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<< 乗鞍岳(障がいを持つ若い人と一緒に) | main | 乗鞍での不思議な話 その1 異界千町ヶ原のこと >>

乗鞍剣ヶ峰〜千町ヶ原〜丸黒山〜日影平(乗鞍の奥座敷を歩く)

2018.09.08 Saturday

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 乗鞍の奥座敷 千町ヶ原

 

台風一過の好天を期待したが、あと秋雨前線が停滞し、予定していた宿泊山行は延期に。

 

登山寿命が残りわずかになった今、ライフワークのようにして「母なる山乗鞍」にこだわり、調べ、書いている。

 

先般は郷土史研究会の紀要に「乗鞍岳の歴史―信仰登拝から近代登山まで」という駄文を投稿した。

 

それにも書いた、戦前にあった剣ヶ峰から山麓集落までの長大な山岳スキー場=「飛騨乗鞍スキー場」の跡を久しぶりにたどって見たくなり、8月末の平日に歩いてきた。

 

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 昭和9年の乗鞍スキー登山

 

剣ヶ峰から飛騨側の南西面へ派生している千町尾根、丸黒尾根、大尾根が往時のコースで、途中に山岳会管理の山小屋が4軒あって全国からのスキーヤーで賑わっていたが、戦後近場のスキー場にリフトが出現すると急速に廃っていった。

 

さらに畳平へのバス道路が開通すると、無雪期にも入る人はだんだん減ってゆき、現在では中間部にある千町ヶ原周辺は、乗鞍の奥座敷、深南西部といってもいい静かなエリアになっている。

 

千町ヶ原へは旧高根村の子の原尾根から入るのがいちばん近いが、近年地主都合で登山口への車道乗り入れができなくなっているし、その他の登山道も手入れがされず、どこも廃道に近い。

 

このため足弱隠居は、軟弱ながら剣ヶ峰から下山することにした。

 

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このコース、下山といえども年寄りの足では丸一日かかりそうなので、できるだけ早朝に畳平を出発せねばと思っていたところ、今の時期朴ノ木平から「ご来光見学バス」が出ていることを知った。

 

このバス、当然のことながら天気がいい日だけ運行されており、前日の昼に天気予報を見て運行が決められる。

 

朴ノ木平を345分に出発したが、隠居の予想に反し満席であった。

 

大黒岳北裾の桔梗ヶ原がご来光のビユーポイントとかで、バスはここでいったん停まり、ほとんどの人が暗闇のなかへ下車していった。

 

ところがこの日は予報が外れ、外は濃いガスと強風だった。

 

特別料金を払ってのご来光見学バスのパンフには、「ご来光が見られなくても払い戻しはいたしません」とあり、面白い。クレームをつけられたことがあったのだろう。

 

畳平から剣ヶ峰へ向かうのは隠居のほか2名。

 

ヘッドランプを点けて出発したものの、吹き倒されるほどの強風のため、肩の小屋で1時間ほど待機。

 

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少し風がおさまったのでガスの中を出発。頂上の神社に参拝してから3年ぶりに千町尾根に入る。

 

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 大日岳の裾はコマクサの群生地

 

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この古い登山道沿いには石仏が鎮座しておられ、手を合わせながら下る。

 

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これは明治期に麓旧朝日村の修験者上牧太郎之助が道を拓き、頂上まで八十八箇所に2体ずつ計176体安置した石仏だ。

 

2体のうち1体はどこも独鈷を手にした弘法大師さまで、まだ厳しい環境で修行を続けておられる。もう1体は、地蔵菩薩、千手観音菩薩、不動明王などいろいろ。

 

太郎之助が登山道を拓きはじめたのが明治28年で、石仏の設置を終えたのが昭和8年。じつに39年を要した大事業であった。

 

その後この登拝路は廃れていたが、近年旧朝日村が道を復元し、埋もれていた石仏の探索も行っている。

 

往時この重い石仏を担ぎ上げた信仰の力というものを考えながら、霧の中を下る。

 

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いったん皿石原へ下って少し登り、尾根を歩くと広い地形の中洞権現に出る。

