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チベット 8 雲南省のチベット寺院

2019.08.02 Friday

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連日の酷暑お見舞い申し上げます。山国高山も今日は37度の予報です。

 

ではチベット紀行の最終回をご笑覧ください。

 

四川省から揚子江の源流金沙江を渡って雲南省へ入り、麗江にむかって南下する途中にシャングリラという新しい町がある。

 

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  金沙江

 

シャングリラとは、イギリスの小説家ジェームズ・ヒルトンが書いた『失われた地平線』(1933年)に出てくる桃源郷をあらわす言葉で、語源はチベット語「シャング地方のリ(山)のラ(峠)」=「シャンの山の峠」。

 

理想郷、桃源郷を表すには、もともとシャンバラという言葉がある。

 

シャンバラは、チベットのシーター河北岸(この場所に諸説がある)の山中にあるという伝説上の仏教王国のことで、住人は皆長寿で穏やかに暮らしているという。

 

近代になって西洋の神秘思想家たちが探索を行っており、虚実入り混じったような探検記を読んだ覚えがある。

 

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 2004年に入ったニェンチェンタンラ山脈の谷は 

  シャンバラへ通じているかのような美しい谷だった

 

中国政府は、シャングリラをチベット周辺での観光用キャッチフレーズに使い、2002年雲南省デチェン・チベット族自治省の中旬県をシャングリラ県(香格里拉県)に改称し、そのあと2014年にシャングリラ市に改名した。

 

このため古い地図には載っていない。

 

ここには雲南省最大のチベット寺院ソンツェリン・ゴンパがある。

 

漢訳は松賛林寺、帰化寺で、雲南のポタラ宮といわれる壮大なもの。チベット仏教最大宗派ゲルグ派の寺だ。

 

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文化大革命でだいぶ破壊されたというが、現在は復元されている。

 

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チベットの寺院内はどこも撮影禁止だが、いくつもの大きい仏像や宗派の祖師のリアルな像が並び、壁天井は極彩色の仏画が描かれ、日本の寺院と大きく違う。

 

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 遠くに見えるのがシャングリラの街

 

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中国政府はソンツェリン・ゴンパを観光の目玉にするため、飛行場まで造ってシャングリラ市を整備している。

 

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 観光パンフの撮影のようだった

 

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以下はまた宗教の話なので、ご興味のおありの方だけどうぞ。

 

「老人は青空を見て瞑想をする」

 

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チベット仏教はたいへん奥が深く、隠居の理解などは、せいぜい大寺の山門から首だけ少し入れて覗いて見た程度であろう。

 

禅宗と同様、心の本性の直観的探究のため瞑想を重んじ、修行者は山の中の見晴らしのいい岩の上でひたすら青空を凝視して瞑想するという。

 

この青空をひたすら見つめ、生と死を超えた領域を見出そうとする瞑想方法、実はオーストラリアの原住民アポリジニーも昔から行っていて、これを知った人類学者や宗教学者は驚いたという。

 

余命が少なくなったアポリジニーの老人は、それまでの家族や社会に取り囲まれた生活を捨て、一人で山に入って瞑想の日々を送るそうだ。

 

チベットと同じで、樹木がまばらな山中の岩の上に座り、青空を凝視続けるという。

 

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老人は自分に肉体の死が訪れる前に、生と死のさらに彼方にある宇宙に偏在する力の流れの実在を体験し、死をのり越えようとするらしい。

 

アポリジニーの老人とインドやチベットの修行者は、同じ高度な瞑想を実践して宇宙的なリアリティに触れようとしており、両方とも3万年以上前から続く瞑想文化だという。

 

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ついでながら老人の生き方については、ヒンドゥー教によく知られている「四往期」というものがある。

 

1学生期=勉学に励む時期 

2家住期=家庭にあって子をもうけ商売にいそしむ時期 

3林住期=森林に隠棲して修行する時期 

4遊行期=一定の棲家をもたず乞食遊行する時期。

 

 

年齢的にはそれぞれ1024歳、22549歳、35074歳、47590歳だ。

 

 

そういえば五木寛之が『林住期』という本を書いていて、「林住期」は時間を取り戻す季節で、独りになり人脈、地脈を簡素化し、自己本来の人生に向き合う時期だといっている。

 

そして自分がほんとうにやりたかったことは何かを問いかける時期だという。

 

隠居はそろそろ第4期の遊行期に入るので、一切を捨てて放浪し、山の中で青空を見て瞑想をしなければならないが、まだいろんな「しがらみ」から逃れられそうにない。

 

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ダライ・ラマ猊下はこんな凡夫を憐れんで、日頃の努力次第でなんとかなりそうなことを以下のように言っておられる。

 

