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コロナ禍お見舞い3ー旧朝日村の花めぐり

2020.04.26 Sunday

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 4月25日午後の乗鞍岳

 

登山自粛の呼びかけで、予定していた月山や立山などの山スキーは中止になって、閉じこもりを余儀なくされている。

 

江戸期の「閉門蟄居」みたいなものだが、そのぶん本はよく読める。

 

不要不急の外出を自粛しなければならないが、25日急ぎの用事ができて旧朝日村方面へ行ったついでに、花を見て来た。

 

ここは高山市内より一週間ほど開花が遅れるのでちょうどよかったし、どこも静かだった。

 

昨日(25日)の花と乗鞍の姿をご覧いただき、少しでも閉じこもりのストレスを解消いただければ幸いです。

 

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 浅井の神明神社

 

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 大廣の神社

 

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 青屋からの乗鞍

 

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 青屋の神明神社

 

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 狛犬の注連縄が面白い

 

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 薬師様の枝垂れ

 

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白い乗鞍岳を見ていると、この時期によく滑りに行ったこと、そしてその時の滑降ルートまでがはっきり思い出される。

 

もう一度滑りたいと思うが、なにせ飛騨側は山深くアプローチが長いので、この老体ではもう無理だろう。

 

単純な隠居にとって年を取るということは、思う山に登れなくなるということなので、さみしいかぎりだ。

 

追伸 

これで里の花の盛りは終わり、あと落花を惜しめば、ようやく騒いでいた心が落ち着く。

 

これからは深山にポツンと咲く山桜がよくなるが、隠居がこの時期新潟県などの雪国へ山スキーに行くたび感動するのは、一面の雪の中にけなげに咲いている桜たちだ。

 

雪解けが待ちきれず満開になっている光景は、飛騨では見られない。

 

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 信越国境 鍋倉山(4月28日)

 

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 新潟県 海谷山系(5月5日)

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コロナ禍お見舞い2ー高山周辺の花めぐり

2020.04.19 Sunday

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 4月16日の乗鞍岳

 

緊急事態宣言の対象が全国に拡大されて、外出や移動の自粛がさらに呼びかけられているので、当分じっと閉じこもっているほかない。

 

しかし老い先短い隠居は、なんとか毎年恒例の花見だけはと思い、16日に高山周辺を車で巡ってきた。

 

一年ぶりに会った木々たちに話しかけながら写真を撮っていると、昔仲間と花の下で酒宴をしたことが思い出され、そのうち何人かが既に鬼籍に入ってしまっていることに気づいた。

 

自然の悠久さと人間の命のはかなさを詠んだ唐の詩人劉希夷の「年年歳歳花相似たり 歳歳年々人同じからず」「応に憐れむべし 半死の白頭翁」を思わずにはいられない。

 

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 桜ヶ丘八幡神社・山口町

 

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 了心寺・山口町

 

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 御旅所・山口町

 

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 山口町からの乗鞍

 

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 賀茂桜・江名子町

 

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 北山・しだれ桜

 

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 万人橋

 

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 万人橋

 

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 万人橋

 

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 上野町

 

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 大新町(宮川下流)

 

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 桜野・国府町

 

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 桜野 いつもは賑わっているのに、今年は全く静か

 

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 宮川・中橋から

 

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 臥龍桜(21日)出店もなく人はまばら)

 

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 漆垣内町・民家のしだれ

 

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もともと風流を解さない隠居だが、毎年この時期だけは花に心が奪われて落ち着かず、花狂いの漂泊者西行法師のにわかフアンになっている。

 

しかしあと何年花を見ることができるだろうか。

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コロナ禍お見舞いに萩原町の桜をどうぞ

2020.04.13 Monday

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「立山黒部アルペンルート」がこの15日に開通するので、立山で滑る予定にしていたが、登山を含む外出の自粛で中止にした。

 

年寄りが怪我でもして医療機関に迷惑をかけてはいけない。

 

アルペンルートのH.Pを見ると、ケーブル、バスなど各乗り物の運行も感染拡大防止のため乗客のマスク着用、消毒、乗車人員制限、改札で並ぶ間隔などいろんな対策が書いてあり、たいへんのようだ。

 

このところの不要不急の外出自粛で、しばらくはお客がいないのではないだろうか。

 

岐阜県の感染者は今日現在(13日)112名だが、今のところ飛騨地方にはまだでていない。

 

