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由布岳

2017.04.05 Wednesday

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30年以上毎年チベット登山にかかわってこられ、おそらく日本でいちばんチベットの山(特にニェンチェンタンラ山脈)に詳しい方が、大分市に住んでおられる。

 

伊東 亨さんで、御年87歳。

 

ただ、ご自分の主義から今までに登った未踏峰のことを全然発表しておられないので、日本の登山界で氏のことを知る人はほとんどいないが、氏が長年の活動で培った中国での人脈の広さは相当なものだ。

 

隠居は伊東さんから「道のある山に登っても少しも面白くない、未踏の地にわけ入り、自分でルートを探して登るのが本当の登山だ」と言われてチベットの山に通うようになり、おかげで3座の未踏峰に登ることができた。

 

昨年ケガをされ、ご高齢でもあるのでチベット登山との関わりを閉じられることになり、松本のMさんの呼びかけで、今までお世話になったものが各地から湯布院に集まってささやかな謝恩会を行った。

 

中国からも2名が参加。

 

その「行きがけの駄賃」に、山口のNさんの案内で、豊後富士といわれる由布岳(1583m)に登ってきた。

 

九州の山は久住山以来2座目だったが、本土の山とは一味ちがった木がまばらな広がりの中を歩き、頂上付近にはクサリ場もあって楽しめた。

 

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 ニホンシカの害

 

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 湯布院の街

 

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 登山口には駐車場、トイレがある 

 

今回は由布岳の話より隠れた偉大な登山家の話になってしまったが、謝恩会参加者の間で、伊東さんの足跡について、今後チベットの山へ入る人のために何らかの形で書き留めておいたほうがいい、ということで一致した。

 

ご本人は一向にその気がないので、今後ご家族などに協力を依頼して作業を進める予定。

 

高所登山、そして辛口の登山評論で有名だった名古屋の登山家故原 眞(はら・まこと)氏は、「山へ登る目的が、ゞ發里燭瓩覆里、売名のためなのか、3擇靴澆里燭瓩覆里で登山家の値打ちが3つに分かれる」「今は,鉢△凌佑多いのでまことに嘆かわしい、の人が目覚める必要がある」と言っている。

 

登山記録を発表したがる隠居は△侶晃があって耳が痛いが、このを昔から実践しておられるのが伊東さんだ。

 

ウェットな日本の風土、人間関係のなかにいると、時には何もないドライなチベットが懐かしくなるが、車椅子生活の伊東さんはなおさらであろう。

 

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梨割山

2016.04.24 Sunday
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 梨割山

近江へ行った翌日、同じく岐阜市在住の登山愛好家Mさんのお誘いで、こんどは富加町にある低山と山城跡に登ってきた。

 

昔高山に住んでおられて山スキーなどにご一緒したMさんは、歴史にも興味を持っておられ、こうした史跡探索を兼ねた山歩きを楽しんでおられる。

 

案内してもらった山は梨割山(270m)で、中世その一角に加治田城という山城があった。

 

城主佐藤紀伊守は、織田信長の美濃攻めに対抗する近隣の小豪族同盟を途中で裏切り、信長に協力して存命をはかったという。

 

頂上からは美濃平野の一角が俯瞰でき、信長の進攻ルートを説明してもらった。

 

富加町の登山口には、廃業した商店が混ざった寂しい古い通りが残っていて、そのなかには造り酒屋もあった。

 

そして酒屋の向かいにある郵便局の名は「加治田」だった。

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 登山口にある清水寺

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 本堂には国重要文化財の「木造十一面観音座像」がある
 寺の創建は京都の清水寺と同じ時期だという


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 奉納の天狗面

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 登山口 山中も標識がしっかりあった

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 はやギンリョウソウが顔を出していた

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 三角点がある頂上

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 加治田城跡

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 加治田城から望む「関南アルプス」 左端が「猿啄城」

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 山の切れたところが木曽川 名古屋駅前のビル群が見えた

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奇しくも二日続けて中世の山城があった小さな山(隠居の住まいの標高より低いが)に登頂したことになる。

