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チベットから 2

2019.05.05 Sunday

このチベットだより、その後ご無沙汰していますが、現地の通信環境が悪く、うまく送れないまま移動しています。

 

昨日着いたラサからもうまくゆかず、再度送ってみますが、はたしてうまくゆきますかどうか。

 

われわれがたどっている成都からラサへの歴史の茶馬古道は、四川省のバタンから直接チベットへ入ることができない。

 

現在横断山脈の一部区域が、外国人立ち入り禁止になっているからだ。

 

このためやむなく四川省のリタンからいったん南下し、金沙江を渡って雲南省へ入った。

 

そしてシャングリラから国内線でラサへ飛び、こんどは逆にラサから横断山脈西端の目的地カンリガルボ氷河へ向かうことに。

 

外国人立ち入り禁止区域は、四川省から少しの区間なのに、大廻りせねばならない。

 

チベットは、ラサ以外の外国人立ち入りは、軍、政府、地元警察の許可が必要なので致し方ない。

 

シャングリラへの途中、梅里雪山が見える飛来寺へ寄ったが、あいにく山の全容はみえなかった。

 

 

      揚子江の源流 金沙江の流れ

 

 

      

       ベルマカンリ

 

 

      梅里雪山

 

 

 

あと梅里雪山の山麓を流れる大河メコン川源流の  俯瞰できるところまで下ってみた。

 

        メコン川の流れ

      

 

 

  上の写真 

メコン川の対岸に、上部に氷河がある谷が望めたが、1991年1月、梅里雪山に挑んだ日中合同登山隊17名が雪崩に埋まって死亡した谷と、下流の集落だった。遺体は何年もかかって下流にはこばれ、順次発見された。 その現場に向かって黙祷をした。この山はカワカブと呼ばれ、チベット仏教の四大聖山のひとつで皆に崇められている。このため地元では、山を汚したからだと言われているようだ。p>

 

シャングリラには、雲南省のポタラ宮といわれる大きいソンツェンリンゴンパがある。

 

 

 

シャングリラからラサへ飛ぶ。 9年ぶりのラサは大きい建物が建ち並び、変貌していたが、お寺では多くの若い人が五体投地をしているなど、チベット人の信仰心だけは変わっていないようだった。p>

 

 

       世界遺産 ポタラ宮

 

 

明日は東のニェンティ市まで行き、地元警察から目的地カンリガルボ氷河地区への立ち入り許可をとらねばならない。外国人立入許可書などというものは、明治初期政府がガウランドに発行していたものを思い出す。p>

 

そしてさらに横断山脈へと東進する。

 

あこがれの山カンリガルポ山群は遠い。

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

 

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チベットから 1

2019.05.01 Wednesday



成都からラサへのティーロードの旅は、令和の今日、まだ四川省のチベット集落に滞在中。


途中チベット人が仏像に見たて、崇めている聖山を見学。


6000m級ながら素晴らしい山ですが、当然許可が下りず未踏峰。


四川省の西部は標高が高く、いくつも越えた峠は皆4500mくらいで、宿泊場所は3000mから3600m。


このため登山のための高度順化ができています。


明日は横断山脈を流れる大河のうち金沙江(長江源流)へ接近。    郷城にて





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チベットへ

2019.04.25 Thursday

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この年になっても未知へのあこがれは止まず、明日からまたチベットへ行くことになりました。

 

乾いた大地がどこまでも広がっているだけの虚空の国、標高が高くて雲に手が届きそうな天空の国になぜか魅かれるのです。

 

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5回目になる今回は、今までのように一つの山を目的とするのでなく、四川省の成都から真西へラサまで歴史の古道「川蔵公路」を車で約

2600前幣絨榮阿掘途中の氷河で小登山をする計画です。

 

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移動の途中では、ミニヤ・コンカ(7,556m)や梅里雪山(ミンリンカンリ・6,740m)ナムチャバルワ(7,782m)などの名峰が見られます。

 

踏査の山は横断山脈の西端、6000m級の未踏峰が多くあるカンリ・ガルポ山群。

 

