受けていたともいわれる。


田部の山岳紀行文の特徴は、素直で誇張や気取りがなく、あるがままの描写にあるといわれるが、普羅の紀行文も田部の文体によく似ている。


田部の最終段階は、初期のワーズワスの世界を脱し、宇宙的なものを表現した芭蕉の境地に行き着いたといわれる。


「山と渓谷」から「峠」、そして「街道」に移り、最後には芭蕉の『奥の細道』を歩き、「平和な山村を貫く坦々とした大道」に関心を示すようになっていったが、この最終段階は「平和な飛騨の山村」を好んだ普羅とよく似ている。


付会の難を恐れずに言うなら、普羅も寂人芭蕉の孤独な漂泊の人生に憧れていたのではなかろうか。

 

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秋霧やしづくとなりて人晴るゝ 普羅

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露とけて韋駄天走り葡萄蔓 普羅

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手ぐられて葡萄の紅葉うらがえし
 普羅

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水上に熟るゝ万朶の山葡萄 普羅

飛騨の紅葉前線は、標高1000mあたりまで降りてきました。 

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『飛騨紬』を歩く 9

2013.04.12 Friday
 

生涯孤高の精神性をもって山を慕い続け、飛騨をこよなく愛した山岳俳人前田普羅。


このシリーズ、秋以来しばらく休んでいましたが、飛騨の山村の自然や人を多く詠んで、句集『飛騨紬』を残した前田普羅の作品の光景を独断と偏見で想像し、下手な写真で紹介しているものです。


季節は少々ずれますがこの冬の旧宮川村。


普羅が住んでいた富山から近いこともあって、このあたりへはよく訪れていたようです。

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 冬晴や水上たかく又遠く
 普羅

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 水上は冬日たまりて暖かし 普羅

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 雪おろす人の見ている遠頽雪 普羅

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頽雪とは雪崩のことです。

今年の飛騨の雪解けはかなり早くすすみ、もう桜も開きかけましたが、昨日今日と雪がちらつき、また冬に逆もどりです。

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『飛騨紬』を歩く 8

2012.11.14 Wednesday

この山岳俳句シリーズ、「春編」以来ご無沙汰をしていましたが、久々に「秋編」を。


昭和初期、飛騨をこよなく愛し、飛騨の山村の自然や人を多く詠んだ山岳俳人前田普羅の作品の光景を、下手な写真で紹介しているものです。


句集『飛騨紬』には、飛騨のことを詠んだ216句が収録してあります。


そのなかで隠居が特に好きなのは、乗鞍のかなたに春星かぎりなし 雪つけし飛騨の国見ゆ春の夕 など。

普羅は近代登山草創期に生まれた山岳俳人で、自分が「山恋い」という病気を持っていることを、『ホトトギス』の高浜虚子に告白するほどの山好きでした。

たぶん同じ病をお持ちの諸賢なら、以下の告白に頷けるのでは。

「<前略> 山を降りて停車場や宿屋を求める時ほど人間の自分の汚さを感じる時はありません。山に居ると人が恋しくなり、人里にくると山中が恋しくなります。」

山の方は、森林と渓谷の山旅を好んだ静観派田部重治の影響を受けていたようです。

彼の飛騨への想いは、少年時に読んだ『日本風景論』の表紙にあった奥飛騨の春を描いた小画を見て以来募っていました。

転勤で富山市に移り住んでから初めて飛騨への旅が実現しますが、旅直前の高揚した気持ちを、「哀弦は鳴る、わが少年の夢は現実に結ばれようとしている。<中略> 飛騨の春、奥飛騨の春、わがファンタジー。」(『飛騨紬』の序)などと書いています。

このあと報知新聞富山支局長の職を辞し、俳句結社『辛夷』の経営に専念。

神岡町の三井金属神岡鉱業所へも句作指導に訪れています。

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旅人は休まずありく落葉音 普羅

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 花芒平湯の径にかぶされり 普羅

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「落ち葉のうえを歩く足音ほど、心にひびく音はない」「日当たりのいい晩秋の枯れ草の斜面、空想を拾う場所」と言ったのは大島亮吉ですが、これからの季節は低山歩きもいいようです。


飛騨が雪に覆われてしまって日々陰鬱な天気が続くようになると、隠居は毎年きまって次のような山行をイメージし、そしてあこがれます。


「よく晴れ渡った冬空の下、どこまでも続くカヤトの低山をのんびり歩き、日だまりでコーヒーなどを沸かして飲みながらぼんやりと空想にふける。」

 