県は410日に「非常事態宣言」を発令。高山市も不要不急の外出自粛呼び掛けるとともに、学校、公共施設の休止、イベントの中止などを決めた。

 

隠居は冥途の土産にと、10日恒例にしている萩原町の花見にだけ行ってきたので、今年の花をご覧いただき、閉じこもりのストレスを少しでも解消いただければ幸いです。

 

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 森山神社のしだれ桜

 

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 岩太郎のしだれ桜

 

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 カタクリの群生地

 

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 永養寺のしだれ桜と淡墨桜

 

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 薬師様の桜

 

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 飛騨川公園の桜

 

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この時期になるといつもにわか風流人になって、生涯桜に偏執していた漂泊の人西行のことを思い出す。

 

西行が生涯に詠んだ歌は約二千首で、そのうち桜の花をうたったのが二百三十首あるという。

 

西行は六十三歳で高野山から伊勢に移っているが、「歳を加えるにしたがって花狂いの激情をつのらせ、その激情はときに耽美に傾き、濃艶の匂いが漂うようになった。」(山折哲雄)

 

そのころの歌でわかりやすいのは、「春ごとの花に心をなくさめて 六十(むそじ)あまりの年を経にける」「さかりなるこの山桜思ひおきて いづち心のまた浮かるらむ」

 

若い時は心が定まらない「空になる心」だったが、晩年「虚空の如き心」になった西行は、七十三歳で虚空へ帰った。

 

隠居は「妄執を離れぬ心」のままその歳を越えてしまった。

 

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2019年の山回顧

2019.12.24 Tuesday

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この隠居の山、そろそろ「年貢の納め時」だと思いながら、幸い老体がまだいうことを聞いてくれるので、今年もヨタヨタと出かけることができた。

 

おおいなるものと、足弱隠居にいつも気を配ってくれた若い岳友に感謝しなければならない。

 

老骨を騙し、励まし、四季を通じてそれぞれ充実した山行を行うことができたが、特に印象に残ったのは、昨年同様大峰山であった。

 

大峰山中でも特に聖地とされる深仙にテントを張って瞑想などをしたが、たいへん満たされた時間を過ごすことができた。

 

「内側に入っていかなければ、からっぽで出ていかなければならない」という箴言があるが、年を取ると静かに自分の内側を見つめることも大切なようだ。

 

なお錆びかけた老骨には常に油(主に日本酒)を注入し、メンテナンスを怠らなかった。

 

他人の山の回顧など面白くもないと思うが、写真(各山ほぼ2点)だけなので、御用とお急ぎでない方はご覧ください。

 

 1月4日 位山初詣

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 1月6日 白木峰

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 1月14日 八方尾根・ガラガラ沢

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 1月20日 斑尾山 

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 1月27日 白木峰

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 2月3日 天狗原

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 2月10日 乗鞍岳

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 2月16日 鍋倉山

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 2月17日 妙高三田洞山

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 2月26日 猪臥山

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 3月2日 白鳥山

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 3月9日 大日ヶ岳

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 3月16日 吉尾平

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 3月17日 新田山

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 3月23日 流葉山

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 4月26日〜5月13日 チベット・カンリガルポ山群

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 6月6日 立山・浄土山  

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 6月13日 乗鞍岳

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 7月6日 大坊本沢

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 8月4日 九蔵本谷

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 8月10日 銚子ヶ峰

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 8月25日 長倉本谷左俣

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 9月14日 青垂谷

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 8月14日 池之俣御輿谷

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 9月4日〜7日 大峰山・深仙

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 10月16日 天生湿原

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 10月20日 笹ヶ峰・夢見平

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 10月21日 戸隠山

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末筆ながら、今年も拙いブログを覗いていただき心から感謝申し上げます。

 

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 12月25日 夕映えの笠ヶ岳、槍・穂高岳

 

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 12月25日 夕映えの乗鞍岳

 

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 12月29日 乗鞍岳(上野平から)

 

では皆様よいお年をお迎えください。

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2020年山のカレンダー

2019.12.18 Wednesday

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 12月16日の乗鞍岳 

 

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相変わらず雪が降らず、年内の山スキーは無理かも知れないが、里では「雪ゃ降らんでありがたいな〜」と言っている。

 

今年も岐阜県山岳連盟が来年のカレンダーを作った。

 