 

標高は低くても、はじめて登った山はやはりうれしい。これは山屋のへんな性だ。

 

低山もこうして歴史、民俗などを学びながら歩くと、まことに楽しい。

 

帰路下呂市金山町へ抜けて国道41号線から帰ったが、下呂町の飛騨側沿いでは山が笑いだし、高山盆地では桜が盛んに散っていた。

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太尾山

2016.04.20 Wednesday
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 米原駅の東にある太尾山城跡
 

立山のアルペンルートが開通したが、このところ野暮用が続きなかなか雪の山へ行けない。

 

この日曜日に各務原市で開催された山岳連盟の総会に出席した翌日、岐阜在住の歴史研究家K氏の案内で近江の国まで足を延ばし、いくつか史跡を見て回った。

 

途中少しでも頂のあるところへ行きたいという隠居の希望で、北国街道米原宿の背後にある太尾山(ふとおやま・254m)へ登り、城跡を見学。

 

源頼朝が平家を滅ぼしたあと、近江の守護になった佐々木氏が築いた山城で、主郭が南北二つある(別城一郭)珍しいものだそうだ。

 

もちろんこの時代のものはまだ石垣がないが、堀切や曲輪跡が残っていた。

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 北国街道米原宿 昔の建物が残っていた

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 北国街道と中山道は鳥居本宿で分かれるが、
        ここからも支道で中山道へ行ける


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 旧米原小学校
 右の屋根がある小さな建物の下に、大人の女性が
 小さな子供の手を引いている像が見える。
 写真では見えないが、左側にはもう一人チョゴリ(朝鮮の
 民族衣装)を着た少女が手を引いてもらっている。
 確か昭和30年代、北朝鮮へ多くの在日の人が帰還した時に
 別離の記念に造られたと書いてあった。
 かの国へ帰った人々は大変な差別に会い苦労されたと聞く。
 いま拉致問題などで日本と北朝鮮の関係は最悪だが、
 その政治レベルとは関係なく、ここに住んでいた朝鮮の人をしのび
 今なおこうして像を残しているこの地区の人々のやさしさ
 を感じ取った。
 

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 ここの二宮金次郎さんは釣竿とビクをもっておられた

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 登山口

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 堀切

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 南城跡

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 土塁

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 眼下に琵琶湖

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 北城跡

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 盗人岩

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 昔の琵琶湖は山のすぐ下まであった

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 堀切

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このあと東近江市市辺町にある宮内庁管理の磐坂皇子(いわさかのみこ)の小さな円墳を見学。

 

正式名は市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)。

 

5世紀ころの履中天皇の第一皇子だったが、王位継承の争いで舎人佐伯部仲子(さえきべのなかちこ)とともに暗殺され、ここに葬られている。

 

なんと殺したのは後の雄略天皇というのだから恐ろしい。

 

仁徳天皇までは大和朝廷の全盛期だったが、履中天皇から何代かはこうした王位継承などの争いが絶えなかった。

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飛騨はようやく桜が散ったというのに、美濃や近江はもう新緑に覆われていた。

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奥穂高岳直登ルンゼ

2014.05.19 Monday
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 Mさん撮影 (㋄25日頃 常念岳から)


先週の15日、直登ルンゼから奥穂高岳に登ってきた。

 

下界は新緑の季節だというのに、今頃の穂高はまだ残雪に覆われ、「雪と岩の世界」だ。

 

今年チベットの未踏峰へ登りに行く愛知県のOさん達の合宿訓練に参加させてもらったもので、一行は隠居を含めて4人。リーダーは、松本市在住の穂高精通者で現役クライマーのMさん。

 

隠居と年が離れていないのに3人とも現役のクライマーで、隠居だけが「元」、それもだいぶカビが生えた「元」だ。

 

この他、涸沢でスキーを楽しむOさんの仲間Sさんも同行。

 

昔岩登りに熱中していた頃の5月の連休といえば、滝谷を登攀し、あと穂高小屋の小屋あけを手伝ったものだ。

 