「人生の目的は幸福と快さ。幸福になろうと思えば、常に心が平静で安らいでいなければならない。それは心の訓練で善き心を培うことによって、心の安らぎを得ることができる。」

 

猊下は、これは宗教を信じていてもいなくても関係ないと、心の安らぎの重要性を説いておられるのだ。

 

隠居はまだ煩悩にまみれて安らぎとは程遠い生活を送っているので、そろそろなんとかせねば・・・。

 

チベットの話はこれで終わりです。おつきあいいただき、ありがとうございました。

 

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チベット 7 四川省のチベット寺院

2019.07.25 Thursday

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ようやく梅雨もほぼ明けて、いよいよ夏山シーズンの到来だ。

 

穂高に沸き立つ夏雲を見ていると、雪渓を渡る風や岩の匂いなどが思い出され、この年になってもそわそわしてくる。

 

もう少しチベットの話におつきあいを。

 

登山のほうはあっけなく終ったが、そのほかの収穫は、横断山脈の山々を見ることができたことと、以前から関心があったチベット仏教への理解がさらに深まったことだ。

 

四川省や雲南省のチベット寺院を巡って、仏教に帰依している同行の旅行社社長からいろいろ詳しい話を聞き、帰ってからいろんな本を読んでみて、チベット仏教は日本と同じ大乗仏教ながらとても奥が深いことがわかった。

 

普段なかなか外国人が行くことができない、四川省にあったふたつのチベット寺院をご覧ください。(次回は雲南省のお寺を)

 

まずは亜丁(ヤーティン)の山中にあるツォゴ・ゴンパ(漢名=冲古寺)。

 

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3900mにあるチベット仏教ゲルグ派の寺院で、その創建は元代だという。

 

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次は郷城県(チャディン)にあるこの地方最大のガンデンサンベイリン・ゴンパ。

 

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 僧の住居

 

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 マニ車

 

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 この地方のチベット人居住区は麦畑も多く豊かなところなので、寺を維持できるそうだ

 

1959年ダライ・ラマ14世がインドのダラムサラへ亡命されて以来、チベットにはほんとうの仏教は無くなったといわれるが、寺へ行くとまだ少年から老人まで多くの僧が修行しており、お参りの人が絶えない。

 

中国政府は、ポタラ宮をはじめ各寺院を観光施設化しようとしているようだが、人々の信仰を奪うことはできないだろう。

 

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 五体投地をしながら2ヶ月くらいかけてラサへむかう人

 

以下は宗教の話なので、関心がおありの方だけお読みくだされば幸いです。

 

『チベット死者の書』の話

チベット仏教の特徴的なことは、日本とちがって常に死というものを軸において修行、学習が行われており、少年僧は鳥葬の生々しい現場を一部始終見せられるという。

 

現代のわれわれの世界では死のことを話題にしたがらないが、チベット人にとっての死は身近なもので、常に「死を思え」と教育されている。

 

さて、西洋社会にも知られ、心理学者のユングが感激したというチベットの有名な仏典は『死者の書』。

 

『死者の書』というのは、西洋人が『エジプトの死者の書』からの連想で勝手につけた名で、ほんとうは『バルド・トドウル』

 

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西洋に出回った書は誤訳の部分が多いといわれ、実際はさらに深遠な思想だという。

 

端的にいえば、死に臨む人の耳元で死の直前から四十九日間語りかけるための経典だ。

 

死後の世界が時間を追って書かれている。

 

この経典には死はすべての終わりでなく、死者の意識がバルド(中有、今世と来世の間)世界に入って行き、さまざまな体験をする様子が詳しく書かれている。

 

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死の直後はそれまで隠れていた最も微細な心(深層意識のうちの最深のアラヤ識)が現れるので、輪廻をさけて解脱できる最大のチャンスととらえ、死者を解脱へむかわせる経典なのだ。

 

深層意識というものは、フロイトやユングが20世紀になってから発見したが、仏教では2000年近くも前に既にその存在を知っていた。

 

人間が生きている間は、肉体も心も多層的な構造のためわからないが、生命の本質は心であり、その心の本体は純粋な光だという。

 

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 人間の本性は虹光

  

これは最近の臨死体験の実証的な研究でも、生と死のはざまで光を見た経験が語られるのと同じことらしい。

 

なおこの『バルド・トドウル』は、ゾクチェンというチベット古代の思想、密教の教えがベースになっている。

 

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現代社会では死は一種のタブーで、科学万能の考え方では死は敗北ということになり、最後の瞬間まで目をそむけるしかなく、うすっぺらな現実しか生られなくなっている。

 

しかし人間にとって死は悲しみの時でなく、大いなる解放の時だという。

 

生きている苦しみからの解放でなく、死後やってくるバルドの体験を通して生命のもっとも深い真理を理解することができる機会。

 

死はすべてを奪うものでなく、ほんとうの豊かさを与えてくれる機会だというのだ。

 