毎年加盟の各山岳団体会員から写真を募り、山岳写真家を交えた選考会で選んでいる。

 

撮影場所は原則として岐阜県と隣県の山に限定したもの。

 

今年も応募したところ昨年同様2点が選ばれ、9月(前穂高北尾根から北穂高)と10月(笠ヶ岳)に載せてもらった。

 

表紙下の山スキーの小さい写真(白い雪の樹林)も。

 

山仕舞い間近の隠居としてはまことに光栄なことであった。

 

隠居のものを除いて傑作ばかりなのでご高覧を。

 

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 1月

 

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 2月

 

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 3月

 

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 4月

 

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 5月

 

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 6月

 

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 7月

 毎年スポーツクライミングを1枚入れなければならないようだ。

 

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 8月

 

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 9月

 

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 10月

 

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 11月

 

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 12月

 

山岳写真は「1粒で2度おいしい」グ〇コのキャラメルみたいなものだ。

 

4年前に久しぶりに登った前穂高北尾根から北穂高を撮った1枚(9月)は、その時の岩や風の匂いまで思い出される。

 

この時は昔同様ロープを使わず登れたので、気をよくしたものだ。

 

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昔は前穂高東面の岩場へ行く時などにこの尾根によく登った。

 

来年は奧又白の池まで行って泊り、若き日によく攀じた前穂高東面の岩場に別れを告げてこようかと思っている。

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爾霊山(にれいさん・旅順)

2019.11.26 Tuesday

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 雪嶺に駆けのぼりたき夜ぞ街へ(石橋辰之助)

 

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 203高地

 

アルピニズム対象の山ではないが、以前から気になっていた標高203mの小さな山に登ってきた。

 

中国の遼東半島にある日露戦争の激戦地、旅順の二〇三高地だ。

 

司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読まれた方も多いと思うが、ロシア帝国の南下をくい止めるため、この戦線でも多くの若者が犠牲になった。

 

隠居が住んでいる地域にも旧大〇賀村の戦没者慰霊碑があるが、旅順だけでも多くの戦死者名が刻まれていて、ここを通るたびに黙祷をしている。

 

当時の徴兵は農家の長男はまぬがれ、次男以下だったという。

 

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戦後乃木などが慰霊のため全国を廻り、その後彼ら揮毫の慰霊碑が各地に建てられた ここは旅順にいた一戸兵衛中将の揮毫

 

今日の日本があるのも、「負けると祖国が滅びる」と必死に戦って死んでいった彼らのおかげであると思っているので、麓から歩いて登り、頂上の慰霊塔で日露双方の霊に黙祷を捧げた。

 

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この山は現在より3mほど高かったが、砲弾で吹き飛んでしまった。

 

そして山全体が裸になってしまったというが、今は小さな松に覆われていた。

 

終戦後乃木希典がこの山で死んだ多くの霊を慰め、二〇三m峰を「にれいさん=「爾(なんじ)の霊の山」と命名した。

 

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他にも案があったが、後に有名になる乃木の漢詩の中にあった山名を推したのは、なんと戦地へ観戦員として派遣され、柳樹房の乃木軍司令部にいた志賀重兇任△辰拭

 

志賀が明治27年に発刊した『日本風景論』によって、日本人が登山に興味を持つようになったことは周知のとおりだが、当時戦地へは硬文学者が派遣されたという。

 

頂上からは旅順港と市街が一望できたが、今は中国の軍港になっている。

 

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明治37125日、戦下手な乃木にとってかわった児玉源太郎の指揮により、北の高崎山から28サンチ榴弾砲(日本から持ってきた海岸要塞砲)でロシアの堅固な要塞を瞬く間に落し、山頂に観測点を置いてさらに旅順港内の旅順艦隊を砲撃し、次々に沈めてしまったたことはご存知のとおりである。

 

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 勝敗を決した28サンチ榴弾砲

 

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このおかげで海軍はバルチック艦隊とだけ戦えばよかった。

 

広瀬中佐が閉塞作戦で死亡した湾の狭い入口も見えた。

 

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入口は幅273m、そのうち巨艦が出入りできるのは真ん中の91mだけで、ここへ廃船を沈めようとしたが結果うまくゆかなかった。

 

大分県竹田出身の広瀬武夫は、父親の仕事(裁判官)の関係で子供のころを飛騨の高山で過ごしていたので、今でも城山公園に胸像がある。

 

