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<< 笠ヶ岳の雪形 | main | 立山・山崎カールで滑り納め >>

男女の神様に会えた=笈破(おいわれ)峠

2018.05.30 Wednesday

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変わり者の隠居は、近年道がついている低山には食指が動かず、ヤブに埋もれてしまった峠道を好んで歩いている。

 

今頃になって、故高木泰夫先生の『ヤブ山登山のすすめ』の世界に入ったともいえるが、民俗学的な興味が主になっている点が違うかも知れない。

 

往時をしのびながらヤブを漕いでいると、突然昔のままの道が現れたり、峠に残された石仏に会えたりする時の嬉しさは格別だ。

 

5月のはじめ旧笈破集落から向かったものの、猛烈なヤブに阻まれて中ほどで断念した笈破峠(笈破側では伊西峠と呼ぶ)。

 

こんどは山野村側からまたヤブを漕いで登った結果、以前から念願だった峠(標高1200m)に到達することができた。

 

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5月下旬のよく晴れた日、双六川沿いの鎌倉街道を山吹峠へと登り、新緑に覆われた山野村へ入る。

 

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 昔双六谷の人に親しまれていた鼠石

 

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 トチの花

 

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 山吹峠

 

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 森茂集落と山吹峠の間にある地蔵尊

 

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天蓋山の駐車場には既に何台かの車があった。

 

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 森茂集落の地蔵堂

 

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笈破峠入口の伊西集落へは、森茂集落からまた小さな峠を越えねばならない。

 

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 北ノ俣岳

 

かつて30戸あったという伊西集落は、現在3戸を残すのみの限界集落になっている。

 

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道を聞くためAさんの家へ寄ったところ、山菜取りと間違えられたが、目的を告げたら快くルートを教えてもらうことができた。

 

近年通った人はいないので荒れていて歩行は難しいだろう、そして熊や猪が多いということも。

 

県道端に駐車し、集落内の廃屋のそばから入る。

 

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いきなりヤブが待ち受けていて、前日の雨が笹などに残っていてずぶ濡れになりながら漕ぐ。

 

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 熊の仕業?

 

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 イノシシののたうち場

 

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かつて牛や馬も通ったという谷沿いの道は崩れたり、谷水に流されたりしてルート判断に時間がかかったが、文明の利器GPSの助けを借りて上部へ。

 

谷を離れるとヤブの中にしっかりした道が残っていたが、日が当たるところは、隠居の背丈より高い太い笹がよく茂り、かき分けるのに力がいる。

 

体力と根気がいるのは、冬山のラッセルに似ている。

 

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ジグザグ道を登るとようやく笹に覆われた峠に到着。

 

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あるはずの地蔵様を探すが、見つからない。

 

ヤブの中に木をくりぬいた祠があるのを見つけ、転がして元の石の台座へ戻す。

 

熊の仕業かも知れない。

 

地蔵様がおられないのでヤブの中を探したら、足元に四角い石が埋まっているのを発見。

 

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裏返してみると、小さい男女の神像であった。

 

安曇野の道祖神は皆微笑んで仲良く手をつないでおられるが、それとちがって威厳のあるお顔だった。

 

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さっそく水筒の水できれいに洗って祠へ戻ってもらい、ザックにあった飴玉をお供えした。

 

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笈破側に下って見たが、ヤブに覆われているもののしっかりした道が残っていた。

 

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 峠から槍ヶ岳が望めた

 

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この峠道はどちら側も谷沿いが荒れているが上部はしっかりした形状が残っていることがわかった。

 

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 伊西集落から望める天蓋山

 

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集落へ戻りAさん宅へ寄るとご主人は留守だったが、奥さん(78歳)が今朝採った笹の子の皮むき作業をしておられ、峠のことを聞くことができた。

 

「昔は笈破集落へ、あるいは高原川沿いへの用事によく利用され、牛馬も通った道だった。」

 

「私は子供の頃峠を越えて笈破集落へ田植えの手伝いに行かされた。」

 

「一人で使いに行ったこともあるがたいへん寂しいというより恐ろしかったことを覚えている。」

 

「笈破集落と山野村間には嫁のやりとりがあり、皆歩いて峠を越えた。」などなど。

 

祠のことを話して写真を見せると、たいへん喜んでおられた。

 

隠居はおそらく最後の旅人であり、この峠道も遠からず山に還ってしまうのであろう。

 

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 森茂集落から見えた北ノ俣岳の稜線

 

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 黒部五郎岳

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Commnets

今、山に生きる人々を読んでいます。共感する事が一杯です。私も藪山を好んで歩いていました。子供のみ頃は炭焼きをしていました。今思えばアルプスの少女ハイジみたいでした。

山の婆 | 2019/10/08 8:57 PM

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