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『飛騨紬』を歩く 7

2012.06.07 Thursday
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 深山藤風雨の夜明け遅々として
 普羅

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 風澄むや落花にほそる深山ふぢ 普羅

 

このシリーズ、普羅論やら俳句論などが入り乱れ、脈絡のない進行で申し訳ありません。


今回は山岳俳句について。


そもそも山岳俳句というものの定義はなんでしょうか。


それは山に登り山を愛してやまない作者が、その感情を通して山を詠った句のことを言い、当然のことながら、その作者の山の登り方は登攀を伴うスポーツ的な場合もあれば、思索をしながら森林や渓谷を歩く静観的な場合もあります。


最初に山岳を詠んだのは、全国俳句行脚の途中、明治427月に立山に登った河東碧梧桐だといわれています。


この時は中部から北越への旅でしたが、途中715日には高山へ寄って土地の名士たちと句会を開いています。

この句会の末席に、この頃まだ魚問屋の丁稚だった瀧井孝作(号折柴)が連なり、碧梧桐から指導を受けています。


碧梧桐はこのあと立山へ登り、頂上で 雪を渡りて又薫風の草花踏む を詠みました。


彼はその後針の木岳から槍ヶ岳への縦走も行っていますが、碧梧桐の登山は一時的なものであり、普羅のように終生山への愛を持ち続けたわけではありません。


普羅は横浜にいた大正6年に甲斐駒ヶ岳に登り、あと八ヶ岳など甲州の山や渓谷を歩いて山への思慕を句に結晶させました。


富山に移ってからはこの山域から足が遠のきましたが、昭和11年にふたたび甲斐を訪れ、駒ヶ嶽居凍てて巌を落しけり などいくつもの名句(「甲斐の山々」)をものにしています。


富山では朝夕に立山連峰を望むことができ、隣にあこがれの飛騨の国があり、とてもこの地が気に入っていたようです。 立山のかぶさる町や水を打つ 


残念なことに昭和208月の空襲でまた家屋と家財、そして多くの書籍を失い、転居を余儀なくされます。 


その後本格的な近代登山を実践した石橋辰之助が水原秋桜子の「馬酔木」に属して多くの山岳俳句を詠み、「ザイル」「ケルン」などを季語として定着させました。


霧ふかきケルンに触るゝさびしさよ
 などは隠居が好きな句です。 


なお、秋桜子も山に親しみ、山の句をいくつも残しています。


さらに岳人として山を詠み続けたのは福田蓼汀、岡田日郎などがいますが、生
涯孤高の精神性をもって山を慕い続けたのは普羅だけのような気がします。

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ふぢ白し尾越の声の遠ざかる
 普羅

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『飛騨紬』を歩く 6

2012.06.01 Friday
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 山吹を折りかへしつゝ耕せり
 普羅

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雷とほし頭を垂るゝ八重桜 普羅

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この『飛騨紬』シリーズは、飛騨をこよなく愛し、飛騨の山村の自然や人を多く詠んだ山岳俳人前田普羅の作品の光景を、隠居の下手な写真で紹介しているものです。

独断と偏見のそしりを覚悟で。

 

普羅が少年期に『日本風景論』を読み、その表紙あった「奥飛騨の春」と題した画を見て以来、奥飛騨の春の景色にあこがれて続けていたことは以前書きましたが、この小画に山吹が描いてあり、普羅はことのほか山吹がすきだったようです。

山吹や寝雪の上の飛騨の径 という句もあります。

飛越国境の峠などの残雪のなかに、待ちきれずに木々が芽吹いているという光景をよく目にするのでこの句が理解できますが、そうでなければ「季重なり」などと言う人がいるかも知れません。

余談ながら、森澄雄の句には季重なりが多くありますが、森は「僕は自然を詠んでいるのであって俳句を詠んでいるのではない。それが結果として俳句になっているだけです。向こう側には、季語が二つあっても不思議じゃない世界があるのです。たとえば、土筆が出てそこを遍路が通っているーというようなときには、向こうが季重ねなんだから・・・」と言っています。

なお、『飛騨紬』は、『春寒浅間山』『能登青し』とならぶ普羅の三部作のひとつで、飛騨の山谷でつくられた216句が収録されています。

 
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