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大峯奥駈道を歩く その2 南奥駈

2018.10.16 Tuesday

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 「大峯奧駈」ルート その2  南奧駈(黄線)

 

南奥駈=太古の辻〜大日岳〜涅槃岳〜笠捨山〜玉置山〜熊野本宮大社

 

日本古来の山岳信仰は、外来の道教、仏教(特に密教)、儒教などの影響を受け、平安末期にいたって修験道というひとつの宗教体系になる。

 

修験者は山に入って艱難辛苦し、呪力、霊験を身に着けて、現在から未来永劫の幸福を願うため修行を行った。

 

彼らにとって山は母胎であり同時に宇宙。再び生まれるため、山(母胎)を巡り、修行に励んだ。

 

このため奥駈は吉野や熊野へ往くことが目的でなく、山川草木を悉く神と見て修行する修験者にとって険しい奥駈道自体が道場であり、霊場であった。

 

なお、熊野三山への一般の参詣者は、山岳を避けての中辺路、小辺路など参詣道を通った。

 

6日目:9月28日(金)深仙ノ宿〜太古の辻〜地蔵岳〜涅槃岳〜証誠無漏岳〜平治ノ宿

 

ここ深仙ノ宿は、神仙ノ宿ともいわれ、昔仙人の集まる場所であったという。

 

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『諸山縁起』には、ここをはじめとして大峰山中には多くの仙人が住んでおり、山伏を指導していたと書いてあるそうだ。

 

その後ここのお堂では、奧駈修行中最大の秘儀とされる灌頂が修法されたという。

 

僧は朝4時からお堂で座禅などの修行をされるとのことなので、昨晩お別れの挨拶をしておいた。

 

僧は長年高野山大学におられた方で独身。

 

お年は隠居の一つ下であるが、こうしてまだ修行を続けておられる。

 

この神聖な場所で、こういう生き方をされている方にお会いできたことも今回の収穫の一つだ。

 

ひょっとしたら、この僧は仙人だったかもしれない。

 

5時半ころ出発し、途中で朝日を拝む。

 

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大日岳という岩場の行場を過ぎると太古の辻に出る。

 

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ここからが「南奥駈道」で、この先自信のない者は前鬼という集落へ下るよう書いてある。

 

最近の修験者団体の奧駆は、ここから前鬼へ下ってバスで熊野三山へ行くことが多いそうだ。

 

なお前鬼というのは、役行者につかえた鬼(前鬼、後鬼)の子孫が今でも住んでおられるところ。

 

この年寄りがここから先を歩き通せるだろうかという不安を抱きつつ、南へ踏み込む。

 

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 大日岳

 

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 シャクナゲの群生地 花の時期はすばらしいだろう

 

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4時間ほど歩いたころ、突然森の中から山伏姿の2人の男性が現れた。

 

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 掲載は許可を得てあります

 

お年を聞くと69歳と63歳の方で、熊野から順峰でここまで来たとのこと。

 

彼らから、今までラジオがうまく入らず入手できなかった台風情報を聞くことができた。

 

台風24号はまともに本州を縦断し、30日には紀伊半島に接近、明日(29日)から雨になるとのことであった。

 

このため彼らは釈迦岳に登り、戻って前鬼へ下るかも知れないと言っていた。

 

礼を言って別れる。これ以降熊野大社まで人に会うことはなかった。

 

この後の行程では、ちょうど小屋がないテント泊の場所でまともに台風に遭遇することになるので、行仙ノ宿で停滞3泊やむなしという結論になった。

 

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 持経ノ宿

 

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このため今日は無理をして行仙ノ宿へ入る必要がなくなったので、平治ノ宿泊りとする。

 

平治ノ宿はこじんまりしたいい小屋だった。

 

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歩行12時間。

 

7日目:9月29日(土)平治ノ宿〜転法輪岳〜行仙岳〜行仙ノ宿停滞

 

この宿の玄関横には西行の歌碑がある。

 

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 第21番靡

 

隠居が好きな漂泊の旅人西行は二度の奧駆をしているそうで(その頃は道中に多くの宿があった)、この平治ノ宿に泊って月の歌を詠んでいる。

 

西行の花狂いは有名で、生涯詠んだ約二千首のうち一割強が花をうたったものだが、月の輝きにも心を奪われ、いくつもの歌を残している。

 

ここでは月を見ながら、密教修法の一つである「月輪観」という瞑想を行ったかもしれない。

 

西行フアンとして、はるか昔彼が泊った同じ宿(当然当時と建物は違うが)に泊まるという、僥倖に恵まれた。

 

そしてこの一時的漂泊老人は、台風前兆の激しい雨の中を出発。

 

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今日は行仙ノ宿までなので、半日歩けば着くコースだ。

 

転法輪岳、行仙岳を越えると立派な小屋が現れた。

 

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 土地神といわれる蛙さま

 

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本棟のほかに、礼拝堂、管理棟まである。

 

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昭和59年から、明治以降廃れていたこの南奧駈道を復旧し、途中の宿を新、改築しておられる地元山岳会「新宮山彦ぐるーぷ」さんが建てられ、管理されている小屋だ。

 

すべてボランティアだというから頭が下がる。

 

広い部屋を独り占めにし、薪ストーブに火を入れて濡れたものを乾かす。

 