この時小屋周辺の急峻な沢などを登って遊んだ記憶があるが、このルンゼを登ったかどうかは記憶があいまいだったので、今回がはじめてということに。

 

 

朝高山を出発し、坂巻温泉で3人と合流して上高地へ。

 

徳沢までの道すがら、Mさんから樹木や植物などの説明をうける。


横尾では眼前の前穂高東面の岩場、そして横尾谷では屏風岩を仰ぎ、それぞれの昔の登攀の思いで話などをしながら歩く。

 

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 清水川のバイカモ

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 明神岳后Ν己と東稜

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 前穂高東面の岩場

屏風岩へ通っていた頃、谷のそばの岩小屋に泊まったことがあるのでMさんに位置をたずねると、だいぶ前に大水で岩屋の基部が洗われ、倒れてしまったとのこと。

 

昨年の夏には気づかなかったが、道端にその大岩があり、看板があった。

 

雪は本谷橋から続いており、Sさんはここからシール登高。

 

この日は涸沢ヒユッテに宿泊。涸沢というと今までテント泊ばかりだったので、じつは今回生まれてはじめてこの小屋に泊まった。

 

ヒユッテは今の時期でしかも平日とあって、あと2パーティの宿泊者があっただけ。



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 倒れた岩屋

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翌朝は午後から雨の予報だったため、朝3時半に出発する。

 

気温は高く、雪のクラストはない。


あたりが白むころ雨が降り出して雨具を着けたが、すぐ止んで青空がのぞきはじめた。

Mさんの的確な指示で、迷うことなくルンゼに入る。

 

日が当たりだしたら上部からの落石が始まったので、ルンゼの中央を避け、右側を登る。

 

斜度はさほどではなく、しかも雪が緩んでいるのでロープを付けずに進んだが、クラストしておれば上部ではロープを付けたほうが無難だろう。

 

頂上直下の稜線が見えだしたところで、訓練のためロープを出して2人ずつ繋がる。

 

スタンディング・アックスビレーをしたり、ユマールを使ったりして頂上へ。

 

ネットで見ると、スキーでこの沢を滑った記録がある。

 

隠居でも滑れる斜度だと思ったが、雪の状態によっては怖いだろう。

 

この日の奥穂高は我々の貸し切りで、ヒユッテに戻るまで人に合わなかった。

 

夏道を小屋まで下り、あずき沢を尻滑りで一気に下る。

 

小屋へ着いたのは10時半だった。


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 奥穂高岳頂上

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久しぶりに、若い頃にかぶれていた「雪と岩の世界」を満喫でき、冥土のみやげがまた一つ増えた。

 

当時隠居を「雪と岩の世界」へいざなったのはガストン・レビュファの名著『雪と岩』。

 

これは隠居にとってのバイブルで、この本で技術と思想を学び、実践した。

 

このことで同世代のMさんと話がよく合った。

 

かぶれやすい隠居は、レビュファの帽子や服、そしてパイプまでも真似たものだった。

 

帰路横尾あたりから雨が本降りとなった。



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光城山

2014.04.25 Friday
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 光城山  山麓から頂まで桜が続く

飛騨にもようやく桜前線が到達し、今日あたり満開から散り初めの状態だ。

 

この年齢になると、来年の桜が見られるかどうかわからないので、毎年しっかりと花見をすることにしている。

 

あちこち見て歩きながらいつも思うのは、「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と詠った在原業平の心境だ。

 

今回は飛騨だけでは飽き足らず、昨日山を越えて長野県まで足をのばした。

 

同行は隠居の同級生主体のハイキングクラブメンバー12名。

 

主な場所は、近年高遠と同じくらい人気があるという安曇野の光城山(ひかるじょうやま)。

 

標高912mのこの山は、山麓から山頂までソメイヨシノの回廊になっていて、その数は2,000本とか。

 

眼下に安曇野が広がり、眼前には蝶ヶ岳から常念岳など、そして遠くには鹿島槍や五竜まで見えて、飛騨とは一味ちがう新鮮な眺めに皆さんご満悦だった。

 

あと安曇野を散策してから帰った。

 

