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笠ヶ岳で南裔(なんねい)禅師の慰霊

2017.09.15 Friday

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 僧形の宗猷寺副住職と笠ヶ岳

 

文政5年(1822)笠ヶ岳に登った播隆上人は、その後槍ヶ岳を開山したため未だその名を知る人が多いが、越中出身の播隆より40年前に登頂したのは、地元高山にある宗猷寺(臨済宗)南裔禅師である。

 

播隆については現在も槍ヶ岳への慰霊登山、慰霊祭が実施され、「ネットワーク播隆」などの研究組織が活動しているが、南裔については地元でも知る人が少なく、今まで顕彰などが行われたことがなかった。

 

没後210年が過ぎたことから、98日から10日、宗猷寺の副住職をはじめ有志で笠ヶ岳に登り、遺徳をしのんで慰霊を行った。

 

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今までに四季を通じて50回近く笠ヶ岳に登っている隠居は、以前からこのすばらしい山の登山史に関心を持ち、始めは未発見の播隆仏探索などに力を入れていたが、そのうち地元の人南裔に魅かれるようになっていた。

 

そして6年前には地元の郷土史研究会紀要『斐太紀』4号に「南裔禅師と笠ヶ岳」を執筆し、飛騨では播隆より南裔を顕彰すべきだと訴えてきたが、宗猷寺の副住職さんが慰霊を考えておられることを知り、今回有志での慰霊登山が実現した。これもなにかの縁であろう。

 

隠居がリーダーの慰霊登山隊は5名。

 

笠ヶ岳が初めての方もおられ、いきなり笠新道はきついので初日は鏡平山荘に一泊し、翌日弓折岳からのんびりと稜線歩きを楽しみながら笠へ向かった。

 

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 若き日に遊んだ穂高滝谷

 

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午後2時半から頂上の祠の前で、ちょうど四国からツアーで来ておられた中高年の皆さんなど一般登山者20数名にも参列していただき、副住職の読経で慰霊を開始。

 

南裔、北洲、播隆の慰霊と併せ、昨今各地で多発している自然災害などで亡くなられた方々の慰霊もおこなって、無事慰霊祭を終えた。

 

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 2008年に山岳会が奉納した銅版 登山史が記してある

 

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この日は山荘に一泊し、翌日笠新道を下った。

 

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 若き日に遊んだ第一岩稜(中央の岩尾根)

 

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帰路一重ケ根の旅館で温泉に入れてもらったが、そばの禅通寺門前に南裔書の大きい石碑があることを宿のご主人に教えていただき、はじめて知った。これも不思議な縁だ。

 

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この慰霊登山を新聞で紹介してもらったため、飛騨の人に南裔のことを知ってもらうことができ、ほんとうによかった。

 

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禅師も泉下で喜んでおられることであろう。

 

<以下南裔の笠ヶ岳登山など豆知識>

宗猷寺10世の南裔は、天明3年(17836月末、地元の有力者今見右衛門の案内で、同寺の後輩北洲禅師、飛騨郡代役所(高山陣屋)の地役人などを伴って登頂し、頂上に仏像と登頂者の名を印した鉄札を奉納した。

 

従ってこれを笠ヶ岳の開山と見てよい。

 

その40年後に登頂した播隆がその鉄札を持ち帰り、頂上にあった仏像のことを『迦多賀嶽再興記』(これは日本最古の登山記録とされる)に詳しく書いている。この著書の題名でもわかるとおり、播隆は南裔が開山した笠ヶ岳を再興したわけである。

 

天明年間は全国的に天災地変の多い年で、天明2年(1782)には長雨などの影響で全国的な飢饉が発生して飛騨でも餓死者が出、これは天明7年(1787)まで続く。そして天明36月には浅間山が大噴火して2万人の死者が出た。

 

南裔の登山の目的はこれらの災いの鎮護祈願、犠牲者の慰霊だったのでは、というのが『斐太紀』に書いた隠居の仮説。

 

江戸で篆書と篆刻を学んだ南裔の書は、宗猷寺はじめ旧丹生川村の生家などに残っているが、まだ見つかっていないものがあると思われるので今後調べたい。

 

禅は、かの白隠禅師にも師事した。

 

どちらかというと、播隆さんは孔子タイプで謹厳実直な感じの人、南裔さんは荘子タイプの融通無碍の人で、酒を飲むのなら南裔さんのほうがいい、などと不埒なことをアホな隠居は考えた。

 

なおこれを機に「南裔顕彰会」を発足させたので、毎年の慰霊登山、禅師の業績研究などの事業にご賛同いただける方は隠居までご連絡ください。 k.kinoshita@hop.ocn.ne.jp

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資料の整理中に市民時報9/6を読んだ。インターネット検索で「一行」が木下君と知った次第。

三輪俊博 | 2017/09/23 10:04 AM

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