外は雨がますます激しくなり、木々が揺れ出したが、こういうときの小屋はほんとうにありがたい。

 

午後座禅をして過ごす。

 

8日目:9月30日(日)行仙ノ宿停滞

 

台風通過で外は大荒れとなり、小屋周辺の木々の揺れはひどく、倒れる木も出てきた。

 

室内のムロの板が風で飛び、水が入ったポリタンクで押さえる。

 

軒からは雨が入ってきた。

 

建物自体は頑丈でなんともないが、倒木で小屋の窓が破れた時のことを考え、雨具をつけ、ザックをまとめて外でのビバークも考えて通過を待つ。

 

9日目:10月1日(月)行仙ノ宿〜笠捨山〜玉置山〜玉置辻(テント泊)

 

夜半まで雨がひどかったので翌日も残るのではと心配したが、朝になってみると台風一過の晴天。

 

小屋の周辺を片付け、宿泊させてもらった志納金を置き、お堂で般若心経を唱えてから出発。

 

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 隠居の人生のように屈折した木

 

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 笠捨山 登りのつらさに西行が笠を捨てたとか

 

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笠捨山への長い登りのあとは、槍ヶ岳、地蔵岳など鎖場がある小さいピークをいくつか越えながらどんどん高度を下げてゆく。

 

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 靡(なびき)にはこういうお札が納めてある

 

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途中送電鉄塔が現れ、里山に近づいていることがわかる。

 

玉置山まで再びゆるい登りになるが、自動車道が並走していて、途中に展望台まで現れた。

 

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玉置山を下ると玉置神社。ここで水を汲み、さらに玉置辻まで下る。

 

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 境内最上部には古神道の崇拝の対象=磐座があった

 

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十津川村にある玉置神社は昔玉置権現といわれ、中世以前から存在した山岳信仰の霊地。

 

広い境内で道を間違えて日が暮れてしまい、ヘッドランプを点け、GPSで奧駈道に戻る。

 

境内から30分ほど下り、満天の星の下でテントを張る。歩行12時間。

 

10日目:10月2日(火)玉置辻〜大森山〜五大尊岳〜七越峰〜熊野本宮大社

 

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今日も晴天。いよいよ最終日だ。

 

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標高差200mの大森山への登りのあとは、急な下りを経て五大尊岳へ。

 

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ここからはまた小さい峰をいくつも越えながら高度を下げてゆく。

 

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途中から熊野川が見え出したが、道は忠実に山脈の稜線をたどるため、まだアップダウンが続き、うんざりした頃熊野川へ降りた。

 

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古道はここから川を渡って熊野本宮大社(昔は対岸の中州にあったが、明治22年水害に遭い現場所に遷された。今は旧社地=大斎原として保存)へ行くのだが、台風後のダム放流をやっていて濁流で水量が多くあきらめる。

 

昔行ったガンジス川のベナレスのように濁った水辺で上半身裸になり、斎戒沐浴の代わりに体を拭く。

 

橋を渡ってまず旧社地へ寄ってから本宮大社へ。最後の長い石段登りはこたえた。

 

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老骨が無事完歩できたことのお礼を言い、10日間の長旅を終えた。

 

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歩行11時間。

 

<山旅を終えて>

大島が言ったとおり、修験道はまさに日本版アルピニズムであった。

 

コース上随所にある岩場は、クサリやハシゴが取り付けてない頃、綱を使っての難しいロッククライミングが必要なところも多く、転落して命を失った者もいたはずで、修行は命がけだったと思われる。

 

もちろん自然への接し方は、アルピニズムは征服、片や融合という大きい違いはある。

 

この隠居、「にわか修験者」としての10日ばかりの修行では生まれ変わることもできず、煩悩などそのままで何も変わっていない。

 

ただ、すべてのものに対する感謝の念だけは増した気がする。歩いている途中の草木、岩、道、そして山旅を支えてくれている山道具にまで感謝している自分がいた。

 

生まれ変わりはできなかったが、毎日霧に包まれた幽玄な古樹の森や巨岩の中を歩き、深い自然に身を委ねることによってこの老体が少しは純化され、少しは今までの罪障が消えたのでは、などと都合のいいことを考えている。

 

ただ、10日間バテることなく順調に歩けたのは、霊山からもらったエネルギーのおかげであることだけは確かだ。

 

2回に亘る長ったらしい駄文にお付き合いいただき、感謝申し上げます。

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Commnets

初めまして。突然のコメントを失礼します。過去の記事を見まして、それについて教えて頂きたいのですが、2014年の記事で高山市朝日町の龍厳山での岩場での記事を拝見しました。
龍厳山へ行ってみたいのですが、幾つか質問をさせてください。
ネットなどで、調べたしたが殆ど情報がありません。

ヾ箴譴任離椒襯箸覆匹六崖找颪粒Г気鵑管理しているのか?その山岳会は分かりますか?

岩場でのクライミングやロープワーク練習は山岳会員でなくても行っていいのか?

4浜者などがいるのら、連絡先などは分かりますか?

づ仍蓋はどこにあるのか?駐車場はあるのか?

グ貳姪仍各擦離泪奪廚覆匹呂△襪里?あるならどこで入手できるのか?

長くなりましたが恐れいりますが、分かる範囲でいいのでご教授頂けますと幸いです。
よろしくお願いします。


れい | 2018/10/16 12:48 PM

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