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『飛騨紬』を歩く 7

2012.06.07 Thursday
s-深山藤.jpg 


 深山藤風雨の夜明け遅々として
 普羅

s-風澄むや.jpg

 
 風澄むや落花にほそる深山ふぢ 普羅

 

このシリーズ、普羅論やら俳句論などが入り乱れ、脈絡のない進行で申し訳ありません。


今回は山岳俳句について。


そもそも山岳俳句というものの定義はなんでしょうか。


それは山に登り山を愛してやまない作者が、その感情を通して山を詠った句のことを言い、当然のことながら、その作者の山の登り方は登攀を伴うスポーツ的な場合もあれば、思索をしながら森林や渓谷を歩く静観的な場合もあります。


最初に山岳を詠んだのは、全国俳句行脚の途中、明治427月に立山に登った河東碧梧桐だといわれています。


この時は中部から北越への旅でしたが、途中715日には高山へ寄って土地の名士たちと句会を開いています。

この句会の末席に、この頃まだ魚問屋の丁稚だった瀧井孝作(号折柴)が連なり、碧梧桐から指導を受けています。


碧梧桐はこのあと立山へ登り、頂上で 雪を渡りて又薫風の草花踏む を詠みました。


彼はその後針の木岳から槍ヶ岳への縦走も行っていますが、碧梧桐の登山は一時的なものであり、普羅のように終生山への愛を持ち続けたわけではありません。


普羅は横浜にいた大正6年に甲斐駒ヶ岳に登り、あと八ヶ岳など甲州の山や渓谷を歩いて山への思慕を句に結晶させました。


富山に移ってからはこの山域から足が遠のきましたが、昭和11年にふたたび甲斐を訪れ、駒ヶ嶽居凍てて巌を落しけり などいくつもの名句(「甲斐の山々」)をものにしています。


富山では朝夕に立山連峰を望むことができ、隣にあこがれの飛騨の国があり、とてもこの地が気に入っていたようです。 立山のかぶさる町や水を打つ 


残念なことに昭和208月の空襲でまた家屋と家財、そして多くの書籍を失い、転居を余儀なくされます。 


その後本格的な近代登山を実践した石橋辰之助が水原秋桜子の「馬酔木」に属して多くの山岳俳句を詠み、「ザイル」「ケルン」などを季語として定着させました。


霧ふかきケルンに触るゝさびしさよ
 などは隠居が好きな句です。 


なお、秋桜子も山に親しみ、山の句をいくつも残しています。


さらに岳人として山を詠み続けたのは福田蓼汀、岡田日郎などがいますが、生
涯孤高の精神性をもって山を慕い続けたのは普羅だけのような気がします。

s-P5120005.jpg 


ふぢ白し尾越の声の遠ざかる
 普羅

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