多くの氷河を擁する東西280舛了殻で、チベットの山に詳しい中村保氏が著書『ヒマラヤの東』でこの山域のことを、「知られざる南東チベットの山群」と書いています。

 

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今回はラロンバー氷河に入ってテント泊をし、偵察がてら小ピークに立てたらと思っています。

 

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 氷河奥にある未踏の峻峰

 

この計画は、松本市のMさんが3年かけてめんどうな許認可の取得などを行った、全く手作りの山旅。

 

拙者はMさんと2010年に未踏峰ダ・カンリに登った時のご縁でお誘いいただけたのです。

 

隊員は長野県3名、東京1名、三重県1名と岐阜の隠居。

 

隊の名前は「シルクロード踏査と偵察登山隊」(シルクロードはティーロードのほうがよかったかも)

 

今回我々が入る、四川省成都から康定(ダシェド)と理搪(レタン)を通り、横断山脈を越えてチベットのラサへ至る古道は、明治32年東本願寺の僧能海寛(のうみ・ゆたか)と寺本常太郎が経典を求めて入ったものの、巴塘(パタン)で入域を拒まれたルート。

 

能海寛は再度別ルートで挑戦しますが、途中で山賊に惨殺されています。

 

明治から大正かけては求法のために、戦前には密命を帯びて10人の日本人が閉ざされたチベットへ入ろうとし、あるいは入って貴重な体験をしました。

 

チベットへ入った日本人のことを『西蔵漂泊』(山と渓谷社)に詳しく書いた江本嘉伸氏は、行動の時期で第一グループを能海寛、寺本婉雅、河口慧海、成田安輝、第二グループを矢島保治郎、青木文教、多田等観、再入蔵の河口慧海、第三グループを太平洋戦争の直前に国家のため情報収集でモンゴル人になりすまし、チベットに入った野本甚蔵、西川一三、木村肥佐生としています。

 

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 五体投地をしながら何日もかけてラサへ

 

西川と木村は敗戦も知らずにしばらく留まっていて、帰国後その体験を西川は『秘境西域八年の潜行』、木村は『チベット潜行十年』として書いており、皆さんもご存知だと思います。特に西川の僧院での最下級僧としての生活体験は貴重なものとされています。

 

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 世界遺産 ポタラ宮

 

僧籍にある人は仏典を持ち帰るのを目的としましたが、それを果たしたのは河口慧海、多田等観、寺本婉雅でした。

 

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チベットへ向かった日本人を、学僧、旅人、探検家などと呼ぶことが多いが、司馬遼太郎は「知識人の夢」

と言っています。

 

江本氏は『西蔵漂泊』の終章に「日本人であることを隠し、閉ざされていたチベットに入って行った旅人たちの記録を追いながら、旅というものが、いかに知的刺激にあふれたものであるかを改めて思った」

 

「困難ではあったが、十人は幸せな旅をした。現代では彼らが実践したような知の体験はまれである。」

と書いています。

 

冒頭に書いたように今回は登山だけではないので、体は弱っているものの知的好奇心だけは旺盛な隠居は、「知の体験」をしてきたいと思います。

 

いずれも冥途への土産になることは間違いなさそうです。

 

ご存知のように、かの民族は現在たいへん困難な状況に置かれており、通過者ながら心が痛むことが多いと思われますが、その現実も直視してきたいと思っております。

 

当然現地で政治向きのことは「見猿、言わ猿、聞か猿」が入域の条件になっています。

 

現地から景色に限定しての写真の送付を試みますが、僻地のこと故うまくゆかない気がします。

 

無事帰りましたら詳細をご報告いたしますので、しばらくお待ちください。

 

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 2005年の登山 アプローチは馬で

 

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 荷はヤクで

 

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 2005年に登った山

 

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 2007年に登った山(中央奧)

 

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 2010年に登った山(左)

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山岳資料館が開館

2019.04.15 Monday

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4月になっても天候が不順でなかなか山スキーに出かけられないが、この先スキー以外の山行計画も入っていて、スキーはしばらく中断だ。

 

さてあまり知られていないが、高山市の郊外に「山岳資料館」なるものがあり、不肖隠居が展示を担当している。

 