ダライ・ラマ猊下は、「生の連続性を受け入れたなら、死はひとつの出来事にすぎず、服を着替えるのと変わりない」と言っておられる。

 

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余命が少なくなった隠居はそろそろ仕舞う準備をせねばならないが、この書はそのためのすぐれた案内書のように思える。

 

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チベット 6 横断山脈の名山・聖山

2019.06.24 Monday

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 ミニヤ・コンカ(7,556m) 現地旅行社H氏提供

 

カンリ・ガルポでの登山は残念ながらあっけなく終ってしまったが、そこへ至るまでの横断山脈で多くの名山・聖山を見ることができた。

 

横断山脈とは、チベット高原の東端でヤルツァンポー川が屈折するあたりから、雲南省北西部、四川省西部にかけて南北に並行するいくつもの山脈のことをいい、未踏峰も多い。

 

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 中村保著『ヒマラヤの東』から

 

そこには、狭い範囲に金沙江(長江源流)、メコン川、サルウィン川(怒江)などの大河が南北に流れ、顕著な浸食の地形をつくっている。

 

このエリアは、いまだ外国人には未知の領域だ。

 

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 日本山岳会『山岳』から中村保作成

 

ちょうどその中間を歴史の道川蔵公路が東西に横切っているので、以前から地図を眺めているだけだった横断山脈の山々、それに名だたる大河を見ることができ、冥途へのいい土産になった。

 

古い宿場モウシから南へ入った四川省カンゼ・チベット自治区には、有名なミニヤ・コンカ(7,556m)があり、驚いたことに山麓の山がよく見える場所までロープウェイがついて、観光地になっていた。

 

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ご存知のとおりこの山は、1981年北海道山岳連盟隊の8名滑落死し、その翌年には市川山岳会隊2名が遭難(その19日後に松田隊員が生還)するなど、事故が多い難峰だ。

 

その後も同じ北東稜で日本ヒマラヤ協会の雪崩遭難があり、日本にとって「悲劇の山」といわれていたが、1997年札幌山岳会が北西稜から登頂に成功した。

 

あいにくガスに包まれ全容は見られなかった。

 

このあとはリタンで川蔵公路を離れて南下し、ヤーティンから三つの聖山を見にいった。

 

ここも昔からシャングリラと呼ばれている景勝地で、今や中国政府の肝いりで観光地化している。

 

いずれも未踏峰のシェンレリ(チェンレースィ・6,032m)、ヤンマイヨン(シャンベーヤン・5,968m)、シャナドルチェ(5,958m)が立ち並んでいて、それぞれ観音菩薩、文殊菩薩、金剛菩薩に見立て、崇められている。

 

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 ヤンマイヨン(シャンベーヤン・5,968m)文殊菩薩

 

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 ヤンマイヨン(シャンベーヤン・5,968m)金剛菩薩

 

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 ヤンマイヨンの看板写真 

 

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最高峰のシェンレリ(6,032m)へは、頂上を踏まないという約束で日本ヒマヤラ協会が1989年に挑んだが登れなかった。

 

よくもこんな山に目をつけたものだと感心した。

 

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 シェンレリ(チェンレースィ・6,032m)観音菩薩

 

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これらの山を眺めながら、知らず知らずのうちに登攀ルートを探している自分がおかしかったが、年齢的にもう登れないと思うとさみしかった。

 

チベットにはカイラスなどの有名な聖山のほか、このように地元で崇めている山がいくつもあり、数年前に西のニェンチェンタンラ山脈でも仲間が入山を拒まれている。

 

2007年に隠居が初登頂したチベットヒマラヤのモンタ・カンリ峰(6,425m)も、登山活動の途中麓のモンタ集落で崇められている山であることを知らされ、最頂部は踏まず、何も残さず帰ってきた。

 

このあと金沙江(揚子江源流)を渡り、雲南省チベット自治州に入る。

 

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 金沙江

 

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ちょっとした町であるディチェン(徳欽)を通って梅里雪山が見える飛来寺へ。

 

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 主峰の北にあるミュンツム・フェン 

 

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 主峰は見えず、ホテルの写真を拝借

 

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 パイマン・シェシャン(白芒雪山)

 

なおディチェン(徳欽)いうところは、明治期に経典を求めてチベット入りをしようとした学僧能海寛(ゆたか)が消息を絶ったところで、キングドン・ウォードや何人かの探検家が足跡を記している。

 

チベット仏教の四大聖山は、1カイラス、2梅里雪山、3アムネマチン(青海省)、4 ネブユゼ?(四川省と甘粛省の境)であると、現地旅行社のハン社長が教えてくれた。

 

そのうちの一つであるこの梅里雪山は、主峰がカワグボ・フェン(6,740m)で、秋には多くの巡礼者が山麓を3週間かけて廻り、五体投地の人も多いという。

 