併せて今年の飛騨の桜もご覧あれ。



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 堀金田多井の枝垂れ

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以下は今年の飛騨の桜です。

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 下呂市萩原町四美 岩太郎桜

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 下呂市萩原町四美 神社の枝垂れ
 
 

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 下呂市小坂町 寺の枝垂れ
 


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 下呂市萩原町尾崎 寺の枝垂れ

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 高山市一の宮町 臥竜桜

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 高山市山口町 神社の枝垂れ1
 

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 高山市山口町 神社の枝垂れ2


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 高山市朝日町浅井 神社の枝垂れ

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 高山市朝日町青屋 神社の枝垂れ
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上高地

2012.03.05 Monday
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昨日上高地へ行ってきた。


隠居が所属している「障がい者の野外活動支援ボランティアの会」の事業。
http://www8.ocn.ne.jp/~noasobi/index2.html


晴天に恵まれ、昨年とちがってたいへん暖かい日だったが、数日前に隠居の親しい岳友が交通事故に遭って依然意識不明なので、気が晴れないままの上高地行きだった。


今回は下肢障がいと知的障がいの方8名にボランティアサポート18名が付き添った。


いつもの通り釜トンネル入り口から大正池ホテルを過ぎて眺望のいい池畔までのコース。

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途中から雪道となり、車椅子からチェアスキーに乗り換えてもらう。

情報は得ていたが今年の上高地は雪が少なく、大正池ホテル手前のデブリも小さかった。

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デブリ通過の際には、隠居が昔愛用していたシャルレ・モンブランのピッケルが氷を粉砕しての通路確保に大活躍。


最近錆びていたのをきれいに磨き、シャフトにアマニ油をくれて再使用に備え
ていた。
懐古趣味といわれても、やはりウッドシャフトのピッケルはいいものだ。

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近年雪の上高地トレッキングは大人気で、昨日もスノーシューを持ったツアーのご一行が入っていた。

幸い焼岳や穂高岳の眺望が得られ、皆さん大満足。

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池畔にスノーテーブルを作り、昼食のあと往路を戻った。

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今年は期待していた猿の群れの歓迎もなく、どうしたわけかカモなどの水鳥もほとんどいなかった。


予報通り、バスに乗ったら雨に。


いつもながら明るい障がい者の方から逆に元気をもらって帰った。

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上高地

2011.03.07 Monday
 

昨日は山スキーでなく、上高地へトレッキングに行ってきた。

隠居が参加しているボランティア団体=障がい者の方の野外活動を支援する会の行事。

この会は、様々な障がいを持っておられる方を飛騨の大自然の中へお連れして心身を癒やしていただこうと、年間を通じて森林浴やハイキングなどを行っている。

冬はこの上高地のほか、視覚障がいの方のスキークラブのサポートも。

野外活動はどうしてもリスクを伴うので、参加者の安全確保のために隠居のささやかな山の経験や知識が役立っているというわけだ。

今回は知的と下肢障がいの方11名と、サポート27名。


バスで安房トンネルを通り、釜トンネル入り口で下車。

昔冬の上高地は登山者だけの領分だったが、最近雪上トレッキングのツアーが多く入るようになり、この日も入り口はスノーシューなどを持った人で賑わっていた。







天候が心配だったが、トンネルを抜けると焼岳が見え、やがて穂高や明神の下部が姿を現してまずまず。



下肢障がいの方を車いすからチェアスキーに乗せかえて皆で引く。

途中何カ所かデブリが道路を埋めていて通過に苦労する。



大正池までくると猿の群れが出迎えてくれ皆さん大喜び。






春寒し小猿もヤッケほしげなり
(芭蕉・『猿蓑』の句をもじって)


大正池畔の雪原にスノーテーブルを2つ作って、焼岳や穂高の雄大な景色を見ながら昼食をとる。





風が出てきて寒くなったので往路を戻る。





少々寒かったが冬の上高地を初体験してもらえ、無事故で終了することができた。

以下山の話からそれた、少々難しい話で恐縮。

ちなみにこのボランティアの会のモットーは「支援する側、される側の垣根を取り払って共に楽しむ」ということで、仏教の布施の精神で謙虚に支援をさせていただくというもの。