冬期間休館していたが春になって開館したので、紹介したい。

 

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 構内にはいつの間にか地蔵様などが集まってきておられる

 

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 いつも新しい「よだれかけ」をしてござるが

 どなたが替えられるのかわかなない

 

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大町市の山岳博物館にはとうてい及ばない小さい規模だが、展示物は登山、スキー用具をはじめ、飛騨山脈飛騨側の動植物、気象、岩石、登山史関係など多岐にわたる。

 

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この建物は明治36年、当時の大野郡灘村(現高山市桐生町)に建てられた元高山測候所。

 

昭和45年の測候所建て替え時に市街地の南西、松倉山の山麓にある「飛騨民俗村」の一角、飛騨山脈が望める場所へ移された。

 

当初犬山の明治村へ移築の話があったこの建物は、民俗村で唯一の洋風建築で、平成12年、特色ある近代建築として文化庁の「登録有形文化財」に登録された。

 

昭和4611月1日、飛騨山岳会や市民の協力でこの「山岳資料館」が開館。その後飛騨山岳会が展示品の管理を受け持っている。

 

特筆すべき展示品を紹介すると、まず古いスキー。

 

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明治44年(1911)1月、オーストリアのフオン・レルヒ陸軍少佐が高田師団へ一本杖スキーを紹介し、その後すぐ北海道へ伝わったことはご存知の通りであるが、この時北大に在学していた高山の造り酒屋の二木長右衛門(のちに飛騨山岳会長)が習得し、大正2年(1913)にスキー術を持ち帰って旧制斐太中学へ伝えた。(北大へは、レルヒ少佐来日の2年前にスイス人のドイツ語教師ハンス・コーラが伝えたともいわれる。)

 

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 昭和9年の乗鞍岳スキー登山

 

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このように飛騨へは早い時期にスキーが伝わり、道具ははじめ新潟の高田製のものを買っていたが、その後地元にも板メーカーが誕生した。

 

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主にこの時期のスキーが展示してあるが、スキーが高価だったため、木を削った手製のものもある。子供用もあるが、おそらく親が子のために丹精して作ったものであろう。

 

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次に珍しいのが飛騨産のピッケル。

 

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大正期に飛騨の岳人が鍛冶屋に外国製を見せて作らせたものらしいが、そのうちの一本は「飛騨」の銘があり、姿が美しく、ウッドピッケルを研究している方からの問い合わせもある。

 

小さいほうは一時は量産され、市内で売られていたことがわかった。

 

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あとは登山史コーナーには宗教登山の関係も若干展示があるが、貴重なものは江戸期に播隆よりも40年も前に笠ヶ岳に登頂した地元宗猷寺南裔(なんねい)禅師の書。

 

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南裔は江戸まで行って三井親和(しんな)に書と篆刻を学んだ、当時の飛騨の書の大家でもある。

 

このほか飛騨の登山史も学べる。

 

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海外登山のコーナーには、飛騨山岳会のささやかな海外登山の足跡が写真で展示してある。

 

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最近は外国人(西洋人)の入館が多い。

 

隠居の年代くらいの人にとっては、青春期に使用したなつかしい登攀道具もあるので、山の帰りなどにぜひお立ち寄りください。

 

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 珍しいロックハーケン

 

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 昭和9年の乗鞍登山 ザイルやピッケル、アイゼンは輸入品

 

資料館の下には井上靖や瀧井孝作などの文学碑がならぶ「文学の小径」があり、飛騨山脈を眺めながら散歩するのもいいでしょう。

 

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 郷土の歌人で飛騨山岳会会員でもあった福田夕咲の歌碑(左)と

  飛騨山岳会創立100周年(2010年)の記念石碑

 

入場料無料 無人 下に民俗村の無料駐車場あり。

 

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 4月16日の乗鞍岳

 

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 4月18日の笠ヶ岳 槍穂高岳

 

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  下呂市萩原町四美のしだれ桜

 

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 臥竜桜も満開に 4月23日

 

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 高山市内も満開

 