そんな山を、1991年日中合同登山隊17名(日本11名、中国6名)が登ろうとして全員が雪崩で埋まり、亡くなった。

 

その後19988月以降、氷河の末端から遺体が続々と現れ、村人の協力で回収したが、あと一体が眠っているはずだ。

 

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 メコン川 この上に梅里雪山がある 

 

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 メコン川をはさんで遺体を運んだ氷河が見えた

 

中国側では、2000年この聖山を永久に登山禁止にした。

 

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 ナムチャ・バルワ(7,762m)現地旅行社H氏提供

 

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 カンリ・ガルポ ラロンバー氷河での偵察登山(5月8日)

 

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自然を人間の従属物と考えるキリスト教と近代文明、一方自然を崇め、自然と一体であることを説く仏教など東洋思想の自然観。

 

『荘子』の「斉物論」にも、「天地は我と竝び生じ、万物は我と一(いち)たり」とある。

 

昔から聖山として崇められてきた山の前に立つと、前者の遺伝子を引き継ぎ、登頂だけを目的とする近代登山というものがなんなのかを考えてしまう。

 

それでもチベットにはまだ聖山以外にも6000m級の未踏峰が多く残っており、今後も未知への憧憬を持っている世界中の登山者を虜(とりこ)にするのであろう。

 

隠居はもう山は無理なので、体が動くうちにこんどはカワグボの巡礼道をトボトボと辿ってみたい。

 

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チベット 5 カンリ・ガルポ山群偵察登山

2019.05.29 Wednesday

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 カンリ・ガルポ山群 ラロンバー氷河

 

『ヒマラヤの東・山岳地図帳』などを出版し、今や世界的な東チベットの地理学者中村保氏が、「知られざる南東チベットの山群」と呼んだカンリ・ガルポ山群(全長280繊砲愼るのも今回の目的のひとつだ。

 

登山隊は我々6名のほか、監視役の旅行社社長、補助1名、運転手、その会社の山岳カメラマンが同行することになり、総勢10名になった。

 

我々のテントや登攀具など装備のすべて、食料のほとんどは日本から持ち込んだ。

 

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ラウーの集落を過ぎて少し走った所がラロンバー氷河への入口となるが、天気がすぐれず山の全容は見えなかった。

 

氷河までは低灌木が生える広大な平原になっていて、所々にヤクが放牧してある。

 

そのなかに未舗装の放牧用の道らしき痕跡がついている。

 

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ネパール側の場合、地形が凹凸なのでベースキャンプまで雇用したポーターが荷を担ぐが、平坦な地形のチベットではある部分まで四輪駆動車で入り、その後はヤクが荷を運んできた。

 

ところが最近ヤクはたくさんいるものの「ヤク使い」がいなくなり、登山隊の荷の輸送が難しくなった。

 

近年交易でヤクを使うことがほとんどなくなったからだ。馬も少なくなっている。

 

普通車を乗り入れたらさっそく水たまりに潜ってしまい、皆で押して脱出。

 

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通りかかったチベット人の若い男女が泥だらけになって助けてくれた。

 

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この時期には金になる「冬虫夏草」が採れるということで、今や若い人は馬でなくオフロードのバイクで高原を走り回っているのだ。

 

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途方に暮れていたら、ガイドがトラクターを雇ってきた。

 

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そういえばここへ来る途中、道路工事現場で何台ものトラクターがブロックを運んでいた。

 

チベットでは耕作用でなく運搬用に使われている。

 

なんと1台の中国製トラクターに荷と10名全員が乗り、奥地へと進む。運転手は時々停まってエンジンに水をかけていた。

 

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悪路が続き、振り落とされないように必死でつかまっていなければならなかった。

 

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氷河末端の放牧地4500mに着き、テントを張る。

 

いつもはこの高度で高山病の症状が出る人がいるのだが、今回は順応がうまくいって全員調子がよかった。

 

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登山リーダーを任されていた隠居は、早速目的の尾根に登るルートを見つけ、その下部まで偵察隊3名を出す。

 

この尾根のピーク(約5500m)に登り、奥に居並ぶ未踏峰へのルートを探すのが今回の目的だ。

 

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6000mの未踏峰へルートが見つかっても今回は登山許可を得ていないので登ることはできないし、日にちもない。次回のための偵察だ。

 

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 氷河の奧にある未踏峰

 

4700mあたりまで偵察の結果、急峻ながら雪渓が上部まで続いており、ロープを使って登れることがわかった。

 

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6名中5名が明日の登山に加わることになり、登攀具を配分する。

 

60歳をこえているとはいえ、5名中4名が今も冬山をやっている現役のクライマーで、隠居だけが元クライマー。

 