 

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 中洞権現

 

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 晴れた日の中洞権現

 

ここ中洞権現は、天明元年に麓中洞集落の中林作右衛門が仏像を頂上へ上げようと単身ここまで登ったが力尽き、その仏像を安置したところ。

 

その後麓の人から「中洞権現」の名で呼ばれるようになった。前出の修験者上牧太郎之助も、この仏像を見て青屋からの登山道開設を思い立ったと言われている。

 

その後大正年間に中洞権現の仏像は盗難に遭った。その仏像は行く先々でいろんな災いをもたらすのだが、その話は後日にして先を急ぐことに。

 

ここからの尾根道は近年ハイマツや笹が覆い、歩きにくい。

 

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 修行中の空海さま

 

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湿原が広がる奥千町ヶ原(田ノ原)には県が建てた立派な避難小屋があり、山スキーで利用させてもらっている。

 

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千町ヶ原はここから尾根を下り、小さな湿原から2301mのピークを登ってまた下ったところにある。

 

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 2301mのピーク

 

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秘境千町ヶ原は「精霊田」とも呼ばれ、昔から地元ではここに亡者が集まるといわれてきた。そしてここへ入った人は帰ってこられないとも。

 

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昭和初期ここに山スキー用の山小屋が建てられたとき、大工手伝いの少年が、夜池の畔にたたずむ亡母の姿を見たという話も残っている。

 

なおその山小屋は戦後登山者の失火で焼失し、今はない。

 

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この日は終日隠居一人だったので、こんな話を思い出すと少々淋しかった。実は隠居も昔ここで不思議なめに遭っているのだが、その話は後日に。

 

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湿原の途中に青屋道と丸黒尾根の分岐点があり、青屋へ下る石仏の道と別れ、ここで右折する。

 

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 分岐点

 

ここから丸黒山までは、数年前にスキーで下ったことがあるが、雪が無い時はほんとうに久しぶりだった。

 

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通る人がまれな道はほとんど笹に覆われていたが、深い原生林を独りで笹を漕いで歩くのは結構楽しかった。

 

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 中間点の表示

 

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 前方丸黒山

 

長い尾根を歩き、ようやく丸黒山の手前の鞍部=桜ヶ根に出る。

 

ここには山岳スキー場時代に避難小屋があったというが、今は一面の笹原。

 

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数年前長倉本谷の右俣を遡った時にはここに出た。昔岩井谷にあった平金鉱山への物資補給路も長倉本谷からこの鞍部を通っていたという。

 

丸黒山への急な登りがすむと、あとは日影平の国立青少年の家まで国道のようないい道だ。

 

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 丸黒山山頂

 

青少年の家が宿泊者の登山のため絶えず手入れをしているからだ。

 

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 長倉本谷への下降路 数年前に下ったが、笹に埋もれていた

 

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 枯松平の休憩所 昔ここに山小屋があった

 

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バスの便がない青少年の家から自宅までは、前日デポしておいた愛用のマウンテンバイクで一気に下る予定だったが、ちょうど勤務が終わった顔見知りの職員さんに車同乗を強く勧められ、雨模様でもあったので甘えさせてもらった。

 

なんと彼は、駄吉林道経由で朴ノ木駐車場まで送ってくれ、この日のうちに自家用車を回収することができ、助かった。

 

今までにこの山のあちこちを山スキーで歩き、いくつもの谷を遡ってきたが、そのたびに大きさ深さに驚いている。

 

こうして身近にある偉大な山に関わり続けることができるのは、ささやかな山人生終盤の僥倖といえるだろう。

 

畳平440  剣ヶ峰700  中洞権現816 奥千町1020  千町ヶ原1100  丸黒山1417

日影平1710

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ブログ拝見しながら数年前の山路を思い出していました
避難小屋で救助して頂いたオバサン3人組です
あのときの御恩は生きてる限り、忘れられません
ありがとうございました


ご隠居様の健脚は決して弱脚ではなく、長いルート踏破に感心いたしました

akima | 2018/09/08 9:04 AM

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