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流葉山ー霧氷がきれいだった

2019.04.08 Monday

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 4月6日の乗鞍岳 4月はじめに降った雪で白い

 

今シーズンの山スキーも終わりに近づいたが、今回報告の流葉山でまだ15回。

 

例年と比べるとかなり少ないが、年とともにこうなってゆくのだろう。

 

4月に入ってから雪が降るなど悪天が続き、野暮用も入ってきて、その後なかなか出かけられないままだ。

 

しかし例年の「板納め」は5月末に立山を滑ってからなので、まだ道具を仕舞うわけにはいかない。

 

さて、富山県境の旧神岡町にある流葉スキー場をご存じだろうか。

 

一時期飛騨随一のスキー場としてとてもはやっていたが、その後できた朴ノ木や奥美濃などに客を奪われ、今ではかつての賑わいは見られない。

 

今年は少雪ということもあって3月中旬に閉鎖となったが、上部の稜線にはまだ結構な雪があるので滑りに行こうと、3月末に神岡のHさんからお誘いをいただいた。

 

同行は神岡山スキークラブのNさんとUさんで、2人とも隠居よりお年が上のテレマーカーだ。

 

雪がまだらに消えたスキー場を少し歩き途中からシールをつけたが、一面氷結していてクトーがよく効いた。

 

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 この場所はいつも上から雪崩れが出るとのこと 

 

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やがて稜線の国設スキー場へ出たが、前日の雨が凍って一面のきれいな霧氷が見られた。

 

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昨年流葉山から大洞山を経て割石温泉まで13舛鬟好ー縦走した時も美しい霧氷が見られ、写真を撮りに来ていた地元のカメラマンは、数年に一度しか見られない現象だと言っていた。

 

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 薬師岳 北ノ俣岳 黒部五郎岳

 

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 黒部五郎岳  双六岳  槍ヶ岳 笠ヶ岳 穂高岳

 

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 槍ヶ岳 笠ヶ岳 穂高岳

 

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ブナ林を少し登って流葉山(1432m)の頂上へ。下から3時間近くかかった。

 

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 もう根開きが 春は近い

 

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この日は曇りだったが視界がよく効き、剣岳から乗鞍岳までの飛騨山脈、飛越の山々が一望できた。

 

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 薬師岳〜穂高岳

 

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 見にくいが左に剣岳 

 

帰路は先日の白鳥山と同じで凍った雪面でスピードが出すぎてコントロールできず、林道から飛び出て下の斜面へ転落してしまったが、幸い怪我がなかった。

 

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 飛越国境の白木ヶ峰

 

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 金剛堂山

 

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去年は41日に乗鞍の肩の小屋の前でふくらはぎの肉離れを起こし、治るまで50日かかったので、年寄りは怪我に気をつけなければならない。

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焼山北面―アケビ平・新田山

2019.04.01 Monday

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今日から4月に入り、もう花の便りが聞こえているというのに、まだスキーの話が続き恐縮です。

 

ところが今朝の飛騨は雪景色、この先も23日間雪マークが出ているので、明日から行く予定だった蓮華温泉ツアーは中止に。

 

さて、アルパインスキークラブという東京が本部の「山スキーキチ」の集まりがあり、隠居も会員になっている。

 

年に2回全国集会が開かれるが、そのほか地方会員主催のミニ集会や個人山行が各地で開催される。

 

今シーズンは山岳会の若い人との山行が多くてなかなか参加できなかったが、3月中旬、焼山北面にお詳しい上越市在住Gさん主催の集りがあり参加させてもらった。

 

関東、関西、中部などから中高年の男女15名が参加。

 

隠居はこの山域に40年くらい前に何回か入っている。

 

その時分は高い温泉宿に泊まる金がもったいなく、上部の雪原にテント泊して温泉だけに入ったものだ。

 

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 笹倉温泉

 

その後は7年前高松山に登り、一ノ倉川へ滑った。

 

この山域は、標高が低いものの山の偉観は高山と変わらず、しかも膨大な積雪量で、5月の連休でも結構滑ることができる。

 