急な雪壁も難なく登れるはずだったが、夕方から雪が降り出した。

 

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 チベット人のスタッフ

 

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 乾燥したヤクのフンはよく燃える

 

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一晩中降っていた雪は朝になってもいっこうに止まず、尾根上は相当の積雪になっていると思われた。

 

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 ヤクは動かない このあと数日は絶食

 

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どうも早いモンスーン入りとなった模様なので、協議の結果やむなく下山を決する。

 

これ以上の積雪になるとトラクターの運行ができなくなり、何日も山に閉じ込められてしまうからだ。

 

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 西チベット人にとって雪が珍しい

 

携帯電話でトラクターの持ち主に無理を言って来てもらい、ふりしきる雪の中をスリップしながら必死に走り、なんとか脱出できた。

 

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かくして今年のチベット登山はあっけなく終わってしまった。

 

子供じみた言い方ながら、隠居の今までのチベット未踏峰登山は、4年間で33勝(いずれもポストモンスーンで、そのうち1回は前年に偵察している)だったが、残念ながら今回は標高が低いのに登ることができなかった。

 

今まで運がよすぎたわけで、これが登山というものだ。

 

帰ったすぐには風邪をこじらせたこともあり、もうこれでチベット登山は卒業しようなどと思っていたが、今日になったら「冥途の土産に来年はあのピークに立ち、カンリ・ガルポ山群を見渡したい」などと考えはじめている。

 

この困った老人、だんだん高所で体が動かなくなるというのに、夢だけはまだ未踏の山野を駆け巡っている。

 

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チベット 4 ラサ〜ニェンティ〜ラウー(登山口)

2019.05.22 Wednesday

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 セジラ峠からのナムチェバルワ峰(7780m)

  2018.11.1 現地旅行社のハン社長撮影

 

道草を食っていてなかなか登山地カンリ・ガルポ山群へ辿り着けないが、以前とちがって、今回は登山だけでなく道草も目的なのでお付き合いを。

 

道草とは、四川省の成都から横断山脈を越え、ラサを結ぶ歴史の道=茶馬古道、川蔵公路をたどること。

 

現在ここは外国人が入りにくいエリアで、一部は立ち入りが許可されていない。

 

ラサからニェンティまでの420舛蓮以前なかった高速道路がついていて驚いた。無料なのに走っている車はほとんどいなかった。

 

ニェンティ市の公安(警察署)で外国人入域許可書を取得。

 

他の中国地域と違い、チベット自治区ではこうした許認可を含めすべての旅程を現地旅行会社を通じて手配しなければならない。

 

そして現地でのすべての行動は、旅行会社のガイド同行が義務付けられている。

 

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写真撮影にも厳重な制限があり、軍、共産党および地方政府の施設、警察署や警察官などを撮影した場合自治区から退去させられ、ブラックリストに載るので2度と自治区に入れない。

 

ニェンティからダモウを経て登山口ラウーまでの川蔵公路370舛癲⊃年前は悪路で時々崩壊して通行止めが頻繁と聞いていたが、34年前に全面改良されたとのことで、きれいな舗装道路になっていた。

 

そして五体投地でラサへむかう人も見かけなかった。

 

このところの中国政府のチベットに対する急速な現代化政策=「改善」で大きく変わってしまっていたのだ。

 

沿道の民家も政府の補助金で建て替えた家が多く、昔ながらのチベットの山村風景を期待していた我々は少々がっかりした。

 

それでも往時の宿場のなごりが見られ、明るいチベット人たちとの交流は楽しかったし、未踏峰が立ち並ぶ山岳風景はさすがすばらしかった。

 

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ガイドの話では、現在中国政府は資金が潤沢で、成都からラサまで横断山脈にトンネルを掘り、いくつもの大河に橋を架けて、高速道路でつなぐ予定だという。

 

9年ぶりの隠居ならまだしも、2年前にきたことがある隊員が驚くほど急速な変貌ぶりを見ると、この計画の実現も早いと思われる。

 

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 セジラ峠手前の峠で薬草を売っていた。サルオガセも。

 

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途中4700mのセジ・ラ(ラ=峠)を越す。

 

ここからはナムチャバルワ峰(7780m)が望めるはずだが、往き帰りとも雲の中だった。

 

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峠を下ったところにあるダモウというところは、以前ラサの西で登ったニェンチェンタンラ山脈がここまで延びてきていて、6000級の氷河を持った峻峰が市街地を取り囲んでおり、しかも皆未踏峰である。

 

東チベットは、乾燥した大地が広がる西チベットと違って森林が多く、木材を使った家も見られる。

 

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 2005年に行ったニェンティそばの木造民家

  飛騨の農家とよく似ていた

 

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そこにはいろんな鳥が生息していて、同行の鳥博士Uさんは撮影に大忙しだった。

