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レルヒ少佐の一本杖スキーがすぐ飛騨へ伝わった

2018.02.01 Thursday

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 レルヒのことを語る大正期の新聞(飛騨山岳会所蔵)

 

このところ毎週山スキーに惚けている傍ら、ある歴史研究会の紀要に載せてもらうべく「飛騨のスキー小史」みたいなテーマでパソコンのキーをたたいている。

 

もちろん隠居は歴史の門外漢だから、登山史的なものしか書けない。

 

登山史は歴史の専門家が手を付けない、いわば「すき間産業」なので、浅学菲才を顧みずに今までずいぶん恥をかいて(書いて)きた。

 

今書いているスキー史のうちから珍しい、面白い話を少々。

 

よく知られているように、日本へはじめてスキー術を伝えたのは、日露戦争に勝利した日本陸軍を研究する目的で来日したオーストリア・ハンガリー帝国(当時)の軍人テオドール・フォン・レルヒ少佐である。

 

彼は明治44年(1911112日、新潟県中頸城郡高田町の陸軍第13師団歩兵第58連隊に1本杖での滑降技術を伝授した翌年、北海道の旭川第七師団へ転じ、札幌でも指導を行っている。

 

実はちょうどこの時期、高山の造り酒屋の二木長右衛門が札幌農学校(途中で東北帝大農科大学に)に学んでいて、1本杖のスキー術を習得している。

 

ひよっとすると、レルヒ少佐からの直伝かもしれない。

 

しかしレルヒは主に将校団に伝えたという記録があるので、おそらく札幌近郊の山で間接的に学んだのであろう。

 

翌大正2年(1913)、二木は高山へ道具とともに技術を持ち帰り、母校斐太中学(現斐太高校)の裏山で滑って見せ、指導を行った。

 

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 一本杖の練習をする斐太中学生徒(『斐太高校100年史』から)

 

これが飛騨におけるスキーの初伝来といわれる。

 

スキーの本場長野県の白馬地区に高田から伝わったのも同じ年だから、飛騨への伝来は全国的に見てもかなり早い時期であった。

 

そして大正8年(1919)には体育教師石川三雄の尽力で、斐太中学にスキー部が創設された。

 

この頃から高山で急速にスキー熱が高まり、斐太中学では授業に組み込まれ、城山などで滑った。

 

スキーは高価なので生徒は自分で木を削り、町の鍛冶屋に金具を作らせたものが多かったという。

 

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 二木酒造所蔵の古いスキー

 

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さらにスキーは急速に飛騨一円に広まり、大正15年には古川小学校に1本杖のスキーが3台置いてあった記録がある。杖にワッパはついていなかった。

 

実はこのことは、吉城郡旧坂下村(旧宮川村)の教員水畑重平が、『宮川村誌』に当時の様子を詳しく書いていることからわかったもの。

 

彼は新任の古川小学校ではじめてスキーというものを見た。そのうち先輩の先生の指導で昼休みに裏の桑畑を歩いてみたが、転倒の連続だったという。

 

それでも面白くてならないので、昭和2年古川町の岩崎運動具屋で新潟高田製の2本杖スキーを12円、軍隊式の編み上げ靴を350銭で購入し、万波高原などへ行って我流で滑ったそうだ。

 

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はじめは直滑降だけだったが、そのうち本を見たり、隣村(富山県猿倉村)の講習会に出たりして回転ができるようになった。

 

その頃坂下村では後に郵便局長になる中学生ひとりだけがスキーを持っていたそうだ。

 

以下山岳資料館所蔵の古いスキー道具。

 

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調べると、昭和初期の飛騨にはスキー場がたくさんあった。

 

今ではその名前を初めて聞くスキー場がいくつかあるが、そのうちの一つ「西霧野スキー場」を紹介しよう。

 

場所は現在の古川町黒内区にある「飛騨古川桃源郷温泉」付近のリンゴ園あたりの緩斜面。

 

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 昭和初期にカラーの宣伝リーフレットを作っている

 

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昭和4年にはもうスキー大会を開いている。

 

主催は西霧野スキー倶楽部、後援が小鷹利村教育会。競技種目は小学生の部、青年の部があり、それぞれ百m、三人連鎖、スラローム、ジャンプ、リレーなどがあり多彩だ。

 

当時はスキーが買えない子供が大部分で、皆竹スキーや箱ソリで遊んでいた時代だから、競技の間だけ教育会で貸し出したのであろう。

 

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 竹スキー(飛騨市美術館展示品)

 

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 「パンパン下駄」という名の竹スケート(飛騨市美術館展示品)

    隠居の子供の頃もまだあった

 

当日は処女会の簡易食堂を開設可仕候とある。

 

後に有名になる流葉、位山、舟山などのスキー場は、まだこのころなかったか、開設準備中だった。

 

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 開設した年の流葉スキー場の新聞報道 

 「モンペでスキー」の表題(飛騨山岳会所蔵)

 

飛騨には全国的にみてもかなり早い時期にスキーが伝わり、飛騨人はずいぶん早くからスキーを楽しんでいたことがわかった。

 

しかし、スキー場にリフトが出現したのは昭和22年に進駐軍が志賀高原丸池につくらせたのが最初で、それが次第に普及していった。

 

それまでは滑ったあと担いで登るか、シール(あざらしの毛皮)を裏に張って登るしかなく、皆「山スキー」であった。

 

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 昭和9年の乗鞍スキー登山(神通寺所蔵)

 

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 昭和11年の乗鞍スキー登山(神通寺所蔵)

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スキーを愛し、そしてバイアスロンをこよなく愛する、飛騨の山奥(山之村)出身の石岡です。
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石岡勝宏 | 2019/04/14 6:41 AM

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