日本における比較文学の創始者島田謹二は、広瀬は単なる武人でなく、すぐれた詩人であったと言っている。

 

36年の生涯しか持たなかった広瀬は、たいへんな蔵書家だったという。

 

広瀬とロシア貴族の娘アリアズナとの淡い恋は、島田謹二が広瀬の多くの書簡を調べ、皆が知るところとなった。

 

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 高山の城山公園にある広瀬中佐の胸像

 

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登山口に戻ると中国側が作った看板があり、「旧日本軍国主義の頭である乃木希典が、残された砲弾や武器で慰霊タワ―を作ったが、これは日本国民を騙すものだ」と書いてあった。

 

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住んでいるところを戦場にされた中国の人は、いい迷惑であったろう。

 

二〇三高地は旅順市街の西北約2kmにあるが、付近には案子山、椅子山、赤坂山、海鼠山などの多くの小山が東の東鶏冠山まで続き、それぞれ全部要塞化されていた。

 

東部の東鶏冠山にあった要塞跡にも登ってみたが、ぶ厚いコンクリートで覆われていてその堅牢さに驚いた。

 

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 東鶏冠山にあった要塞跡 無数の弾の跡が

 

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 内部の坑道

 

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司馬遼太郎は「維新後日露戦争までの三十余年は、文化史にも精神史のうえからでも、ながい日本史のなかでじつに特異である。これほど楽天的な時代はない」と言い、

 

「維新によってはじめて近代的な国家になり、不馴れながら国民になった日本人のいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない」

 

「町工場のような小さな国家で、部分々々の義務と権能をもたされたスタッフたちは、存分に働いて疑うこともなく一つの目的にむかってすすんでいた。この時代の明るさはこういう楽天主義(オプティミズム)からきている」とも言っている。

 

そして「この楽天家たちは、登って行く坂の上の青い天に一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つめて坂を上って行くだろうと」と書き、これが本の題名になったことは周知のとおりだ。

 

この頃までの日本人は、その後と別人の観がすると司馬遼太郎は言う。

 

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 水師営にある乃木やステッセルらの写真

 戦いのあと、後に有名になる両軍の開城交渉が水師営で行われた。アメリカ人映画技師がこの一部始終を撮ろうとしたが、乃木はこれをロシアに恥辱を与えるもので日本の武士道が許さないと、許可しなかった。そして会見後友人になって同列に並んだこの1枚のみを許した。外国の特派員は乃木の措置に皆感動したという。

 

紙一重の勝利に陸軍が驕って変質し、統帥権をふりかざし、その後の日本がどうなったかは近代史が示すとおりである。

 

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『ぎふ百山』のこと

2019.10.11 Friday

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『ぎふ百山』という山の本があることを、今ではご存じない方が多いかも知れない。

 

なにせ今から44年前の昭和50年に、岐阜県山岳連盟が県内の秀山を選んで出版した古い本だ。

 

この本はもう忘れられていると思ったら、先般まだ完登を目指して登っている人がいると聞いて驚いた。

 

この人は愛知県の山岳会の人だったが、他にもそんな人がいて、なかには最近3年かけて完登した人もいるとのことで、共著者としてはうれしい限りだ。

 

この本が世に出たころは、まだ各県などの「百山もの」が発刊ブームになる前であり、ガイド本も少ない時代だったので、多くの登山者がこの本を見て県内の山に登るようになった。

 

当時は今より登山道がなかった山も多く掲載してあったので、そういう山を好むベテラン登山家などからも好評を得たし、この百山巡りの愛好者によって「ぎふ百山を登る会」という山岳会がつくられたくらいであった。

 

「百山」になっているが実際は120山を選定しており、執筆者は10名(既にその半数が鬼籍に入られた)。

 

トップは美濃人のハイマートである伊吹山、ラスト120山目は、今も道が無く残雪期しか登れない、深田久弥が『日本百名山』に加えたかったという笈ヶ岳(おいずるがたけ)である。

 

それぞれの山と山麓の歴史、民俗についていろんな文献を渉猟して詳しく調べてあり、当然登るための案内文もある。

 

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さらに平成5年には、初回選にもれた山を拾い、『続ぎふ百山』を発刊した。

 