しかし健常者のわれわれは、どうしても支援してやる(無償の場合特に)という強者の側の気分が抜けず、難しいものだ。

時々自尊心を満たしているだけではないかと、振り返る必要がある。


今回は知的障がいの若い人が多かったが、皆たいへん明るく素直な子ばかりで、隠居が知らないいろんな話をしてくれた。

もう認知症の兆候が見られ、鬱気味の隠居は、逆に彼らから元気をもらって帰ったくらいで、どちらが健常者かわからなかった。


所詮大いなるものから見れば「生きているものは皆同じであり、皆かわいい」ということになるのであろう。

寒風の中でひもじそうに枝をかじっていたあの小猿も・・。

ご参考までにボランティアの会のHP
http://www8.ocn.ne.jp/~noasobi/index2.html

 

 

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白馬岳主稜

2010.05.06 Thursday
 

「連休も終わってしまった」と嘆いていたのは現役の頃で、毎日が日曜日の今の隠居には関係がない。

しかし連れと山へ行く場合、その人が現役だとどうしても休日となり、わざわざ混む時に山へ入ることになるのだが、これはいたし方がない。


この連休は1日、2日と白馬の主稜に登り、そのあと月山へ山スキーに出かけ、連チャンで山にほうけてしまった。この先しばらくはおとなしくして家内のご機嫌をとらなければならない。


若い現役の人2名(と言っても58歳と60歳)と3時に高山を出て一路白馬山麓へ。

連休とあって猿倉の駐車場は結構埋まっていた。

途中一泊なので極力荷の軽量化を心がけたがそれでも老体には重く、はたして上まで体力がもつか心配になりながら雪道を白馬尻までたどる。



ここから主稜末端の斜面に取り付く。一昨日降雪があったため足首まで埋まるが、先行する3人パーティあって助かる。



今日は予報どおり晴れたが、風が強く稜線に雪煙があがっている。左手には白馬鑓ヶ岳が美しく見える。



コースはところどころにナイフジッジや急な雪壁があり高度感が出て、久々に少々ハラハラドキドキ感を味わう。


先行パーティはかなり体力、技術があるとみえ、既にP2を越えてしまったが、われわれおじさん、おじいさんパーティは無理をせずP4泊まりとする。



ここには既にテント2張りがあり、我々は斜面の雪を削って設営。明け方まで強風が吹き、そして寒くて他の人は眠れなかったようだが、鈍感な隠居はよく寝ることができた。(皆軽量化のため、夏シュラフかカバーだけ)

買ったばかりというゴアテックスのテントは、通気性がよすぎて寒いそうだ。厳冬期は外張が必要とか。


翌日もよく晴れたが風は強い。急峻なP3、P4を越えると,最後の60mの壁になる。

その上の雪庇の突破を心配したが、なんと既に穴が空けられていた。おそらく何日か前の工事だと思われた。



この壁は雪の硬さもちょうどで、ダブルアックス(最近氷壁登りで盛んに使われる技術で道具も格段に進歩したが、なんのことはない、隠居の若い時にもアイスバイルとピッケルを両手に持って雪壁を登ったので、昔とった杵柄というわけだ)で簡単に登れたが、練習のためロープを固定しユマールで登ることもやってみた。

壁の下に後続が現れたので早々に上へ。穴を抜けると強風の稜線へ出てそこは白馬岳の頂上。剣岳などが一望できる。



クラストした斜面を小屋まで下る。


村営小屋の前にホシガラスが立ったまま凍死しており手を合わせる。




その先の大雪渓は山スキーヤーが列をなして登ってきていた。



時折左右の尾根から小さな雪崩が起きていた。下から見上げる主稜には何パーティは取り付いていた。


5/1 
猿倉645 尾根末端830   P61245      P4テント場  1440

5/2 P4  515  P2 720  稜線845   猿倉1200

 