 

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 ダモウ市内からの山々

 

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 センギ・カンリ 6000m級の未踏峰

 

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 ドルジェタ 6200mの未踏峰

 

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 桑の実

 

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 サクランボ

 

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この日は、ラウー湖の畔にあるホテル泊。

 

このあたりは上高地のような風景がどこまでも続き、道路がよくなるとともに一大観光地になるだろう。

 

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 土産売りの子供に日本から持参のオモチャをプレゼント

 

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今までの旅は許可を得なければ入れないエリアで、それなりに自分の知的好奇心を満たしてくれたが、所詮はホテル泊まりの観光旅行だった。

 

変わり者の隠居は、そろそろこの安全性が確保されているぜいたくな?旅に飽きてきて、安全ネットがない不確実性が伴う旅(=未踏峰登山)が恋しくなってきた。なんとも困った年寄りだ。

 

明日はいよいよカンリ・ガルポ山群での登山活動を開始。

 

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チベット 3 ラサの今

2019.05.15 Wednesday

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もしむこうで斃れたら鳥葬にしてもらいたいと願っていましたが、この我欲にまみれた老骨はハゲワシも食わないと知って帰ってまいりました。

 

さて横断山脈へ逆戻りするため9年ぶりに立ち寄ったラサは、大きく様変わりしていた。

 

2006年、青海省ゴルムドからラサへの鉄道が敷設されて大幅な観光客増が見込まれると、漢人の商人が大挙してラサに乗り込み、町の西側は大きく変わり、キチュ川中州には高級住宅が林立していて、その変貌ぶりには驚くばかりであった。

 

チベットがはじめての隊員もいたので、ポタラ宮、ノルブリンカ(歴代ダライ・ラマの離宮)、ジョカン(大昭寺)を見学。

 

世界遺産ポタラ宮は、鉄道がついてから建物保護のため入場者数を制限し、事前予約制になっていたが、この日は意外と空いていた。最近西洋人が少ないとか。

 

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1000を超える部屋があるといわれるが、見学コースが決まられていてその一部しか見られない。内部は写真撮影禁止。

 

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それでも歴代のダライ・ラマのミイラを宝石で飾られた大きい像のなかに納めてある霊塔は、見ごたえがある。

 

建物上部の紅色の部分は、この霊塔など宗教に関わる「聖」の部分。

 

下部の白い部分は、ダライ・ラマの住居であり、政治を執り行った場所。いわば「俗」の部分。

 

壁に塗ってある白い漆喰には、ヤクの牛乳が練り込んであるという。

 

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 回すとお経を読んだことになるマニ車

 

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ノルブリンカは、ダライ・ラマ7世が建てた夏の離宮。

 

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14世がインドへ亡命する直前まで使っていたレコードプレーヤーやラジオ、西洋式のシャワールームまである。

 

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旧市街地にある7世紀吐番時代創建のジョカン(これも世界遺産)は、今も五体投地をする人が絶えなかった。

 

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ジョカンを時計回りに一周する巡礼通りパルコルは、以前あった多くの屋台店が撤去させられきれいな通りになっていて物足りなかったが、それでもまだいちばんチベットの雰囲気を残していて、ここでも五体投地で回っている人がいた。

 

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時間の関係で、セラ・ゴンパ(河口慧海や多田等観が学んだ寺)や郊外にある広大なデプン・ゴンパを見ることはできなかったが、案内してくれた現地旅行社の社長自らがチベット仏教の熱心な信者で、日本の仏教にも造詣が深く、多くのことを学ぶことができた。

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チベットから 2

2019.05.05 Sunday

このチベットだより、その後ご無沙汰していますが、現地の通信環境が悪く、うまく送れないまま移動しています。

 

昨日着いたラサからもうまくゆかず、再度送ってみますが、はたしてうまくゆきますかどうか。

 

われわれがたどっている成都からラサへの歴史の茶馬古道は、四川省のバタンから直接チベットへ入ることができない。

 

現在横断山脈の一部区域が、外国人立ち入り禁止になっているからだ。

 

このためやむなく四川省のリタンからいったん南下し、金沙江を渡って雲南省へ入った。

 

そしてシャングリラから国内線でラサへ飛び、こんどは逆にラサから横断山脈西端の目的地カンリガルボ氷河へ向かうことに。

 

外国人立ち入り禁止区域は、四川省から少しの区間なのに、大廻りせねばならない。

 

チベットは、ラサ以外の外国人立ち入りは、軍、政府、地元警察の許可が必要なので致し方ない。

 

シャングリラへの途中、梅里雪山が見える飛来寺へ寄ったが、あいにく山の全容はみえなかった。

 

 

      揚子江の源流 金沙江の流れ

 

 

      

       ベルマカンリ

 

 