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隠居はこの両方に飛騨の山のことを書かせてもらうことができ、僥倖であった。(読み返すと、今よりさらに駄文で恥ずかしい限りだが)

 

岐阜県には、槍・穂高岳などの有名山が居並ぶ飛騨地方だけに山があると思われがちだが、美濃地方にも木曽川、長良川、揖斐川などの上流部には1000mクラスの山々が連なり、登山の対象になる山も多い。

 

木曽川上流には日本百名山の恵那山などがあり、長良川、揖斐川上流の福井、滋賀県境には、能郷白山など奥美濃の山々が連なる。

 

特に道が無い山が多くて山深い奥美濃の山は、昭和15年この山域をはじめて世に紹介した森本次男の『樹林の山旅』以来、今も道がある山をよしとしないフアンが絶えないようだが、『ぎふ百山』にはその山域の山も多く載せてある。

 

その後山岳連盟傘下の大垣山岳協会は、水系別の『美濃の山』3巻を発刊された。

 

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飛騨山岳会では、平成20年に創立百周年を記念して『ふるさとの山―飛騨百山』を発刊し、平成22年にはそれをベースに『飛騨の山―研究と案内』(ナカニシヤ出版)を発刊した。

 

なお飛騨の百山選定は、名が付いている380座から180座に絞り込み、さらに100座を厳選したもので、自画自賛だが珠玉の山ばかり。

 

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『飛騨の山―研究と案内』についても、完登を目指して登っている方がおられる。

 

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なお個人では、故酒井昭市氏が『飛騨の山山』(ヤブ山編・国境編)の労作を出しておられる。

 

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これで岐阜県の山の案内書は出揃っていたと言えるが、なにせ全県を網羅した『ぎふ百山』が出たのは約半世紀前のことなので、アプローチ、登山道などの情報がかなり古い。

 

このため大垣のSさんが県内の山について独自の選定をし、出版の準備を進めておられると聞いた。

 

選定をしてからすべての山に登らねばならず大変だとは思うが、ご自分が好きな山ばかりなので楽しい作業になることだろう。

 

この出版が待たれる。

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大垣山岳協会創立60周年

2019.07.18 Thursday

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 創立時につくられたハッピ 唯一現存する貴重なものとのこと

 

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 畦地梅太郎の画ではないだろうか

 

大垣市にある老舗山岳会=大垣山岳協会(堀 義博会長・会員約100名)が、このほど創立60周年を迎えられ、大垣フォーラムホテルで盛大な記念式典が開催された。

 

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この協会には100名を越す会員がおられ、今までに伊吹山北尾根の新道開発、アフガニスタンのシャー・イ・アンジュマン(6026m)初登頂、日英交流登山、岐阜県境800舛隆袷監破、上石津烏帽子岳の新道開発、揖斐川、長良川など各水系の山を網羅した『奥美濃』3冊の出版など、数々の実績をあげておられる。

 

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今回の記念事業は、美濃の三角点(3等以上)完全踏破、物故者追悼登山(伊吹山北尾根)、記念作品展(写真、絵画、俳句、陶芸など)、記念登山(御嶽山)、記念誌発刊など盛沢山だ。

 

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記念式典の前に記念講演会があり、不肖隠居が「笠ヶ岳の歴史」と題し、駄弁を。

 

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自分が好きな山の、主に近世の登山史をしゃべっただけなので、退屈されたことだろう。

 

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この会には、H元日本山岳会岐阜支部長、N理事長など昔から存じ上げている方も多く、久しぶりに旧交を温めることができた。

 

N理事長は隠居と同じ元クライマーで、昔K2峰へ遠征され、今も現役で積雪期テント泊縦走などハードな山行を行っておられる。

 

ただ残念なことに、隠居が若い時からお世話になった前会長の高木泰夫先生が4年前に亡くなっておられる。

 

高木先生は奥美濃の山に精通しておられ、『奥美濃―ヤブ山登山のすすめ』(ナカニシヤ出版)を書いて、当時道がある有名山、ルート図がある岩場ばかりに集中している山行方式を批判し、地図と磁石で歩く本来の山登りの楽しさを提唱された。

 

また、若い時登られたヒンズー・クシュ、カラコルムの研究書を出しておられるなど、今では少なくなった「登って書く登山家」で、隠居も影響を受けた。

 