1日目は宿泊先する麓の笹倉温泉に集合し、アケビ平から吉尾平へ移り、鉢山の裾をまいて昼闇谷を滑降の予定だった。

 

しかしこの日は天気が悪く、アケビ平上部で行動を中止して雪崩の弱層テストや埋没者の探索訓練などを実施。

 

このあと降り出した雪のなか往路を滑降したが、宿に着く頃には雨に変わっていた。

 

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 今年廃業した焼山温泉から

 

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昔アケビ平は植林木が小さく一面の雪原だったが、今は大きい杉林になっていて、歳月を実感。

 

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翌日は放山が予定されていたが、午後から天候が崩れる予報だったため、温泉から近い新田山へゆくことになった。

 

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登り2時間程度の山だが、山全体に木が少なく、どこでも滑れる山スキー向きの山。

 

ところが、今年廃業したという焼山温泉をベースにしているスノーモービルが何台も登ってきて、やかましかった。

 

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 阿弥陀山 烏帽子岳

 

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 鉾ヶ岳  突鶏峰   

 

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頂上からの滑降は、昨日降った雪があって満足できた。

 

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 頂上からの火打山、焼山

 

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山スキーが好きでたまらない同年輩の同好の士と、ひなびた温泉に浸かって語り、なつかしいルートを滑って、隠居にとっては「懐古的山スキー」を終えた。

 

最奥の笹倉温泉から日本海へ至る早川沿いは、雪さびた淋しい集落が細長く続き、背後にはごつい雪山があって、旅情をそそる景観は昔と変わっていなかった。

 

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その通りにある小さな造り酒屋で晩酌用の「月不見の池」を購入して一路飛騨へ。

 

この近くに巨岩と藤に囲まれたその名の池があり、名所になっているそうだ。

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大日ヶ岳ー最後?のパウダーを楽しむ

2019.03.25 Monday

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 蛭ヶ野高原からの大日ヶ岳 スキー場開発で痛々しい姿に

 

昨日の朝、山岳会のMさんが涸沢岳西尾根から滑落死してしまった。

 

もう終わった人の隠居とはちがってまだ58歳だった。ほんとうに惜しまれる。

 

山スキー仲間でもあった彼とは何回も山行を共にしたが、陸上の選手でもあり体力抜群の男だった

 

今日は市内から白い飛騨山脈がよく見えるが、慎んでご冥福をお祈りしたい。

 

さてまた山スキーのお話し。このところ山行報告が溜まってきて、情報が古いのでご容赦。

 

毎年恒例になっている大日ヶ岳(1,709m)だが、今年は雪が少ないとのことでまだ行っていなかった。

 

前々日飛騨一円に一時的な降雪があったので、頂上からの叺(かます)谷斜面パウダー狙いで向かってみる。

 

メンバーは中年2名と高年の隠居。

 

高鷲スノーパークのフロントへ登山届を出してゴンドラに乗る。

 

ゲレンデは全面滑走可にはなっているが、急斜面は部分的に消えていて、やはり少ない。

 

ゴンドラ1本で一気に標高1,550mまで運んでもらえるので年寄りにはありがたい山で、このところ毎年登っている。

 

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この日(39日)は土曜日とあって、山へ向かうスノボーダ―、山スキーヤー、登山者が何パーティかいた。

 

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 荘川の日照岳 下部は雪が無い

 

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稜線ではテントが何針張かあって、冬山訓練をやっていた。

 

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 野伏ヶ岳など福井県境の山

 

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 野伏ヶ岳のダイレクト尾根も下部雪が少ない

 

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頂上から霊峰白山を遥拝。いつもは埋まっている方向盤や石仏などが露出。

 

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この大日ヶ岳は、このあと白山を開いて有名になった僧泰澄が、はじめて登った山。

 

ここから白山の飛騨側ルートを偵察したと言われている。

 

泰澄の夢に大日如来が現れ、この頂上に大日如来を祀ってほしいとのお告げがあったそうだ。

 

昔は祠があった気がするが、今は石像が鎮座しておられる。

 

昨年大峯山で修験道にかぶれた老人は、白山を拝みながら「おん あびら うんけん・・・」の大日如来の真言を唱えた。

 

