Calendar

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>

Recommend

MOBILE

qrcode

Link

Profile

Others

Search this site.

Blog

<< 立壁 | main | 有巣峠 >>

大沼峠

2012.10.31 Wednesday
s-沼1.jpg
峠の途中にあった地蔵様 今は県道端に

引き続き人々の記憶から消えつつある小さな峠にこだわって。


今回の大沼峠は三之瀬峠の東にある峠で、やはり十二ヶ岳から西へ派生した小山脈を越える。


荒城川沿いには小さい集落が点在しているが、先の三之瀬集落の約2匸緡に大沼という集落があり、ここから南の滑谷(なべりたに)集落へ越す峠だ。

s-沼3.jpg

江戸期はこのあたりを大沼村といい、名主をつとめていたのが現在の大沼家。(大沼家のことについては後述)

s-沼2.jpg
大沼家

たまたま峠のことを聞こうと寄った家がこの大沼家で、85歳という翁が相手をしてくださった。


この集落は皆家の裏が山で、家の前に少しの田、そして荒城川があってまた山が迫っている。

峠は大沼家の前から真っ直ぐ田の中を歩いて吊り橋を渡った所が峠道の取り付きだったが、昭和45年頃峠の西に自動車道が開通するとともに峠道は次第に廃れ、吊り橋も落とされた。

s-沼4.jpg

s-沼4−1.jpg

s-沼5.jpg

それまでは荷馬車が通った広い峠道であったとのこと。


郵便配達さんが峠から自転車で下ってくるのがブレーキ音で分かったと話してくれた。


近年通る人がいないので笹に埋まっているであろうということであったが、歩いてみることにする。


取り付きは下流の橋を渡って左岸についている農道を歩き、旧吊り橋の前から。

s-沼6.jpg

いきなり笹が密生していたが、少し進むと植林帯のなかは笹がなく、昔のままの広い道が延びていた。

s-沼7.jpg

植林帯を過ぎて日当たりのいい場所にでるとまた笹が密生していて苦労する。

途中から稲刈りが終わったばかりの大沼集落が俯瞰できる。

s-沼8.jpg

このあたりにあったという地蔵尊は麓の県道端に降ろされて、今は県道端で行き交う車の安全を見守っている。

s-沼10.jpg

s-沼11.jpg

s-沼12.jpg

s-沼13.jpg

s-沼14.jpg

s-沼15.jpg

s-沼16.jpg

s-沼17.jpg

s-沼18.jpg

道は谷沿いになり、さらに笹漕ぎがつづく。


やがて平坦な地形になり頂上とおぼしきが場所に出たが、そこには牛舎の廃屋があってびっくり。


このあたりは平坦な地形が広がっているので、一面農地に開墾され、トマト栽培のビニールハウスなどが建っている。


下りの峠道が見つからず、縦横につけられた畑の中の道を迷いながら下部の滑谷集落へ。


家の前におられた、これも地名とおなじ姓の滑谷さんに道を尋ね、地図を書いてもらってようやく判明。

s-沼23.jpg
滑谷家

再度峠まで引き返すことにする。


やはり先ほどの建物のあたりが峠で、これを横切ると笹原の斜面に道のかたちが見えた。

s-沼19.jpg

先の大沼翁の話しでは、昔ご先祖が峠に安置した2体の地蔵尊は、峠の西に自動車道が開通したとき自動車道の辻に移したが、まもなく2体とも盗難に遭ってしまい、今はないとのこと。


このころから日本中が開発ブームになり、山の中に少しでも平坦地があると農地やリゾート地に造成され、道路が縦横につけられ、人々が車で忙しく走り回るようになった。


そして古い物が壊され、棄てられ、農村の美しい景色も消えてしまった。


日本人からやさしさが消えてしまったといわれるのもちょうどこの頃だ。


話しが脇道にそれてしまったが、笹薮を漕いで再び滑谷集落へ。

s-沼20.jpg

滑谷集落の分岐の地蔵様は幸い健在であった。

s-沼21.jpg

s-沼22.jpg


大沼さんのご長男(63歳)は、剣道の防具を担いでいつもこの峠を越えたことを、そして道を教えてくれた滑谷さん(65歳)は、峠を越えて荒城川へ泳ぎにいったことを懐かしそうに話してくれた。


余談になるが、大沼家のことを少々。


江戸期に幕府の直轄地飛騨を支配した高山陣屋の代官(後に郡代)大原彦四郎、亀五郎父子の時代、農民への圧政に耐えかねて起きたのが飛騨最大の百姓一揆だった大原騒動。


18年の間に、明和騒動、安永騒動、天明騒動と三つの騒動が起き、多くの犠牲者が出たが、大沼村の名主九左衛門と子の忠治郎父子がこれに関わっている。


九左衛門は安永の検地に反対した首謀者とされ江戸の獄中で病没。天明騒動のときは養子の忠治郎が活躍した。


忠治郎は後にこの三つの騒動の全容を『夢物語』として全十巻107項にまとめた。

この書は、今も大原騒動の記録としては第一級のものとなっている。


というわけで、大沼家は大原騒動と一番関わりの深かった家なのである。


父子とも農民のためにこの峠を頻繁に往来して奔走し、そして九左衛門はついに戻ることがなかった。

s-沼地図1.jpg


 
comments(0) | trackbacks(0) | - | -

Post a Comment






Trackback URL

http://hidanoyama.jugem.jp/trackback/211

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.