隠居も若い時執筆をさせてもらった『ぎふ百山』(昭和五十年・岐阜県山岳連盟編集・岐阜日日新聞発行)では主に奥美濃の山を担当されたが、民俗学のご造詣が深く、いろいろ学ばせていただいた。

 

葬儀に参列したとき、ご遺族がごあいさつで「山に明け、山に暮れた人生でした」「学校(高校の教師だった)では生徒に山の話ばかりしていたようです」と言われたのが印象に残っている。

 

この会には、今も奥美濃の道が無い山々を四季を通じて歩いておられる会員が多い。

 

昭和15年、奥美濃の山をはじめて世に紹介した森本次男の『樹林の山旅』以来奥美濃フアンは今も絶えないが、その魅力的な山域をホームグラウンドとしてこよなく愛し、地域にしっかりと根をおろしたすばらしい山岳会だ。

 

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山岳資料館が開館

2019.04.15 Monday

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4月になっても天候が不順でなかなか山スキーに出かけられないが、この先スキー以外の山行計画も入っていて、スキーはしばらく中断だ。

 

さてあまり知られていないが、高山市の郊外に「山岳資料館」なるものがあり、不肖隠居が展示を担当している。

 

冬期間休館していたが春になって開館したので、紹介したい。

 

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 構内にはいつの間にか地蔵様などが集まってきておられる

 

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 いつも新しい「よだれかけ」をしてござるが

 どなたが替えられるのかわかなない

 

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大町市の山岳博物館にはとうてい及ばない小さい規模だが、展示物は登山、スキー用具をはじめ、飛騨山脈飛騨側の動植物、気象、岩石、登山史関係など多岐にわたる。

 

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この建物は明治36年、当時の大野郡灘村(現高山市桐生町)に建てられた元高山測候所。

 

昭和45年の測候所建て替え時に市街地の南西、松倉山の山麓にある「飛騨民俗村」の一角、飛騨山脈が望める場所へ移された。

 

当初犬山の明治村へ移築の話があったこの建物は、民俗村で唯一の洋風建築で、平成12年、特色ある近代建築として文化庁の「登録有形文化財」に登録された。

 

昭和4611月1日、飛騨山岳会や市民の協力でこの「山岳資料館」が開館。その後飛騨山岳会が展示品の管理を受け持っている。

 

特筆すべき展示品を紹介すると、まず古いスキー。

 

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明治44年(1911)1月、オーストリアのフオン・レルヒ陸軍少佐が高田師団へ一本杖スキーを紹介し、その後すぐ北海道へ伝わったことはご存知の通りであるが、この時北大に在学していた高山の造り酒屋の二木長右衛門(のちに飛騨山岳会長)が習得し、大正2年(1913)にスキー術を持ち帰って旧制斐太中学へ伝えた。(北大へは、レルヒ少佐来日の2年前にスイス人のドイツ語教師ハンス・コーラが伝えたともいわれる。)

 

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 昭和9年の乗鞍岳スキー登山

 

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このように飛騨へは早い時期にスキーが伝わり、道具ははじめ新潟の高田製のものを買っていたが、その後地元にも板メーカーが誕生した。

 

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主にこの時期のスキーが展示してあるが、スキーが高価だったため、木を削った手製のものもある。子供用もあるが、おそらく親が子のために丹精して作ったものであろう。

 

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次に珍しいのが飛騨産のピッケル。

 

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大正期に飛騨の岳人が鍛冶屋に外国製を見せて作らせたものらしいが、そのうちの一本は「飛騨」の銘があり、姿が美しく、ウッドピッケルを研究している方からの問い合わせもある。

 

小さいほうは一時は量産され、市内で売られていたことがわかった。

 

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あとは登山史コーナーには宗教登山の関係も若干展示があるが、貴重なものは江戸期に播隆よりも40年も前に笠ヶ岳に登頂した地元宗猷寺南裔(なんねい)禅師の書。

 

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南裔は江戸まで行って三井親和(しんな)に書と篆刻を学んだ、当時の飛騨の書の大家でもある。

 

このほか飛騨の登山史も学べる。

 

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海外登山のコーナーには、飛騨山岳会のささやかな海外登山の足跡が写真で展示してある。

 

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最近は外国人(西洋人)の入館が多い。

 

隠居の年代くらいの人にとっては、青春期に使用したなつかしい登攀道具もあるので、山の帰りなどにぜひお立ち寄りください。

 

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 珍しいロックハーケン

 