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空身で天狗山への北西尾根から大日谷の斜面を途中まで滑降して結構なパウダーを楽しみ、登り返した。

 

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 登り返す

 

これを2度楽しみ、あと水後山への斜面を少々滑ったが、この斜面はクラストしていて早々に引き上げ。

 

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このあと荷を背負って頂上から叺谷の1300mあたりまで滑降し、途中から左の尾根を主稜線まで登り返す。

 

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主稜線に荷をおいてブナ林を滑って遊んだが、樹木をぬってのスラロームも楽しい。

 

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あとはゲレンデを滑り、荘川温泉「桜香の湯」で老体をケアし、いつもの時間に少々の晩酌をやって、ささやかながら豊饒な一日を終えた。

 

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 別山と白山

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白鳥山―海に向かって大滑降

2019.03.18 Monday

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 白鳥山

 

北陸方面の雪は例年並みらしいとのことで、2年ぶりに白鳥山(1287m)までゆくことに。

 

新潟と富山の県境にあるこの山は、標高が低いものの雪が豊富で、山麓には旧北陸道の上路(あげろ)という古い集落があり、隠居が好きな「山スキーの山」だ。

 

山名の由来は、おそらく海上から見えるこの雪山が、羽を広げた美しい白鳥に見えることからだろう。

 

メンバーは、老年の隠居と山岳会の中年男性2名、壮年男性1名。

 

3月はじめ、早朝に高山を出て富山で北陸自動車道に乗り、朝日ICから国道8号線を県境の境川まで。

 

境川沿いにも全然雪がなく心配になったが、上路川沿いに入ると途中から現れ、最奥の上路集落にはまだ多くの雪が残っていた。

 

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いつもの駐車場所の集落上部にはすでに2台の車が停まって、出発準備をしていた。

 

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一昨年来たのは319日だったが周辺の雪は消えていて、雪がない部分をだいぶ歩いたが、今年はまだ大丈夫だった。

 

この山は遅くまで上部に膨大な量の雪があるが、標高200mの集落は消え方が早く、入山時期の選定が難しい。

 

神社に安全祈願をしてから裏の南西尾根に取り付く。

 

部分的に消えてはいたが雪面はつながっており、シール登高ができた。

 

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ところが昨日降った雨で雪面が凍っていてシール歩行が難しく、滑落者も出る始末。

 

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Tさんが滑落した時にストックのリングが紛失したので、木の枝と針金で作る。

 

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森林帯を抜けると尾根は次第にゆるやかになって、左前方に小屋がある白鳥山が見えだす。

 

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クラスト状態は変わらず、雪面はカチカチ。

 

急な斜面ではスキーを脱いで担ぎ、キックステップで登らねばならなかった。

 

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途中の滑落やスキーの脱着で時間を食ってしまい、いつもは4時間足らずで登れるところが6時間半もかかってしまった。

 

頂上から白馬方面の眺望を楽しむ。

 

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ご存知のとおりこの白鳥山は、日本海の親不知から朝日岳を結ぶ飛騨山脈最北部の縦走路=栂海(つがみ)新道上にある山。

 

1966年に、地元の「さわがに山岳会」が6年の歳月をかけて朝日岳以北を拓いた道だ。

 

隠居は10以上年前に単独テント泊で、白馬雪渓から白馬岳、雪倉岳、朝日岳、そしてこの白鳥山を通って親不知まで縦走したことがあるが、花の多い、人に会わない、まったく静かなコースだった。

 

小屋の裏で少し休んだあと滑降に移るが、午後になっても凍結がゆるまず、下部までエッジを立てガリガリ言わせての下降となる。

 

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しかし日本海に向かっての滑降は爽快そのものだった。

 

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 日本海に向かって

 

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 下りも雪が硬く、転倒者続出 ストックが折れた人も

 

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 ♪夕日はあかあかシュプール染めて♪の時刻になってしまった

 

最下部で左に入ってしまい、雪がない斜面をスキーを担いで歩く場面もあった。

 

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集落はまだ各戸とも厳重な雪囲いがしてあって、冬の厳しさが偲ばれた。