      梅里雪山

 

 

 

あと梅里雪山の山麓を流れる大河メコン川源流の  俯瞰できるところまで下ってみた。

 

        メコン川の流れ

      

 

 

  上の写真 

メコン川の対岸に、上部に氷河がある谷が望めたが、1991年1月、梅里雪山に挑んだ日中合同登山隊17名が雪崩に埋まって死亡した谷と、下流の集落だった。遺体は何年もかかって下流にはこばれ、順次発見された。 その現場に向かって黙祷をした。この山はカワカブと呼ばれ、チベット仏教の四大聖山のひとつで皆に崇められている。このため地元では、山を汚したからだと言われているようだ。p>

 

シャングリラには、雲南省のポタラ宮といわれる大きいソンツェンリンゴンパがある。

 

 

 

シャングリラからラサへ飛ぶ。 9年ぶりのラサは大きい建物が建ち並び、変貌していたが、お寺では多くの若い人が五体投地をしているなど、チベット人の信仰心だけは変わっていないようだった。p>

 

 

       世界遺産 ポタラ宮

 

 

明日は東のニェンティ市まで行き、地元警察から目的地カンリガルボ氷河地区への立ち入り許可をとらねばならない。外国人立入許可書などというものは、明治初期政府がガウランドに発行していたものを思い出す。p>

 

そしてさらに横断山脈へと東進する。

 

あこがれの山カンリガルポ山群は遠い。

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

 

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チベットから 1

2019.05.01 Wednesday



成都からラサへのティーロードの旅は、令和の今日、まだ四川省のチベット集落に滞在中。


途中チベット人が仏像に見たて、崇めている聖山を見学。


6000m級ながら素晴らしい山ですが、当然許可が下りず未踏峰。


四川省の西部は標高が高く、いくつも越えた峠は皆4500mくらいで、宿泊場所は3000mから3600m。


このため登山のための高度順化ができています。


明日は横断山脈を流れる大河のうち金沙江(長江源流)へ接近。    郷城にて





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チベットへ

2019.04.25 Thursday

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この年になっても未知へのあこがれは止まず、明日からまたチベットへ行くことになりました。

 

乾いた大地がどこまでも広がっているだけの虚空の国、標高が高くて雲に手が届きそうな天空の国になぜか魅かれるのです。

 

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5回目になる今回は、今までのように一つの山を目的とするのでなく、四川省の成都から真西へラサまで歴史の古道「川蔵公路」を車で約

2600前幣絨榮阿掘途中の氷河で小登山をする計画です。

 

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移動の途中では、ミニヤ・コンカ(7,556m)や梅里雪山(ミンリンカンリ・6,740m)ナムチャバルワ(7,782m)などの名峰が見られます。

 

踏査の山は横断山脈の西端、6000m級の未踏峰が多くあるカンリ・ガルポ山群。

 

多くの氷河を擁する東西280舛了殻で、チベットの山に詳しい中村保氏が著書『ヒマラヤの東』でこの山域のことを、「知られざる南東チベットの山群」と書いています。

 

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今回はラロンバー氷河に入ってテント泊をし、偵察がてら小ピークに立てたらと思っています。

 

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 氷河奥にある未踏の峻峰

 

この計画は、松本市のMさんが3年かけてめんどうな許認可の取得などを行った、全く手作りの山旅。

 

拙者はMさんと2010年に未踏峰ダ・カンリに登った時のご縁でお誘いいただけたのです。

 

隊員は長野県3名、東京1名、三重県1名と岐阜の隠居。

 

隊の名前は「シルクロード踏査と偵察登山隊」(シルクロードはティーロードのほうがよかったかも)

 

今回我々が入る、四川省成都から康定(ダシェド)と理搪(レタン)を通り、横断山脈を越えてチベットのラサへ至る古道は、明治32年東本願寺の僧能海寛(のうみ・ゆたか)と寺本常太郎が経典を求めて入ったものの、巴塘(パタン)で入域を拒まれたルート。

 

能海寛は再度別ルートで挑戦しますが、途中で山賊に惨殺されています。

 

明治から大正かけては求法のために、戦前には密命を帯びて10人の日本人が閉ざされたチベットへ入ろうとし、あるいは入って貴重な体験をしました。

 

チベットへ入った日本人のことを『西蔵漂泊』(山と渓谷社)に詳しく書いた江本嘉伸氏は、行動の時期で第一グループを能海寛、寺本婉雅、河口慧海、成田安輝、第二グループを矢島保治郎、青木文教、多田等観、再入蔵の河口慧海、第三グループを太平洋戦争の直前に国家のため情報収集でモンゴル人になりすまし、チベットに入った野本甚蔵、西川一三、木村肥佐生としています。

 

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 五体投地をしながら何日もかけてラサへ

 

