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幻の笈破と牧坂峠

2018.05.10 Thursday

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 牧坂峠の石仏

 

今はもう通る人がいないが、かつては多くの往来した人々の哀歓を見つめてきた峠道への関心は尽きない。

 

久々に峠歩きをしてきた。

 

さて、飛騨人でも「笈破」という変わった地名を聞いた人は少ないのではないだろうか。

 

これは「おいわれ」(江戸期の本にはオヒワリとも)と読み、かつて北飛騨の標高約900mの山中にあった集落の名だ。

 

国土地理院地形図の5万分の1「有峰湖」にはその名があるが、25千分の1「鹿間」からは消えている。

 

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 5万分の1図には地名がある

 

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 2万5千分の1図では消えている

 

神岡町中心部の北部、高原川右岸の山中にあって8戸が住んでおられたが、昭和30年代から順次神岡の町などへ出てしまわれ、昭和の終わりには廃村になってしまった。

 

かつてこの笈破村へ行くには、越中東街道(現国道41号線)ぞいの牧集落から1時間ほどかけて山道を登るのがいちばん近かった。

 

あと東の山野之村から峠(笈破側では伊西峠・山野村側では笈破峠と呼んだ)を越えるか、南の神岡鉱山前平から蛇腹峠を越え、長躯歩くしかなかった。

 

廃村になった現在も入りにくい状況は変わらず、南側から敷設された林道があるものの、鉱山専用道路なので一般車は入れない。

 

隠居は以前から山野村の伊西からこの笈破へ通じる峠道のことが気になっていたが、毎年新緑の頃に元村民の方が祭礼のために入られることを聞いて、今年頼んで同行させてもらった。

 

神岡の町から山野村へ通じる県道の途中から左の鉱山専用林道に入り、山中の未舗装の悪路を7kmほど走ると突然平地が現れた。地形はまさに隠れ里であった。

 

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皆さんが神社で祭礼をやっておられる間、隠居は山野村へ通じる峠道の探索に入ったが、笹などの深いヤブに没していてかつての形状も見当たらなかった。

 

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 神社への階段

 

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 神社の狛犬

 

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 かつての土蔵だけ残っていた

 

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 笈破峠の入口 途中から道が消えていた

 

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 雪椿の群生地をかきわけて

 

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途中尾根を間違えたりして2時間半ほどヤブを漕いで悪戦苦闘したが、あきらめて集合場所へ戻った。

 

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 残されたもう一軒の納屋が集合場所

 

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 朝釣って神前に供えた岩魚

 

その頃皆さんは昼食を終えて山菜取りにでかけていて、老人がおられただけ。

 

91歳のMさんはまだしっかりしておられ、かつての山での生活のことをいろいろ話していただけた。

 

そして牧へ下る峠道を教わり、入って見た。この道だけは今も時々手入れがなされているとのこと。

 

住宅の石垣前を西へ少し歩くと、村人が「牧坂峠」と呼んでいた小さな峠があり、ここから道は下りになる。

 

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 牧坂峠

 

少し下ったところの杉の大木の根元に祠があり、地蔵様、馬頭観音様がおられた。

 

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子供たちはこの道を通って下の集落にある学校へ通ったので、行き帰りにはこの地蔵様などに手を合わせたのであろう。

 

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「歩く民俗学者」といわれた宮本常一の著書に『山と日本人』というのがあり、日本には「山岳民」なるものが存在したという話がでてくる。

 

「日本の標高800mから1000mくらいの山岳地帯には、水田耕作をする平地民とはちがう、焼畑耕作にはじまる畑作を中心とする文化をもった山岳民と呼ばれる民族が存在した。たとえば九州の米良(めら)、椎葉、諸塚、五木、近畿では吉野の天ノ川、大塔、十津川、長野県伊那の下栗など。」というもの。

 

この説は柳田国男の「山人」を意識して書かれたとも言われるが、山岳民は縄文文化の系譜を継ぐものだと言っている。

 

山國の飛騨にはその対象になる集落がたくさんあったし、今も残っている。

 

もともと山と里の生活には優劣がなく、豊かな自然の中での自給自足の時代はよかったが、近代文明の恩恵に浴するようになるとしだいに「地形的に不便」ということになり、この笈破をはじめいくつもの集落が消えていった。

 

Mさんの奥さんが嫁ぐとき隣の山野村から歩いて越えて来たという伊西峠(笈破峠)、たぶんヤブのなかだと思うがこんどは山野村側から探して見ようと思う。

 

峠には地蔵様が残っておられるはずだという。

 

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 林道の途中から見えた笈ヶ岳 笈の字が同じだ 

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 以前から行きたかったところです。熊を恐れて1人では行けなかった。前田普羅もここを訪れて、
  白樺を横たうる火に梅雨の風
を詠んでいます。『飛騨紬』の作品。

西山秀夫 | 2018/05/11 12:42 AM

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