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笠ヶ岳の岩場で遊んだ話

2017.09.28 Thursday

s-笠50.jpg

 

このところ野暮用が多くてなかなか山へ行けないので、四方山話を。

 

上の写真は、先日笠ヶ岳での南裔禅師慰霊登山の帰路、杓子平から撮った穴毛谷の第1岩稜。

 

「若き日にここで遊んだ」との写真のキャプションを見て、いろんな問い合わせがあった。

 

「こんなところで何をして遊んだのか」という素朴なご質問から、「笠ヶ岳に岩場があるのか」「どのルートを登ったのか」「一度登ってみたいが・・」というものまで、いろいろだった。

 

以下そのご質問にお答えしたい。

 

昭和30年から40年代にかけ、パイオニアワークという言葉に支えられ、若者が「未知と困難」を求めて谷川岳や穂高岳など各地の有名山の岩場に新しいルートを拓くことに熱中した時期があった。

 

一般の人から見ればまことに不条理な行為であったろうが、先鋭的なアルピニズムを実践する一部の登山者にとって命がけで高みへと攀じる行為は、この上なく価値のある行為であった。

 

笠ヶ岳東面の二ノ沢、四ノ沢の奥にも大きい岩場があり、昭和35年、山岳会ではこのブームに遅れをとってはならないと、先輩方が四ノ沢の岩場に的を絞り次々と初トレースを行った。

 

s-笠ヶ岳(抜戸から6).jpg

 

s-笠ヶ岳四の沢左.jpg

 

なかでもひときわ目立つこの第1岩稜は、昭和357月に尾根通しのルートが5名によって初登攀されたのである。

 

s-穴4−14.jpg

 

昭和40年代になり、隠居の世代のクライマーたちも少し遅れてこの戦列に加わった。

 

既に登られたこの岩稜の左側と右側に大きな岩壁があることがわかり、ここに新しいルートを拓くため2パーティがそれぞれ通い始めたのである。

 

初登された尾根通しのルートは灌木が多いし傾斜もさほどでないが、両側の壁は灌木がないすっきりとした、穂高の滝谷に勝るとも劣らない大岩壁だった。

 

下部には遅くまで消えない大きい急峻な雪渓があって、ヨーロッパアルプスまがいの岩と雪の世界を満喫できた。

 

ところが、右側(Bルンゼ側)の壁に入ったUさんたち3名は、ある時乗用車くらいの落石に見舞われた。幸い軽い怪我で済んだが、その後彼らは開拓を断念してしまった。

 

左側(Aルンゼ側)の壁に入った隠居と後輩のH(途中Hの病死でSに交代)は、時間がかかったが300m近い壁を登りきることができた。

 

s-穴4−3.jpg

 

s-穴4−1.jpg

 

s-穴4−6.jpg

 

s-笠ヶ岳第一岩稜フランケ大スラブルート.jpg

s-笠ヶ岳第一岩稜フランケ大スラブルート.3jpg.jpg

 

s-穴4−10.jpg

 

s-穴4−11.jpg

 

写真とルート図にあるこの垂直の壁に、ハーケン70本、ボルト14本を打ち、アブミを多用したので、フリーやクリーンクライミングを実践している現代のクライマーからは大いに叱られ、軽蔑されることであろう。

 

s-第1岩稜P2フランケ.jpg

 

s-IMG_1804.jpg

 

これが「若き日にここで遊んだ」という話である。

 

この時期日本中のほとんどの岩場ルートが初登攀され、その後そのルートの冬季初登攀争いが展開されて山岳雑誌を賑わしたが、ほどなくほとんどが登られ、沈静化した。

 

以上の話は、今の一般登山者から見ると、理解しがたいクレージーともいえる登山方法かもしれないが、これが明治になって西洋から伝わったアルピニズム(近代登山)の本流であり、この技術、経験でアルプスのアイガー北壁など難度の高いルートが登られ、ヒマラヤの主要ピークの初登頂がなされたことを忘れてはならない。

 

日本では最近こういう登山をやる人が希少種となり、滝谷など有名ルートに取り付くクライマーはほとんどいなくなったが、それでも隠居と同年輩の松本のMさんなどは、まだこういう登山にこだわって実践されていているので、敬服している。

 

隠居はとうにこういう登山はできなくなり、せいぜい沢登りや山スキーでお茶を濁しているが、今でもこの岩稜の全貌がよく見えるこの場所(笠新道の降り口)に立つと、純粋に山に打ち込んでいた若き日が彷彿と蘇り、老体が熱くなる。

 

s-06.8.2 笠ヶ岳 しゃくし平.jpg

 

s-笠51−1.jpg

 

今はなくなってしまったが、この頃二ノ沢出会いに旧鉱山の宿舎があり、笠ヶ岳の岩場へ入っていた大学の山岳部や各地の山岳会が利用していたが、小屋の板壁に誰が書いたのか「強く、激しく、美しく生きた若き日の紋章をあの岩壁に刻む」と大きく墨書してあった。

 

まだ二十代だった隠居は、この文におおいにかぶれ、せっせと岩場へ通ったものだ。

 

s-P6020041.jpg

 穴毛本谷

 

s-穴毛谷スノーブリッジ2jpg.jpg

 

写真の説明をするつもりが、ずいぶん懐古的、自己陶酔的になり、さらには今では色あせたアルピニズム論まで持ち出してしまった。

 

昔の戦(いくさ)話をするのは、寿命が短くなったせいなのでご容赦。 

comments(1) | trackbacks(0) | - | -

Commnets

ご隠居さんは、すごい山屋さんですね〜

笠ヶ岳鉱山の地図を入手して、眺めていますが
なんてったて、道がない・岩がゴロゴロ・厳しい谷の上のようなので

高根鉱山のようにはいかないな〜

bandlover | 2017/11/14 5:48 PM

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