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尾崎山

2010.04.26 Monday
 

今年の春は寒い日が多く、開花した桜もたいへん長持ちし、まだ満開のところが随所にある。


山スキーにもいささか飽き、そろそろ野の花が見たくなって、少し早いかもしれないと思いつつ北飛騨の尾崎山1367mに登ってみた。


隠居にとってこの山は山スキーの山で、昔は南の小鳥峠からよく登ったものだ。

しかし近年黒内からの道がつけられ、春先に登山道沿いにイワウチワ、コイワカガミなどが咲き乱れるというので、花好きな中高年に人気が出ているそうだ。

隠居も数年間の5月中旬に初めて黒内ルートから登り、結構花に出会うことができたので味をしめ、今回そのうちのイワウチワをまた見たくてでかけてみたというわけだ。したがって頂上は目指さないことにする。


国道41号線を北上し、飛騨の桜の名所国府町「桜野」にさしかかる。川向こうの園地も国道沿いの並木もまだ満開であった。桜の向こうにはまだたっぷりと雪を残した飛越国境の山があった。冨山の名山金剛堂山のあたりだ。

 

山麓の黒内集落から眺めると、頂上付近にはまだかなりの雪が残っている。


登山口まで林道に車を乗り入れたが、上部には残雪があり、方向転換に苦労する。谷はまだ雪で埋まっていた。


やはり早かったかと半ばあきらめ、急斜面を登るとまずショウジョウバカマの花が迎えてくれた。



さらに急な尾根をたどると、あたりがぱっと明るくなったほど多くのピンクの花が。お目当てのイワウチワの群生であった。標高を測ると800mを少し過ぎたあたりである。







さらに登ってみたがここから上はまだ皆つぼみであった。


イワナシの花も少しはやい。


ブナの老木 屈折度が隠居といい勝負


イワウチワというと、昔5月の連休に魚沼駒ヶ岳へ登りにいったとき、まだ一面雪があるというのに、少しだけ消えた登山道沿いに延々と群生が続きびっくりした記憶がある。豪雪地の花は雪が消えてしまうのを待っておられないようだ。(イワウチワとトクワカソウの違いがいまいちわかりません。)


振り返ると、飛騨山脈の白い峰々が、春霞のなかにぼんやりと見えた。飛騨もようやく春らしくなってきたようだ。

 遠き日の恋思い出し春の宵  北遊子

 

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穂高平

2010.03.19 Friday
 

飛騨の3月はまだ時々降雪もあり、冬ともいえるが、ここでは俳句の季区分(春は2月、3月、4月)に半ば従って春とする。従って当ブログの季区分の春は3月、4月、5月。


今日は穂高平避難小屋の管理人さんらと小屋まで巡視に行き、屋根の雪(といっても傾斜で自然落下していた)の処理作業をしてきた。

山スキーで歩くと汗ばむくらいの陽気。今日は春の山である。途中から南岳がよく見える。






滝谷を登りに行くという2人の男性登山者に会う。



最近の滝谷は登攀者がめっきり減って、特にこんな時期に登りに行く人はまれである。

隠居も若い時は滝谷に通ったこともあるので、穂高平で話がはずむ。大阪の山岳会の人で、年は2人とも50歳。今夜出合に泊まって、明朝はやく第四尾根に取り付くとか。

彼らの情熱に対し言葉で大いに敬意を表し、健闘を祈り、別れる。

穂高平からは中岳がよく見え、双眼鏡を覗くと、なんと強風の稜線を歩いている人がいた。この時期に山へ入っている人は、「ほんとうに山が好きな登山者」といえるであろう。



作業のあと、小屋の前にスノーテーブルを作って昼食をとる。

今年は槍平小屋が奥丸山からの雪崩の被害を受け、二階部分が傷んだとのこと。数年前には小屋の前のテントを雪崩が襲い、死者が出た。

小屋は以前も違う場所で2回被害にあっており、槍平は雪崩の巣とも言え、こわいところだ。

帰路は小屋の前の急斜面を滑り降り、林道へ。スノーシューの人と30分以上の差がつく。












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