西川と木村は敗戦も知らずにしばらく留まっていて、帰国後その体験を西川は『秘境西域八年の潜行』、木村は『チベット潜行十年』として書いており、皆さんもご存知だと思います。特に西川の僧院での最下級僧としての生活体験は貴重なものとされています。

 

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 世界遺産 ポタラ宮

 

僧籍にある人は仏典を持ち帰るのを目的としましたが、それを果たしたのは河口慧海、多田等観、寺本婉雅でした。

 

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チベットへ向かった日本人を、学僧、旅人、探検家などと呼ぶことが多いが、司馬遼太郎は「知識人の夢」

と言っています。

 

江本氏は『西蔵漂泊』の終章に「日本人であることを隠し、閉ざされていたチベットに入って行った旅人たちの記録を追いながら、旅というものが、いかに知的刺激にあふれたものであるかを改めて思った」

 

「困難ではあったが、十人は幸せな旅をした。現代では彼らが実践したような知の体験はまれである。」

と書いています。

 

冒頭に書いたように今回は登山だけではないので、体は弱っているものの知的好奇心だけは旺盛な隠居は、「知の体験」をしてきたいと思います。

 

いずれも冥途への土産になることは間違いなさそうです。

 

ご存知のように、かの民族は現在たいへん困難な状況に置かれており、通過者ながら心が痛むことが多いと思われますが、その現実も直視してきたいと思っております。

 

当然現地で政治向きのことは「見猿、言わ猿、聞か猿」が入域の条件になっています。

 

現地から景色に限定しての写真の送付を試みますが、僻地のこと故うまくゆかない気がします。

 

無事帰りましたら詳細をご報告いたしますので、しばらくお待ちください。

 

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 2005年の登山 アプローチは馬で

 

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 荷はヤクで

 

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 2005年に登った山

 

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 2007年に登った山(中央奧)

 

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 2010年に登った山(左)

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韓国・雪岳山

2015.04.06 Monday
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昨日の日曜日、予定していた山スキーは雨で中止に。

 

家で写真を整理、というよりペーパーのものを廃棄処分していたら、昔韓国の雪岳山へ岩登りに行った時の写真が出てきた。

 

40年も前の古い写真でまことに恐縮ながら、捨てる前にいちどご覧いただきたい。

 

まだ岩登りに燃えていた27歳の時だった。時期は4月末で、同行は少し年下のSH

 

朝鮮半島東部を貫く太白山脈にある雪岳山(ソラクサン)は、北緯38度線を越えたところの日本海側の束草市西部に位置し、国立公園に指定されている。

 

雪岳山には花崗岩でできた切り立った峰が連なるが、標高1,708mの大青峰(デチョンボン)が最高峰。

 

済州島の漢拏山(標高1,950m)と小白山脈の南端の智異山(1,915m)に次ぐ、韓国第三の高峰である。花崗岩の峰々がいつでも雪が積もったように白く見えるところから雪岳山の名が付いたとされる。

 

往路は下関からフェリーで釜山に渡り、YS11のプロペラ機でソウルへ飛んだ。

 

韓国はまだ朝鮮戦争の戦後から立ち直っておらず、ソウルの街には廃墟のビルが残っていたし、夜間外出禁止令が出ていて、市内にも道中にも軍の検問所がいたるところにあった。

 

ソウルに泊まった翌日は、長距離バスで未舗装の道路を走り束草市へ。ここからまたバスで雪岳洞へ行き宿泊。

 

登山口から少し登ったところにある蔚山岩(ウルサンバウィ)は、錫杖岳の前衛フェースによく似た300mの岩壁で、当時岩登りの名所になっていて、3人でここに登って遊んだ。

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ただし錫杖岳と違うのは、岩場の横に鉄製の階段があって観光客も頂上へ登ることができ、まったくのゲレンデだった。

 

あとは途中の山小屋(といっても寺の宿坊みたいなもの)に泊って、そばの針峰でクライミングを楽しんだ後、大青峰(1,708m)に登ってきた。

 

登山道は、両側に奇岩怪峰がいくつも立ち並ぶ、山水画にあるような美しい千仏洞渓谷沿いについていた。

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  大青峰

その後ソウルなどへは何回か行ったが、雪岳山には行っていない。

 

現在は一大山岳観光地となっていて日本からのツアー登山も盛んなので、登った方も多いと思う。

 

写真を見ていて、蔚山岩の岩は日本の穂高や錫杖の岩と違って風化した目の粗い花崗岩で、しかもチムニー、クラックなど内面登攀が主だったため、たいへん手こずったことが思い出された。

 

そして今と同様に対日感情が悪かったことも。

 

しかし隠居のDNAの半分は渡来系みたいなので、かの国のあちこちでなつかしい顔に出会ったこともいまだ印象に残っている。

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