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 昭和9年の乗鞍登山 ザイルやピッケル、アイゼンは輸入品

 

資料館の下には井上靖や瀧井孝作などの文学碑がならぶ「文学の小径」があり、飛騨山脈を眺めながら散歩するのもいいでしょう。

 

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 郷土の歌人で飛騨山岳会会員でもあった福田夕咲の歌碑(左)と

  飛騨山岳会創立100周年(2010年)の記念石碑

 

入場料無料 無人 下に民俗村の無料駐車場あり。

 

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 4月16日の乗鞍岳

 

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 4月18日の笠ヶ岳 槍穂高岳

 

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  下呂市萩原町四美のしだれ桜

 

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 臥竜桜も満開に 4月23日

 

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 高山市内も満開

 

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乗鞍での不思議な話 その5 行者が雪山岳の石で目を治した話

2018.12.06 Thursday

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 権現池をとりまく左から屏風岩 薬師岳 雪山岳

 

先回、すぐれた修験者(山伏)は病気を治したり、旱天に雨を降らせたり、いろんな修法を心得ているという話をした。これは真言密教の修法だという。

 

これも乗鞍にいた不思議な力をもった修験者の話。

 

以前民俗学者で飛騨山岳会員でもあった代情通蔵(山彦)が書き残した話を紹介したが、この話も昭和23年地元の雑誌『新飛騨』に載っているもの。

 

ある年の秋遅く、乗鞍南山麓の石仏という集落(現在の黍生か阿多野集落だろうか)へ、乗鞍から行者が下りてきて、集落の病人を加持祈祷で治して歩いた。

 

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 阿多野集落と乗鞍岳

 

なかに眼病(そこひ)を患い、失明寸前の宗兵衛という老人がいた。

 

老人が診てもらった結果、行者は「乗鞍岳絶頂の雪山岳に氷石がある。これは幾千年もの雪の精が岩に閉じ込められてできたもので、それを打ち割ってその水で洗眼し、岳のお鳥(雷鳥)の白羽の付いた足の爪で目をつつけば見えるようになる」と言った。

 

宗兵衛は藁にも縋る気持ちで雪山岳行き頼み込んだため、行者はやむなく宗兵衛の手を引いて乗鞍へ登った。それは困難な登山であった。

 

そして雪山岳の氷石の水で目を洗ってやり、雷鳥を捕まえてその爪で目を掻いた。

 

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 雪山岳 2891m

 

激痛が走り血が出たが、時間が経つと光が少し見えるようになった。

 

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その日は下山途中で日が暮れてしまい、やむなく岩穴に泊まった。

 

そのうちだんだん物が見えるようになってきたので喜んだ宗兵衛は、行者に庵を建ててやる約束をした。

 

翌日下山するにしたがってさらに鮮明に見えるようになった宗兵衛は、もともと強欲な男だったので庵を建てる金が惜しくなり、石畳ヶ原で行者を撲殺してしまった。

 

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 石畳ヶ原

 

なんとこの時刻、里へ一羽の白い雷鳥が飛んできたと思うと宗兵衛の家が火炎に包まれ、焼け落ちてしまった。

 

家に帰った宗兵衛はこれを見て気が狂い、焼け跡へ飛び込んで焼死してしまったのである。

 

村人は行者の魂が雷鳥に姿を変えて復讐をしたのだと噂をし、病気を治してもらった者が石畳ヶ原に自然石で慰霊碑を建てた。

 

それは今も千町尾根に残っている。

 

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なお当時雷鳥は「岳のお鳥」と呼ばれ、蚕の掃きたて(微細な蚕の幼虫を移す時つかう)や茶道の茶室の羽箒として、他の鳥のものより霊山の鳥ということでたいへん重宝された。

 

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かつて白山山頂で参拝者に高額で売っていたというが、白山に雷鳥が絶えたはずだ。

 

明治25年にウェストンが乗鞍岳へ登ったときにも、下山時に案内者が雷鳥狩りをした記述が出てくる。

 

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現代科学では説明できない修法を使えた行者は、つい最近まで高山の町にも住んでいた。

 

隠居の親の世代が、医者でわからない病気の原因を診てもらったリ、治してもらったリするのを見たり聞いたりしたことがある。

 

そういう人がいなくなり、山から魑魅魍魎などが消えてしまった今の世は、なにか味気ない。

 

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