 

ひっそりとしていて人影はなく、人が住んでいない家も多かった。

 

前回も書いたが、この上路の山々は能「山姥(やまんば)」の舞台で、山姥伝説にまつわる山姥神社、山姥ノ洞などがある。

 

昔は北陸道がこの集落を通って親不知へ抜けており、宿場でもあったようだ。

 

昔習った謡本を開いて見てみると、世阿弥作のこの曲は、確かに場所が越後国西頸城郡上路山になっている。

 

能「山姥」は、百萬山姥とよばれる遊女が善光寺参りの途中境川から上路の山にさしかかり、日が暮れて山中の庵に泊めてもらったところ、その庵の主が本当の恐ろしい山姥で、山姥の曲舞を舞って見せたという話しだ。

 

輪廻を離れず妄執が積もった山姥には、花を尋ね、月を求め、雪に興じて山から山を歩きまわる「山廻(めぐ)り」という習性がある。

 

山姥は一面では山の精、山の女神の性格もあるといわれ、世阿弥が持っていた大乗的世界観の善悪の不二、邪正一如がこの能のテーマになっている。

 

山姥同様、いっこうに妄執がなくならない飛騨の山爺の「山廻り」も止むところをしらない。

 

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猪臥山ー畦畑ルート

2019.03.11 Monday

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 猪臥山(右の白いピーク)と北西尾根

 

山スキーの話ばかりが続き、諸賢にはだいぶ食傷されていると思いますが、シーズンも終盤になりましたのでもうしばらくお付き合いを。

 

さてこの年寄りが惚けている山スキー、以前は積雪期のピークに登頂するための補助手段だったが、道具の進歩とともに滑降も目的となってゆき、今では登頂より滑降のほうが主になってきている。

 

年寄りもこの時流に乗り、下手ながらパウダースノーを滑って喜んでいるが、これはかつて熱中した岩登り同様確かに面白い。

 

しかしたまには、心が安らぐ昔ながらの山村風景を見ながら、のんびりとした山旅的スキーをと思い、畦畑集落から猪臥山(いぶせ・いのぶせ・いぶし山・1519m)へ行くことに。

 

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 まだ雪深かった畦畑集落(2月26日)

 

この山は昔から飛騨の岳人に親しまれてきた山スキーの山で、「飛騨の展望台」といわれるくらい飛騨山脈や白山の眺望がすばらしく、隠居は年に一度はスキーで登っている。

 

2月末の天気のいい日を選んだが、平日だったため同行者が見つからず、やむなく単独ということになった。

 

今年の飛騨はほとんど雪が無いが、富山県境に近い北西地域、猪臥山の麓にある畦畑集落あたりにはまだ結構な雪があり、幸い集落から小鳥峠を越える県道は切れることなく埋まっていた。

 

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集落のはずれで出発準備をしていると、途中すれ違った軽自動車のおばあさんが戻ってきて、「20分ほど前に主人(83歳)が徒歩で峠にむかっていったが、心配なので会ったらよろしくお願します。」といわれた。

 

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なんでも小鳥峠を越えたところにある家(冬期間無住)の雪の様子を見に行ったとのこと。峠まででも2時間かかるとも。

 

昔峠を越したところに小鳥山という20軒ほどの開拓集落があったが、今は1軒が無雪期だけ畑を作って住んでおられる。

 

このあと県道を辿ったが、長靴の跡はあったもののその人に追い付くことはできなかった。

 

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 小鳥峠

 

峠の祠に参拝してから左の林道に入る。

 

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この祠におられるのは地蔵菩薩様でなく阿弥陀如来様。

 

これは、ここを越した旧清見村一帯が浄土真宗王国だからだと思われる。

 

小鳥川沿いの池本や江黒集落の人たちが、農作物を背負ってこの峠を越え、古川の街へ売りにいったという。

 

その往復にここで休み、仏さまに手を合わせたのであろう。

 

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このコース、今まで3月末に歩いていたが、今年は消え方が1ヶ月早い。

 

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 小さきものたちの足跡

 

