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チベットへ

2019.04.25 Thursday

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この年になっても未知へのあこがれは止まず、明日からまたチベットへ行くことになりました。

 

乾いた大地がどこまでも広がっているだけの虚空の国、標高が高くて雲に手が届きそうな天空の国になぜか魅かれるのです。

 

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5回目になる今回は、今までのように一つの山を目的とするのでなく、四川省の成都から真西へラサまで歴史の古道「川蔵公路」を車で約

2600前幣絨榮阿掘途中の氷河で小登山をする計画です。

 

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移動の途中では、ミニヤ・コンカ(7,556m)や梅里雪山(ミンリンカンリ・6,740m)ナムチャバルワ(7,782m)などの名峰が見られます。

 

踏査の山は横断山脈の西端、6000m級の未踏峰が多くあるカンリ・ガルポ山群。

 

多くの氷河を擁する東西280舛了殻で、チベットの山に詳しい中村保氏が著書『ヒマラヤの東』でこの山域のことを、「知られざる南東チベットの山群」と書いています。

 

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今回はラロンバー氷河に入ってテント泊をし、偵察がてら小ピークに立てたらと思っています。

 

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 氷河奥にある未踏の峻峰

 

この計画は、松本市のMさんが3年かけてめんどうな許認可の取得などを行った、全く手作りの山旅。

 

拙者はMさんと2010年に未踏峰ダ・カンリに登った時のご縁でお誘いいただけたのです。

 

隊員は長野県3名、東京1名、三重県1名と岐阜の隠居。

 

隊の名前は「シルクロード踏査と偵察登山隊」(シルクロードはティーロードのほうがよかったかも)

 

今回我々が入る、四川省成都から康定(ダシェド)と理搪(レタン)を通り、横断山脈を越えてチベットのラサへ至る古道は、明治32年東本願寺の僧能海寛(のうみ・ゆたか)と寺本常太郎が経典を求めて入ったものの、巴塘(パタン)で入域を拒まれたルート。

 

能海寛は再度別ルートで挑戦しますが、途中で山賊に惨殺されています。

 

明治から大正かけては求法のために、戦前には密命を帯びて10人の日本人が閉ざされたチベットへ入ろうとし、あるいは入って貴重な体験をしました。

 

チベットへ入った日本人のことを『西蔵漂泊』(山と渓谷社)に詳しく書いた江本嘉伸氏は、行動の時期で第一グループを能海寛、寺本婉雅、河口慧海、成田安輝、第二グループを矢島保治郎、青木文教、多田等観、再入蔵の河口慧海、第三グループを太平洋戦争の直前に国家のため情報収集でモンゴル人になりすまし、チベットに入った野本甚蔵、西川一三、木村肥佐生としています。

 

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 五体投地をしながら何日もかけてラサへ

 

西川と木村は敗戦も知らずにしばらく留まっていて、帰国後その体験を西川は『秘境西域八年の潜行』、木村は『チベット潜行十年』として書いており、皆さんもご存知だと思います。特に西川の僧院での最下級僧としての生活体験は貴重なものとされています。

 

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 世界遺産 ポタラ宮

 

僧籍にある人は仏典を持ち帰るのを目的としましたが、それを果たしたのは河口慧海、多田等観、寺本婉雅でした。

 

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チベットへ向かった日本人を、学僧、旅人、探検家などと呼ぶことが多いが、司馬遼太郎は「知識人の夢」

と言っています。

 

江本氏は『西蔵漂泊』の終章に「日本人であることを隠し、閉ざされていたチベットに入って行った旅人たちの記録を追いながら、旅というものが、いかに知的刺激にあふれたものであるかを改めて思った」

 

「困難ではあったが、十人は幸せな旅をした。現代では彼らが実践したような知の体験はまれである。」

と書いています。

 

冒頭に書いたように今回は登山だけではないので、体は弱っているものの知的好奇心だけは旺盛な隠居は、「知の体験」をしてきたいと思います。

 

いずれも冥途への土産になることは間違いなさそうです。

 

ご存知のように、かの民族は現在たいへん困難な状況に置かれており、通過者ながら心が痛むことが多いと思われますが、その現実も直視してきたいと思っております。

 

当然現地で政治向きのことは「見猿、言わ猿、聞か猿」が入域の条件になっています。

 

現地から景色に限定しての写真の送付を試みますが、僻地のこと故うまくゆかない気がします。

 

無事帰りましたら詳細をご報告いたしますので、しばらくお待ちください。

 

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 2005年の登山 アプローチは馬で

 

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 荷はヤクで

 

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 2005年に登った山

 

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 2007年に登った山(中央奧)

 

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 2010年に登った山(左)

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 ご苦労様です。心踊る挑戦です!帰ったらまたお聞かせください!

中田清介 | 2019/04/27 10:57 AM

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