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標高1200mの北西尾根に出ると飛騨山脈が広がり、剣岳から乗鞍岳まで望むことができた。

 

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 穂高岳

 

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 笠ヶ岳

 

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 薬師岳  北ノ俣岳   黒部五郎岳

 

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 スノーモービルが入った跡

 

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 右に頂上が見え出す

 

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 尾崎山(左)と金剛堂山(右後方白い山)

 

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頂上へは雪が多い時林道をはずれて尾根を歩くのだが、ヤブが出ていたので頂上付近までほとんど林道を辿る。

 

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頂上直下の鳥居も例年くぐれないほどの積雪量があるのだが、今年はご覧のとおり。

 

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いつもは屋根近くまで埋まっている頂上の祠もほとんど出ていた。

 

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祠のそばで数名の若い人男女が昼食をとっていたので聞くと、東京から今年の干支の「猪」がつく山に登りに来たとのこと。

 

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 猪臥山南峰と御嶽山(後方)

 

三角点がある頂上も標識が露出。

 

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 後方は白山

 

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 乗鞍岳

 

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 白山   栗ヶ岳・御前峰(右手前)

 

白山の眺望を楽しんでいると、中年の男女の3人組がワカンジキで登ってきた。聞くと高山の人だった。

 

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近年古川町から東海北陸自動車道清見インタ―を結ぶ県道のトンネルが開通してからこの山へは南面の彦谷から短時間で入れるようになり、今ではこちらがメインルートになっている。

 

東京の若い人も、高山の人もこちらからの往復だ。

 

帰路は往路を滑降したが、この日は弱い冬型で雪面が凍っていてものすごいスピードが出、登り3時間かかったところを30分で登山口にもどった。

 

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畦畑集落は雪で埋まっていたのに、車で10分ほどの古川の街へ下りると、そこには雪のかけらもなかった。

 

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 集落からは黒部五郎岳がよく見えた

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妙高三田原山南面

2019.03.05 Tuesday

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このところ山行報告が溜まってきて、ブログ掲載の日にちが古くなってきたのでご容赦ください。

 

鍋倉山を滑った日は、妙高杉ノ原スキー場の安ホテルに宿泊。

 

17日の早朝雪がチラついていたが、すぐに晴れてきた。

 

今日も老骨が正常に動くことに感謝しながら出発。

 

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 妙高山麓はこんな積雪量

 

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体調が悪いTさんは山はやめてゲレンデで遊ぶことになり、隠居とSさんとで杉ノ原スキー場のリフトを乗り継いで上部へ。

 

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3リフトの終点にはもう山スキーヤーがいて出発準備をしていた。

 

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登高は妙高山(2446m)の外輪山三田原山(2347m)の稜線までだが、途中雪崩が起きそうな小さな谷が2ヶ所あり、昨夜降雪があったので慎重な通過が必要だった。

 

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我々のすぐ前に、外人のガイドに引率された10名くらいの外人パーティがいたが、ガイドの適切な指示でこのエリアを通過していた。

 

適切な指示とは、危険個所では間隔をあけて一人ずつ通過、万一の場合を考えザックのベルト、ストックの手ベルト、スキーの流れ止めをはずすなど。

 

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危険個所を通過し、小さな雪庇を越えると、あとは急な斜面を登るだけだ。

 

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ここでも外人ガイドは無理がないコース取りをしていたし、クラストしたところではピッケルをふるって斜面を砕いていた。

 

上部へ行くにしたがって雪面がクラストし、クトーがよく効く。

 

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やがて妙高山の頭が見え出し、2300mの稜線に到着。

 

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ここから南面を滑るのだが、我々は外人さんご一行が滑る前に、急いで斜面へ入った。

 

まだシュプールがない広い斜面のパウダースノーを先にいただくという、姑息な考えからだ。

 

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老人2人は、年甲斐もなく大きい歓声を上げながら一気に滑り下りた。

 

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この一時というより刹那のために苦労して登る山スキーというものは、一般の人には理解できない遊びであろう。

 

やがて森林帯に入り、下部をトラバースして雑踏のスキー場へ戻った。

 

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